清原逮捕
清原和博が覚醒剤所持と使用の両方の容疑で逮捕されてしまった。かねてから疑惑は報じられていたものの、いざ目の当たりにすると、かつてスター選手、それも歴史に残る大打者の逮捕に衝撃を受けずにはいられなかった。プロ野球選手としての清原は文句のつけようがない。清原より上の選手となると王、野村、門田、張本といった、もはや歴史上の偉人レベルの、いかつい顔が並び、ホームランの数だけでも落合や長嶋より上である。しかし、清原はこの凄まじい記録よりも、さらに記憶で残る選手でもあった。特に日本シリーズで優勝目前で守備位置で涙したシーンは、あれで胸が熱くならないプロ野球ファンはいないであろう日本プロ野球の長い歴史において屈指の名場面である。その主人公が清原和博であった。
その清原和博が逮捕され容疑者となってしまった。2014年に文春で薬物疑惑が報じられてから、本人は否定すれど一向に疑惑が晴れる様子はなく、むしろメディア露出は減り、聞こえてくるのはパチンコ営業や離婚など醜聞に近いものがほとんどであった。実は私は清原の逮捕はないと思っていた。その理由として、まず清原は存在が大き過ぎることである。健全なスポーツであるはずのプロ野球で、ファンのみならず選手たちも憧れ目標となっていた清原が薬物で逮捕となると、社会に与える影響が大き過ぎる。警察の仕事の目的は犯罪者の検挙も大切だろうが、精神的な部分も含めた治安維持にあると私は思っている。その意味では清原の逮捕は社会に悪い影響を与えると判断するのではないかと思っていた。
そしてもうひとつ、清原に覚醒剤を売っていたのは名古屋を拠点とする暴力団弘道会である報道が一部にあった。弘道会は六代目山口組の当代を輩出した一次団体で、当代のみならずナンバー2の若頭も弘道会出身である。そして山口組は結成当初より組是として薬物に触れることを禁止している。世間では暴力団だろうが、ヤクザたちは任侠団体を標榜している。任侠団体が社会悪の薬物をシノギにすることは任侠道に反する。山口組は組の方針として薬物の取扱厳禁、発覚した場合は破門処分されてしまう。裏の現実はともかく、表向きはそうなっている。
暴対法施行以来、何度か改正が重ねられ、ヤクザのシノギがかなり狭まっており、幹部はともかく末端の組員は困窮に喘いでいる。上納金もままならず、それが2015年8月末の山口組分裂の遠因ともなっている。よって高い利益率と高いリピーター率、薬物をシノギにと考える組員がいてもおかしくない。しかし任侠団体として山口組は薬物厳禁が絶対的方針である。そして、下部団体に薬物厳禁の方針を徹底させておきながら、当代と若頭というトップとナンバー2を輩出している一次団体が薬物をシノギにしていたのではしめしがつかない。清原に薬物を販売していたのが弘道会ということがバレたら山口組が根幹から崩れるのである。そこで弘道会が警察と清原の間に入り、何か司法取引のような事が行なわれるのではないかと思っていた。それでも今回逮捕に至ったのは、既に過熱する報道で見られるように、使用量、使用頻度が尋常ではないまでに重度の依存症に陥っており、既に周囲に隠し切れないまで症状が悪化していたからではないかと思う。
清原は覚醒剤の所持と使用を認めているが、依然として入手先はゲロっていない。多くの覚醒剤犯罪の供述を見てみると、路上で外国人から買ったというケースが多い。これは自身の所持と使用は認めても、多くの関係者に類が及ぶのを防ぐ方便である。覚醒剤常習者は逮捕されても入手先をゲロしないというのがルールらしい。これに関連して田代まさしが興味深いコメントを出している。入手先をゲロしないのは何も暴力団が怖いとか迷惑がかかるからと考えているわけではない、出所した時にまた売ってもらえなくなるのが困るからだそうだ。何とも前科者ならではのリアルな証言ではないか。
そして今回、清原のケースは、やはり入手先が弘道会だからこそ、ゲロしようとしないのではないだろうか。山口組が薬物厳禁なのは清原も当然知っているはずである。知らなくても入手の際にその旨を念押しされるはずである。おそらく清原の現在の人間関係のメインは「あちら側」にあるのだろう。表の世界では薬物ということで敬遠され、裏の世界でも追われるようなことがあれば、娑婆で清原の居場所がなくなってしまう。それが自分でわかっているからゲロしないのだろう。
以上は、報道された情報を収集して書いた私の推論である。
