関内かと思ったら関外だった。おれにはそれが面白くてたまらなかった。だからおれは自分のブログの名前を「関内関外日記」とした。「かんないかんがいにっき」と読む。おれの名前は黄金頭。ゴールドヘッドと読もうがどうしようがそれはあなたの勝手だ。ゴールドヘッドはすばらしいサラブレッドだった。
話は源義経が腰越状を書いたころにさかのぼる。おれの勤めている会社が、藤沢から横浜に移転することになったのだ。横浜。横浜はすばらしい。すばらしい横浜。日本に誇る大都会。古より人々が見上げてきた横浜ランドマークタワー。ナウなヤングでひしめくイセザキ・モールにはメリーさん。今日もスーパーカートリオが横浜スタジアムを駆け回る……先発は欠端光則。
その行政的な中心地である関内。藤沢は藤沢でダイヤモンドビルやフジサワ名店ビルなどがあるすばらしい街ではあるが、関内というのはさらにすばらしいに違いない。おれはそう思った。おれたちはそう思った。
思ったが、来てみたらどうも様子が違う。お年寄りがひとり、またひとり、ずったらずったら歩く姿が多く見られる。昼も、夜も。はて? 想像していた横浜と違う。赤い靴の女の子はどこ?
会社にやってきた取引先のおっさんに言われた。
「ここは関内じゃなくて関外ですよね」
フハッ、関外! 「外」だったのか! おれは面白くてたまらなかった。内ではなく外だった!
関外……正式な地名ではない。ただ、「そのあたり一帯」を表す言葉ではある。行政の文書にも出てくる。
横浜市 都市整備局 都市再生推進課 関内・関外地区活性化推進計画
絶えず更新し続ける横浜駅(単に工事が終わらないとも言う)。横浜といえば皆が思い浮かべ、さらに発展を続けるみなとみらい。それに比べ、いくらか取り残された感のある古き良き横浜。それが関内であり関外であった。
開港の地であり、生糸だの貿易だので栄えた関内。県庁、市庁、区庁のある関内(市庁舎はみなとみらい方面に移転するらしいが)。そしておれたちがたどり着いたのは、その中でも「関外」であった。関内を業務と観光(山下公園、象の鼻パークなど)とすれば、関外は一応商業の街となる。しかし、もはやあのすばらしい横浜松坂屋もなく、メリーさんもいなくなってしまった。なにがあるというのか。
これが関内と関外を分かつライン。人によってラインは異なると思うが、個人的な感覚では京浜東北・根岸線の海側か陸側か、である。海側が関内、だ。かつて青い目の異人(マレビト)たちが住んだ土地。そして、その周縁として存在した関外。関内で働く人々が住居を定めて広がっていった周縁。
横浜スタジアム?
関内だ。
横浜マリンタワー?
関内だ。
フビライ・ハーンが問うた。
「関外とはいかなる土地か」。
マルコ・ポーロは答える。
「賢明なるフビライ様、関外とは関内を含まぬ全ての世界でございます」
マルコ・ポーロは翌日中村川に浮かんでいた。
おれたちが見たいのは、そんな光景じゃなかった。
関外にはイセザキ・モールがある。ユニクロもGUもダイソーもドン・キホーテもあるすばらしいイセザキ・モール。はるかかなたには、すばらしい映画館、シネマ・ジャック&ベティもある。延々と続く商店街。昔は横浜松坂屋もあった、横濱カレーミュージアムもあった。
だからといって関内が栄えているのか? そうでないと行政は言う。ビルの入居率だのなんだのがイマイチなんだという。それなのに、夜に畳のようなものを光らせている余裕があるというのか。なんで畳が光るんだ。畳が光りたいと言ったのか? これが今という時代か。どうなってるんだ、まったく。
関内と関外。実に(実は)人工的な境界という気がするのは否めない。例えば、おれが以前住んでいた鎌倉には切り通しという明らかな境界が存在した。
古来、境は坂であったり、川であったりした。ところが、関内と関外を区切る境界はなんであろうか?
