ぼくは自分の手をみると、時たまこの詩が頭に浮かぶ。
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はたらけど
はたらけど猶わが生活楽にならざり
ぢっと手を見る
石川啄木
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自分の手。練習帰りの電車の中で自分の手をまじまじと見ることがある。
いったい何度この手を見つめてきただろうか。
この手でたくさんミットやサンドバック、そして人様を殴り、
ともにいろんな種類の感情を共有してきた。
トレーニングをして傷や豆ができたりなんかは日常である。
拳の皮は何度むけたか知らない。
相手の骨に拳ががつっとあたって大きく腫れたこともある。
骨ばってごつごつして、皮は厚くなり、
生傷だらけでお世辞にもきれいな手とはいえない僕のこの手。
強くなる。そう思って日々練習して
いったいどれくらい強くなれたかと自問もする。
日々進む距離は短く、ともすれば前進どころか空回りして後退すらしかねない。
この手からこぼれ落ちていったものもたくさんある。
まさに啄木流にいえば
練習すれど
練習すれど猶われまだ強くならざり
ぢっと手を見る
なのである。
この手とはずっと痛みもうれしさも分かち合ってきた仲なのだ。
そしてこれからも関係は続いていく。
時間はとかく有限。
とにかくやるしかないのである。