その清原和博が逮捕され容疑者となってしまった。2014年に文春で薬物疑惑が報じられてから、本人は否定すれど一向に疑惑が晴れる様子はなく、むしろメディア露出は減り、聞こえてくるのはパチンコ営業や離婚など醜聞に近いものがほとんどであった。実は私は清原の逮捕はないと思っていた。その理由として、まず清原は存在が大き過ぎることである。健全なスポーツであるはずのプロ野球で、ファンのみならず選手たちも憧れ目標となっていた清原が薬物で逮捕となると、社会に与える影響が大き過ぎる。警察の仕事の目的は犯罪者の検挙も大切だろうが、精神的な部分も含めた治安維持にあると私は思っている。その意味では清原の逮捕は社会に悪い影響を与えると判断するのではないかと思っていた。
そしてもうひとつ、清原に覚醒剤を売っていたのは名古屋を拠点とする暴力団弘道会である報道が一部にあった。弘道会は六代目山口組の当代を輩出した一次団体で、当代のみならずナンバー2の若頭も弘道会出身である。そして山口組は結成当初より組是として薬物に触れることを禁止している。世間では暴力団だろうが、ヤクザたちは任侠団体を標榜している。任侠団体が社会悪の薬物をシノギにすることは任侠道に反する。山口組は組の方針として薬物の取扱厳禁、発覚した場合は破門処分されてしまう。裏の現実はともかく、表向きはそうなっている。
暴対法施行以来、何度か改正が重ねられ、ヤクザのシノギがかなり狭まっており、幹部はともかく末端の組員は困窮に喘いでいる。上納金もままならず、それが2015年8月末の山口組分裂の遠因ともなっている。よって高い利益率と高いリピーター率、薬物をシノギにと考える組員がいてもおかしくない。しかし任侠団体として山口組は薬物厳禁が絶対的方針である。そして、下部団体に薬物厳禁の方針を徹底させておきながら、当代と若頭というトップとナンバー2を輩出している一次団体が薬物をシノギにしていたのではしめしがつかない。清原に薬物を販売していたのが弘道会ということがバレたら山口組が根幹から崩れるのである。そこで弘道会が警察と清原の間に入り、何か司法取引のような事が行なわれるのではないかと思っていた。それでも今回逮捕に至ったのは、既に過熱する報道で見られるように、使用量、使用頻度が尋常ではないまでに重度の依存症に陥っており、既に周囲に隠し切れないまで症状が悪化していたからではないかと思う。
清原は覚醒剤の所持と使用を認めているが、依然として入手先はゲロっていない。多くの覚醒剤犯罪の供述を見てみると、路上で外国人から買ったというケースが多い。これは自身の所持と使用は認めても、多くの関係者に類が及ぶのを防ぐ方便である。覚醒剤常習者は逮捕されても入手先をゲロしないというのがルールらしい。これに関連して田代まさしが興味深いコメントを出している。入手先をゲロしないのは何も暴力団が怖いとか迷惑がかかるからと考えているわけではない、出所した時にまた売ってもらえなくなるのが困るからだそうだ。何とも前科者ならではのリアルな証言ではないか。
そして今回、清原のケースは、やはり入手先が弘道会だからこそ、ゲロしようとしないのではないだろうか。山口組が薬物厳禁なのは清原も当然知っているはずである。知らなくても入手の際にその旨を念押しされるはずである。おそらく清原の現在の人間関係のメインは「あちら側」にあるのだろう。表の世界では薬物ということで敬遠され、裏の世界でも追われるようなことがあれば、娑婆で清原の居場所がなくなってしまう。それが自分でわかっているからゲロしないのだろう。
以上は、報道された情報を収集して書いた私の推論である。
Category: ブログ
終わろうかな
一応、次の原稿も用意していたのだが、それらはボツにして、もうイッチの話は終わりにしようかと思う。
このブログを読んでいる人は全員気付いていると思うが、イッチはどうしようもないくらい最初から論理破綻している。しかし認めることが出来ないのでヘンテコな言い訳をし、それをまた突っ込まれるという悪循環に陥っている。おそらくイッチ本人もそれは自分で気付いているだろう。私が言うのもアレだが、自分の論理が破綻していることに気付いていなかったらイッチは本物のバカである。多分、どうしようか本人も困っているのではないか。もはや死に体のイッチに対し、さらにここで私が追い打ちをかけるのは武士道に反する気がする。