山もなければ川もない。おまけに海は泣いている。人がつくった関所があっただけだ。これは近代の境界。異人はそのままにマレビト。つくられた境界。そこには積み重なってきたものがない。開港から何年経つというのか? と言われるかもしれないが、じゃあ鎌倉幕府はいつ成立したのか、という話だ。
赤坂憲雄は現代を「境界が溶けてゆく時代」と言った。そんな時代にあって「関内/関外」などという境界はアイスクリームのように簡単に溶けてしまうだろう。
ちなみに日本で最初のアイスクリームは横浜の馬車道でつくられたという。馬車道は関内に分類される。おれはいつか山手の喫茶店エレーナでパフェを食べたいと思っている。おっさんがひとりエレーナでパフェを食う。女学生が指差して笑う。きっとエレーナのパフェは甘く、苦い。
ここまできてようやく、おれが感じる関内と関外の差を言いたい。
それは人の歩みの速度。関内は勤め人たちがせかせかと歩いている。関外はおじいさんたちが目的があるのかないのか、ずったらずったら歩いている。歩調を合わせて、おれもずったらずったら歩くことになる。
いろいろな人々が、ずったらずったら歩いている。電動車椅子で道を進んでいる。そのなかには三十代後半になって左耳に三つのピアスを開けて、頭を染めたおれもいる。「百円くれませんか? 生活が、苦しいので」と声をかけられる。「ほかをあたってください」と答える。おれは知らないやつに百円をやりたくない。おれは関外をずったらずったら歩いている。夢とか希望とか必要か? はじめに光があって、好きだの嫌いだの言い出したのはおまえか?
山手のトンネル、おれは毎朝、本牧のほうからずったらずったら歩いて行く(嘘である。晴れの日はハンドルを切り詰めたすばらしいルイガノMV 1に乗る。この記事には七つの嘘が含まれていて、それぞれ七つの大罪に対応している)。
そうだ、おれのすみかは関内でも関外でもない。山手地区ということになる。ただし、山手といってもひとことでは言い切れない多様な顔がある。そこも面白いところではある。
おれはそのすみかを愛している。関内駅と山手駅の中間。コンビニも遠い。だからといってなんだ。歩いて本牧に行ける、関内にだって行ける。そしてなにより静かだ。ここはとても静かだ。静かな土地だ。おれはこの世の片隅にひっそりと生きていたい。それにぴったしの場所が山手だ。おれの住むところだ。ちょっとしたジョギングで山手のドルフィン(根岸の、が正確であるとおれはユーミンに言いたい)の前を通ることもできるし、港の見える丘公園に行くこともできる。山下公園の方へ行ってもいいだろう。名前のある場所が近くにある。単なる自慢。そうだ。
おれは山手から山手へ一度アパートを引越している。2回目の引越しのとき、地元の不動産屋のおばさんが言った。「一度このあたりに住むと、なかなかほかへは出ていかないんですよ」。おれはその意味がよく分かる。よく分かるようになった。おれはその引越しで業者を使わなかった。あまりにも近いので、会社から台車を借りて、自分の力で荷物を運んだ。とはいえ、引越し業者に頼んだところで、道が細くて車が入れないから同じようなことをしたのだろう。
ここは静寂だ。けれど、少し行けば違った世界がある。ちょっと歩くだけで街はその表情を変える。注意して見れば境界線があるのかもしれない。おれはそこをずったらずったら歩いて行く。べつに静かに自室に籠もっていてもいいし、外に出れば出たで退屈しない。
どっちでもいいのだ。おれはときに本牧に行く。ときに関内を行く。すばらしいフルカーボンのロードバイクであるコルナゴ ACEで神奈川県を南下してルート134を目指してもいいし、第二京浜を北上してさらに江戸川サイクリングロードを北上したっていい。もっとも、おれのフルカーボンのロードバイクはなぜか「帰ってきたら脱いだ上着を引っ掛けるもの」になっている。不思議な話である。
けれどあなた、あなたがもし金持ちだったら元町とかいうところでなにかいいものを買ってもいいだろう(おれは元町に入らないので元町の話は出てこない。みなとみらいにはなんとか入れる)。カーでドライブに行くのもいいだろう。横浜ベイブリッジとか渡ってみてもいいだろう。好きにすればいい。
免許はあるけど車はない。高速道路とは無縁。よく聞こえる救急車のサイレン、ときにこの高速道路を走っているものだから、警戒が必要だ。
おれは不老町の交差点から海の方を見るのが好きだ。マクドナルドの角だ。向こうの向こうに海が見えるような気がするからだ。実際に海が見えるかどうか知らない(現代において「知らない」というのは「一応Googleマップで確かめてみたうえでのことだが」という注釈が隠れている)。けれど、おれには海の気配が感じられる。おれは海や川の気配がする街以外には住みたくない。おれが行方不明になったら、海沿いの街を探すべきだろう。探す人間がいたらの話だが。
