宮顕委員長宅電話盗聴事件

 (最新見直し2007.7.28日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「創価学会による宮本顕治委員長(当時)宅電話盗聴事件」を検証する。この事件も解せないことがあるが、とりあえずどういう事件であったのかを確認することにする。

 2007.7.28日 れんだいこ拝


 1970年、創価学会による出版妨害事件の余韻さめやらぬ最中、今度は新たに創価学会による日本共産党委員長・宮顕宅電話盗聴事件が発生した。事件は、東京都杉並区の宮顕宅の電話線に盗聴器が仕掛けられるというものだった。共産党側が、電話への雑音で盗聴を察知し告発した。この時は誰が何の目的で仕掛けたのかは不明だった為、一過性の騒動で終わった。

 当時、創価学会の法律顧問として池田会長の側近中の側近として寵愛を受けていた山崎正友弁護士がその後創価学会とたもとを分かち、1980年になって宮顕宅電話盗聴事件の実行犯だったことを告白した。山崎証言によると、当時の北条浩・創価学会副会長と公明党参院議員の了承と資金提供により、山崎弁護士を総責任者として発動され、実行部隊の竹岡と広野輝夫が深夜に宮顕宅の電話線がある電柱に上って設置したと云う。

 補足すれば、実行部隊の竹岡はその後トントン拍子で出世しており、1976年には創価班全国委員長、1979年には青年部副男子部長になっている。この役職は全国の学会員を静岡県の総本山(現在の創価学会はこの総本山から破門されている)に輸送する責任者で青年部では10本の指に入る幹部であると云う。竹岡は、ヤフーBBの販売代理店として立ち上げた「エスエスティー」があるビルの同じフロアに環境問題コンサルタントの(株)循環社会研究所なる会社も設立している。その後ソフトバンク内部情報漏洩問題で脅して逮捕されるという事件を起こしている。

 もとへ。山崎証言通りであるとするなら、創価学会による組織的犯行ということになり、最高指導者の池田会長の責任まで問われる事態となる。1980年、日本共産党は、同年、創価学会の北条浩会長らを相手どって損害賠償を請求する民事訴訟を提訴した。

 1979.4月、北条副会長は池田大作の辞任を受けて4代会長に就任し、1981.7.18日、入浴中に心筋梗塞のため急逝した(後任は秋谷栄之助副会長が就任)。

 創価学会は、「山崎のいうことは信用できない」という論法で応戦した。しかし、山崎氏は、法廷で、神崎武法・公明党代表(当時は検事)の関与についても触れ、「盗聴がバレそうになった時、神崎は困ったような顔をして『下手に動くより知らんぷりしているほうがいい』という意見にうなずいていた」と証言している。

 1985.4.22日、東京地裁判決。「北條(浩・創価学会会長)の本件電話盗聴への関与について」の項で、盗聴実行犯の一人である山崎正友弁護士が独断で本件電話盗聴を企図・実行する状況になかったことを認定し、盗聴資金が山崎が個人的に支出できるものでなかったこと、北條側のみとめている事件発覚直後の山崎から北條への報告とその後の経過、本件盗聴後の山崎弁護士の創価学会内での出世の事実などを具体的に認定し、次のように北條浩の関与を認めている。
 「以上にみてきたところを総合判断すれば、被告山崎が独自に本件電話盗聴を計画、実行したとするよりは北條の承認と資金提供のもとに実行したと考えるのがより自然であり、北條は、本件電話盗聴に関与していたものと認めるのが相当である」。

 1988.4.26日、東京高裁判決。電話盗聴が創価学会の組織的犯行であることを具体的詳細にのべた。東京高裁判決は一審判決よりも厳しく次のように認定している。
 「北條が本件電話盗聴に関与したとの山崎供述の信用性は妨げられず、他に、以上の認定判断を覆すに足りる証拠はない」。

 宮顕宅盗聴事件は、第一審、第二審とも創価学会の組織的犯罪であることを認定した。(両判決は、日本共産党出版局発行の『裁判記録 創価学会の電話盗聴』に全文が掲載されている)。

 北條側が最高裁に上告したが途中で取り下げ、判決が確定した。北條氏の妻とその子ども(北條氏が途中で死亡したため訴訟を継承)らは、宮顕に対し裁判所から命じられた損害賠償金を利息をつけて全額支払った。






(私論.私見)