亀田大毅が「負けたら切腹する」と言っていたからといって、「早く切腹しろと言うのはイジメと同じだから、もう言わないであげようよ」と内藤選手がかばっていたのと同じ気持ちだと思ってもらいたい。これ以上イッチに突っ込むのはイジメになるかなと私も感じた。中途半端になったがイッチの件はこの辺でやめておこうと思う。
私は以前、ある男を、ネット上ではなくリアルで徹底的に完膚なきまでに「こらしめ」たことがある。そいつは最後はビビって動揺してしまい、アワアワに呂律が回らなくなってしまった。私は人より多く修羅場をくぐってきたつもりだが、そいつはケンカ慣れしていないというか、たぶん人生の中でここまで誰かに「こらしめ」られた経験はないんだろうなと思った。そういう醜態を見せられると、正直言って私も胸が痛む。この時も、相手に非があったとはいえ、かなりやり過ぎたなと、すごく後味の悪い思いをしたし、嫁さんにもすごく怒られた。
イッチがまたゴチャゴチャ言ってきたら、そんときゃあ徹底的にやってやるが、でなきゃ、この辺で見逃してやろうかなと思う。
このブログを読んでいる人は全員気付いていると思うが、イッチはどうしようもないくらい最初から論理破綻している。しかし認めることが出来ないのでヘンテコな言い訳をし、それをまた突っ込まれるという悪循環に陥っている。おそらくイッチ本人もそれは自分で気付いているだろう。私が言うのもアレだが、自分の論理が破綻していることに気付いていなかったらイッチは本物のバカである。多分、どうしようか本人も困っているのではないか。もはや死に体のイッチに対し、さらにここで私が追い打ちをかけるのは武士道に反する気がする。
亀田大毅が「負けたら切腹する」と言っていたからといって、「早く切腹しろと言うのはイジメと同じだから、もう言わないであげようよ」と内藤選手がかばっていたのと同じ気持ちだと思ってもらいたい。これ以上イッチに突っ込むのはイジメになるかなと私も感じた。中途半端になったがイッチの件はこの辺でやめておこうと思う。
私は以前、ある男を、ネット上ではなくリアルで徹底的に完膚なきまでに「こらしめ」たことがある。そいつは最後はビビって動揺してしまい、アワアワに呂律が回らなくなってしまった。私は人より多く修羅場をくぐってきたつもりだが、そいつはケンカ慣れしていないというか、たぶん人生の中でここまで誰かに「こらしめ」られた経験はないんだろうなと思った。そういう醜態を見せられると、正直言って私も胸が痛む。この時も、相手に非があったとはいえ、かなりやり過ぎたなと、すごく後味の悪い思いをしたし、嫁さんにもすごく怒られた。
イッチがまたゴチャゴチャ言ってきたら、そんときゃあ徹底的にやってやるが、でなきゃ、この辺で見逃してやろうかなと思う。
Category: 虚言を弄して逃げ惑うイッチの醜態
虚言を弄して逃げ惑うイッチの醜態 5
まず前回のおさらいである。
イッチ発言① 「良い作品を作って、今まで自分の作品を貶してきた人間を黙らせる方が生産的ではないでしょうか?」
イッチ発言② 「『どんな良いものを出しても買わない』と言ってる人が何を言おうと、良いものを作ってりゃ他の人は買ってくれるし、(中略)生産的でしょって言」った。
イッチは、最初に述べたイッチ発言①がズレていると批判された途端、慌ててイッチ発言②に改変したのである。なぜ改変する必要があったのか? 最初の発言が私の批判通りズレていると気付いたからだろう。ズレてないと思うなら改変する必要はない。それを敢えて主格も目的格も差し替えるという強引な手口を使ってまで別の意味の文章にすり替えたのは、最初の発言がズレていると、さすがのイッチも気付いたからだろう。逆に他の理由があれば教えて欲しいくらいだ。では、以上を踏まえて次のステップに行こう。
前回述べたように、イッチは都合が悪い発言を、こっそりすり替えた、それも主格と目的格をそっくり差し替えるという荒業に出る。前後矛盾していようと、その場を逃れるためにウソでも何でもつくのが自己愛性人格障害の特徴のひとつだが、過去のツイートという動かぬ証拠が残っているし、何よりそんな強引なすり替えがバレないはずがない。そんな単純なことも、まあわかっていたのだろうが、それよりも目の前の批判から逃れるのに精一杯だというイッチの動揺ぶりは伝わってくる。そしてご期待通り、私はそのすり替えを指摘してやった。それに対するイッチの返答が秀逸である。

