通勤の満員電車で嫁が怪我をした!!!
昨年、島根から神奈川に引っ越してきた私たち夫婦。
妻はなれない満員電車に毎日ストレスをためながら、共働きを続けてくれています。
そんななか、最近、嫁が満員電車の通勤中、マナー違反の乗客によってケガしました。
前々から、一歩間違えればケガになりかねない話は聞いていましたが、ついに起こってしまいました。
私も学生の頃は東京に住んでいたので、満員電車は体感しています。殺伐とした車内に、乗る人と降りる人の押し合いへし合い。
とても好きにはなれません。
今回は乗る人を不幸にする満員電車について、意見したいと思います。
驚愕、電車に実質上定員は存在しなかった
よく満員電車で聞かれる「混雑率」。
国土交通省では次のように定義されています。
・混雑率100% :定員乗車、座席につくか、吊革につかまるか、ドア付近の手すりにつかまる事ができる
・混雑率150% :肩が触れ合う程度で、新聞は楽に読める
・混雑率180% :折りたたむなど無理をすれば新聞を読める
・混雑率200% :体がふれあい相当圧迫感があるが、週刊誌程度なら何とか読める
・混雑率250% :電車が揺れる度にからだが斜めになって身動きができず、手も動かせない。
いやいやいや。
混雑率200%で週刊誌が読めるって、本気で言ってるの?!
通勤電車の定員は140名くらいと聞きます。この場合、定員は席の数+つり革、手すりなど掴まれる人の数で決められていますが、混雑率200%と言うと乗車人数は280人です。
つまり、140人はつり革も手すりもなくて、人に挟まれて乗っている状態です。
国交省さん。
そんな状態で週刊誌読めると思ってるんですか?
電車はなぜ定員をオーバーしても乗車が許されるのか
そもそも定員をオーバーしているのに、それ以上に人が乗っていることっておかしくないです?
自動車でも、飛行機でも、船舶だって定員が決められており、それ以上人を乗せることはできません。載せたら法律違反です。
ではなぜ、電車だけは許されるのでしょうか。
このような記事がありました。
鉄道車両の場合、「サービス定員」を「定員」としている。「サービス定員」とは、通常の運行に支障がない乗客数という意味だ。鉄道の定員を扱う法律では、この「サービス定員」を超えても罰則はない。鉄道システムの安全性を考慮したからだろう。
つまり、電車は定員オーバーが理由で事故が起こることがないため、何人でも乗れるなら、乗れるだけ乗ってい良いということです。
電車は実質上、定員はないんです。
とても驚きでした。
電車は乗客の人数によって事故が起こらない乗物だからとという、そんな理由で、定員オーバーが許されているんですよ。
なんか鉄道会社が語る安全に、誤魔化されて電車に乗っているように思いませんか?
車両自体は安全でも車内の乗客は安全なのか
電車自体は確かに比較的安全な乗物と言うことはできるでしょう。
(過去に重大事故は起こっていますが)
ですが、満員電車の中の乗客は本当に安全なのでしょうか。
満員電車では、少しの揺れで人が雪崩のように流れてきて圧迫されたり、他人の持ち物が当たって、例えば傘などが刺さったり、足を踏まれたりと、一歩間違えれば大けがにつながりかねない状態が、慢性化しています。
また、満員電車は痴漢などの犯罪が起こりやすく、えん罪もそれに合わせて起こりやすい環境と言えます。
犯罪ではないですが、マナー違反も多いですよね。割り込み乗車とか。音漏れとか。
更に言えば、満員電車は乗っている人の精神状態に悪影響を及ぼすことは間違いありません。
みんな隣の乗客は敵だと思っています。
ぎゅうぎゅうの車内で他人にこれ以上なく圧迫され、駅に着くと降りる人と乗る人、そのまま乗っていく人の3勢力による攻防。
勢力じゃないですね、個人戦です。
満員電車の車内を見渡せば、そこにストレスを感じていない人はいないですよ。
そこにトラブルが起きて、満員電車に閉じ込められれば、みんなのストレスは最高潮!
そう思うと、満員電車って最悪の乗物じゃないですか?!
怪我するかもしれない、犯罪も起こりやすく巻き込まれやすい、マナー違反も多くて、精神的にも肉体的にも負担も大きい。
乗っている人のことなんて、これっぽっちも考えられてないと思います。
電車からはみ出す人を押し込む駅員なんて最低です。中の乗客のことよりも、ダイヤの方が大事なんですから。
満員電車は車両の安全によって成り立っていて、乗る人の安全は考慮されていない乗物ということはあきらかです。
満員電車は人を攻撃的にする
先ほど、「満員電車が乗っている人の精神状態に悪影響を及ぼす」と書きましたが、満員電車に乗った人は、自分の意思を貫くために攻撃的になります。
満員電車の中では自分以外の他人には皆無関心です。
例え近くに、ビジネスのクライアントがいたとしても、気づかなければきっと押しのけて電車を降りていくでしょう。
変な話ですよね。
仕事中はへこへこしていても、電車の中では顧客に合わないと思っているから、平気で人を押したり、罵声を出したり、相手に失礼があっても謝罪しないんです。
外国人から見た満員電車
ドイツの写真家Michael Wolfさんが満員電車を撮影した写真があります。
この写真を見ているだけで心が苦しくなります。
日々これに耐えている人がいることを想うと、社会はなぜこの状況を改善しようとしないのでしょうか。
国交省の統計を見てみると東京圏の混雑率は既に昭和50年時点で220%ありました。
それからもう40年以上の時が立っているのに、現状は大きく変わっていません。
満員電車の通勤で一生を過ごしている人もいることでしょう。
なぜ耐えられるんでしょうか。
これが我慢がとりえの日本の精神文化なんですか。
満員電車は鉄道会社だけでなく社会全体の問題
満員電車は鉄道会社がいくら車両を増やしたところで解決する問題ではありません。
そもそもの原因は、3大都市圏(東京、名古屋、大阪)に機能を集中させてきた政治、企業に責任があると思います。
でもそれを選んできたのは、私たちなんですよね。
経済成長、効率、豊かさを求めて辿り着いた結果が現状なのでしょう。
今日も満員電車で通勤している皆さん、毎日、幸せですか?
痛勤電車はもうやめましょうよ
憲法13条には
「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」
とあります。
国民個人に幸福を追求する権利があるにも関わらず、今の日本社会は私たちに、つらい生き方を選んでしまうような仕組みになってしまっています。
満員電車は人口減少とともに解消されていくのかもしれませんが、それしか方法が無いというのはとても悲しい。
満員電車を避ける生き方を多くの人が選べれば、社会はもう少し生きやすくなるかもしれないと思うのです。
もう、誰も幸福にならない、痛勤電車はやめにしましょうよ。