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2016.12.07

変貌する石巻・蛇田、農村から田園都市へ (1)地名の由来

田道将軍埋葬の地で見つかった「霊蛇田道古墳」と刻まれた石碑。禅昌寺で大切に保存されている

 石巻市蛇田地区が、東日本大震災をターニングポイントに急速に変貌している。水田地帯に住宅地が広がり、商圏が形成される一方、医療施設や公的機関が移転し、田園都市に生まれ変わろうとしている。

 先人は、発展するこの姿を想像しただろうか。明治、大正、昭和、平成と激動の時代をたどってきた歴史を振り返りながら、蛇田の今昔を取材した。(8回続き、伊藤浩)

   ◇

<蛇にまつわる記録残る>

 「30年ほど前、本堂を新築したところ、2メートルもある蛇が出てきた。その後、毎年のように本堂から蛇の抜け殻が見つかっている」

 蛇にまつわる話をするのは、石巻市山下町にある禅昌寺19世住職の桂田文孝さん(74)。

 寺には、蛇田の地名の由来として伝わる「田道将軍伝説」の田道将軍の守り本尊といわれる正観音座像があり、「霊蛇田道古墳」と刻まれた石碑(高さ95センチ、幅34センチ)が大切に保存されている。

 田道将軍伝説は「日本書紀」に記述がある。それによると、5世紀前後ごろ、蝦夷が仁徳天皇に背いたため、朝廷が上州(群馬県)の豪族上毛野田道(かみつけのたみち)を派遣し、征伐させようとしたところ、蝦夷の抵抗を受けて戦死した。

 悲しんだ従臣が、付近の荒野に墳墓を作ったが、蝦夷が墓を掘ると、地響きとともに大蛇が現れ、ほとんどの蝦夷が毒にあたって死んでしまったという。この出来事から「蛇田」となったとされている。

 田道将軍の墓の伝承地といわれる禅昌寺近くの田道町1丁目にある蛇田道公神社では、命日の7月24日に毎年祭りが開かれ、神事やアトラクションが行われている。

 会場には露店が並び、祭り気分を盛り上げ、特設ステージでは歌や踊りが披露され、地域の一大イベントとして定着。心待ちにする市民は多く、昔の出来事に思いをはせる人もいる。

 「大きな瓜(うり)伝説」という説もある。江戸時代、安永期(1772〜80年)に仙台藩の領内の村々の様子を把握するために書き上げられた「安永風土記」に記述がある。

 ある日、ツバメがくわえてきた瓜の種を、農民が不審に思って植えたところ、大きな瓜がなった。その瓜を切ったところ、多数の蛇が出てきた。村人が集まり、南西の方角に埋めて塚を築いたところを「蛇多」と言った。その後、「蛇田」と書き換えられたという。

 瓜を植えたところは「大瓜」と名付けた。大瓜という地名は井内地区に残っており、かつてこの一帯も蛇田地域に含まれていたことをうかがわせている。

 このように、蛇田の由来には諸説があり、どれが本当なのかは定かではないが、蛇が関わっていたことだけは間違いなさそうだ。

 「中心部がさびれ、田畑が多かった蛇田地域が目覚ましい発展を遂げている」。桂田住職は、蛇田地域の変貌ぶりに驚いている。


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