「同和タブーは無くなった」と言われることがあるが、それはネット限定の話で、現在でもテレビを筆頭に新聞、ラジオなどの大手メディアで自由に取り上げられることはほぼない。取り上げられても、大体は部落解放同盟の協力の元でという限定がつく。
私のある読者などは、深夜の人気番組の企画で自室を紹介された際、どうしてもカメラに映り込んでしまうという理由で、スタッフの手によって私の書いた本だけを書棚からごっそり取り除かれた。
私の本のタイトルには、べつに差別用語が書いてあるわけでもなく、同和以外のテーマの本もあるのだが、その背表紙すらテレビでは絶対に出せないのである。
大手メディアの同和への恐怖心は、じつに半世紀に渡る歴史をもっているため、もはや理屈抜きの拒絶状態になっており、それは普段、報道される量という意味では、天皇制タブーよりも深刻だといっても良い。
例えば他の社会問題でいうと在日韓国・朝鮮人、障害者をテーマにしたテレビ番組、ドラマ、映画はわりと知られているものもあるが、同和問題をテーマにしたものはそれに比べてほとんどない。
出版界でいうと、小説では若干存在するが、「在日文学」と呼ばれるムーブメントになるほどではない。同和は在日と同じく、日本全国に散在している問題であるにも関わらず、だ。
しかし同和タブーといっても、ようは売れれば良いのである。売れて注目されれば、大手メディアも無視はできないものだ。
しかし私の本は全く売れないときている。そのため同和問題は現在も「ハイリスク・ノーリターン」という認識が定着し、メディアをはじめ日本社会の宿痾となっている。
そこで今回出す『路地の子』(新潮社)では、人間の本音を突き詰めて描くことに専念した。人間の本音というのは、つまり「金」のことである。
内容は、大阪にある河内という地域の同和地区を舞台に、解放同盟、共産党、右翼、ヤクザを駆使し、高度経済成長と部落解放運動の高揚という時代の波にのって成り上がろうとした男の話だ。戦後しばらくたった昭和24年から東日本大震災までの、ある一人の男の半生記である。
かつて同和地区には、33年間で13兆円もの税金が投入されてきた。
全国のスラム化した同和地区を改善するため団地を建て、保育所をつくり、道路を整備。教育もほぼ無償化し、税金もフリーパスという時代があった。
同和地区、被差別部落への差別がまだまだきつかった時代、同和問題の解決は国策であった。そして国をバックに、かつて絶大な権力を誇ったのが部落解放同盟だった。
解放同盟は、部落差別に反対する全国組織であるが、こうした金の投入で組織内部も次第に腐敗していく。それが2002年からの同和利権の事件化につながっていくのだが、もちろん同盟員すべてが腐っていたのではない。国をバックにしたその権力に群がる人々が、組織内外には多かったということなのだ。
国をバックにつけた解放同盟の威を利用とする者が同和地区の内外に現れ、同和地区に投入される金や特権の奪い合いが水面下で始まるのが1960年頃からだ。
俗に「人間は実利がともなってこそ本気になる」と言われるが、同和地区で成り上がろうとする者たちはみな、解放運動を建前にして、同和利権を獲ろうと躍起になる。