川沿いを行こう。うまくいけば花が咲いている。ただ、ここは桜木町ないし日ノ出町。おれのテリトリーではない。はやく桜木町の駅から関内に戻ろう。桜木町ぴおシティのリキュールワンダーで酒を仕入れてからでもいいが。
帰ってきたのは関外側の関内駅。JRの車内アナウンスは「かんない↑、かんない↓です」と二通りのイントネーションを使っているような気がする。おれにそう聴こえているだけかもしれないし、どちらが正しいか分からない。ましてや「関外」のイントネーションはまったく分からない。「感慨にふける」のとは違うような気はするのだが。
関内。セルテ。北口はいま工事中。桜木町の駅も変わったし、関内の駅も変わる。石川町の駅も変わったし、山手駅も変わった。横浜の駅は変わるのが好きなのかもしれない。なにせ親分の横浜駅があのさまだから。
関内、マリナード地下街。いや、これは関外。
たくさんの勤め人、役人、弁護士が夜の街に消えていくのだろうか。この街に何人のピアノの調律師がいるのか? おれには分からない。
おれは閑散とした休日の関内を歩く。休日の関内ビジネス街は基本的に閑散としている。おれとて一応は平日働いている。けど、きっと、ここはずっと勤め人たちの街。土曜は半ドン、公園でバレーボール、昭和のサラリーマン。
……そういう想像のつかない、得体の知れない「関外」とは違うのだと思う。
ボールはそこだ、打つんだ!
街は都市計画のままに進んでいく。それでもやはり、個人的に関外は取り残されているような気がしている。
とはいえ、おれはその「取り残され」具合が好きでならない。
蛇籠(じゃかご)をどう使おうが知った話じゃない。
夜の関内もすばらしい。いいじゃないか。おれはおれでそれは好きだよ。みなとみらいほどギラギラしていないよ。ましてや、東京だの、そんな大都会に比べたら静かなものだよ。おれは静かなのがいい。静かだけれど、少し歩けば少しにぎわっている、そんなところがいいんだ。山手から関外、そして関内。おれはおれ自身の身のありかたが分かんない、身の振り方が分かんない。それでもこの街は悪くないなと思う。
悪くないのだ。関内関外は悪くない。
すばらしい高橋源一郎は、すばらしい小説である『ジョン・レノン対火星人』(角川書店)のなかでこう書いた。
三日前のことだ。
京浜東北線関内駅の改札口を出たとたん、少し立ち眩みがした。天気が良かったからだ。二秒か三秒の間。すぐにわたしは歩きはじめ、そして赤いアンブレラをさした赤いワンピースの赤いエナメル靴を履いた小さな少女にぶつかった。
「ごめんなさい」と小さな女の子の死躰がわたしに言った。
わたしは未だ立ち眩みがつづいているのだと思った。
「いいよ」
「どうも申し訳ありません」
三十を少し過ぎたばかりの、すいかのようなおっぱいをした母親の死躰がわたしに謝った。
わたしの口の中は驚愕のためにからからだった。
わたしは歩道に立ったまま目を閉じ、深呼吸し、心の中で「マントラー、マントラー、マントラー」と三度唱え、そしてゆっくり目を開けた。
さて、目を開けたらなにが映ったのか。そしてそれは駅のどちら側のことだったのか。関内か、関外か。すばらしい小説である『ジョン・レノン対火星人』を読まれたい。マントラー、マントラー、マントラー。
おれはわけの分からないことを書いている。これがSUUMOタウンの記事にふさわしいのか分からない。あなたはこのあたりに住みたくなっただろうか。よく分からない。ただ、おれは金があまりないのなら駅と駅の間がいいですよ、と言いたいところはある。
秋に黄葉。
春にチューリップ。
そして寂光の差す道をおれはずったらずったら歩いていく。こうなってしまった人生に後悔もないし、こうなってしまった人生に希望もない。ただおれは山手の外れに住み、関外に通う、日々を送る、すべては疲弊しているように思える、疲弊の中で、すこし生きられるような気がしている。
そうしたらいつか、あんた、おれに会いたかったら、スンガバってカレー屋でカレーを食おうぜ。そこはナンがおいしい。それがなんだって話だ。おれはこの街で生きていて、とりわけどこかに抜け出そうなんてこともない。このままここで生きて死ぬのだという予感はある。そんなふうに思えるってのは、ちょっといいことだと思いはしないか?
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編集:はてな編集部