突っ込みどころ満載だが、まずはこの部分に着目である。
「良い作品で黙らせる相手は批判する人でも第三者でもどっちでもいいよ」
これはすごい。懇意にしているお客様の何人かにキャプチャー画像を送ってあげたら、みんなも大笑い。イッチ君、今さら何を言ってるの。そこがポイントでしょ。イッチが言う「批判する人を良い作品で黙らせる」というのがズレていると指摘してるのに、今になって「どっちでもいい」って何なの? おそらくイッチは「良い作品で批判する人を黙らせる」というのがズレた意見だということに完全に気付いた。そしてズレた意見をこっそり改変したのもバレた。だけど今さら後には引けんわな~。「どっちでもいいよ」というのは、「そこに触れないでくれ」と同義だと思うが、違うか?え、イッチよ(笑)。
ここで参考資料として以前紹介した動画を再度掲載しよう。
この動画が放送された時は、民主党の横峯良郎の愛人問題が週刊誌やマスコミを賑わせていた時である。スキャンダルの真っ最中の出演だけに、愛人問題が突っ込まれるのは仕方のないところ。それを最初から横峯はマスコミ批判や朝青龍の話題に必死で逸らしている様子がわかる。あまりに話がずれるので、太田光が本題をズバリ聞く。3分25秒の部分である。「じゃあ横峯さんは自分の愛人問題も何もなかったことだと?」。すると横峯は、なんとイッチと同じ発言をするのである。「そんなこと、どうだっていいんだよ!」。いやいや、そこがポイントでしょ。そこがスキャンダルになっているんでしょ。
動画を見ればわかると思うが、要するに横峯はそこに触れて欲しくないのである。この横峯の発言の後、観覧席からは「あ、逃げたな」という意味で笑いが起きている。ちょうどイッチの「どっちでもいいよ」発言のキャプチャー画像を見た私のお客様たちと同じ反応である。忍法「論点ずらし」でござる!ニンニン!
*****
イッチ 「今日はカレーが食べたいな」
母親 「あんたがそう言うからカレー作ったわよ」
イッチ 「僕はカレーはどうでもいいからオムレツが食べたいと言ったじゃないか!」
母親 「え?! たった今カレーが食べたいって言ったばかりじゃない」
イッチ 「それは母ちゃんの読解力がないからだ!僕はオムレツの意味で言ったんだ!」
母親 「カレーだって言ってたのに、突然どこからオムレツが出てきたのよ」
イッチ 「だいたい、お母さんは13年前に近所のおばさんに僕の愚痴を言ってたでしょ」
母親 「そんなこと言ってないわよ。話を逸らすのはやめなさい。今は夕飯の話をしてるんでしょ」
イッチ 「お母さんが実際に言ってなくても、僕の頭の中では言ったことになってるんだい!」
母親 「バカなこと言ってないで本題に戻すわよ。結局カレーとオムライスどっちがいいの?」
イッチ 「そんなのどっちだっていいよ!」
母親 「いい加減にしなさい!あんた夕飯抜き!」
イッチ 「ぎゃふん」
(続く)
イッチ発言① 「良い作品を作って、今まで自分の作品を貶してきた人間を黙らせる方が生産的ではないでしょうか?」
イッチ発言② 「『どんな良いものを出しても買わない』と言ってる人が何を言おうと、良いものを作ってりゃ他の人は買ってくれるし、(中略)生産的でしょって言」った。
イッチは、最初に述べたイッチ発言①がズレていると批判された途端、慌ててイッチ発言②に改変したのである。なぜ改変する必要があったのか? 最初の発言が私の批判通りズレていると気付いたからだろう。ズレてないと思うなら改変する必要はない。それを敢えて主格も目的格も差し替えるという強引な手口を使ってまで別の意味の文章にすり替えたのは、最初の発言がズレていると、さすがのイッチも気付いたからだろう。逆に他の理由があれば教えて欲しいくらいだ。では、以上を踏まえて次のステップに行こう。
前回述べたように、イッチは都合が悪い発言を、こっそりすり替えた、それも主格と目的格をそっくり差し替えるという荒業に出る。前後矛盾していようと、その場を逃れるためにウソでも何でもつくのが自己愛性人格障害の特徴のひとつだが、過去のツイートという動かぬ証拠が残っているし、何よりそんな強引なすり替えがバレないはずがない。そんな単純なことも、まあわかっていたのだろうが、それよりも目の前の批判から逃れるのに精一杯だというイッチの動揺ぶりは伝わってくる。そしてご期待通り、私はそのすり替えを指摘してやった。それに対するイッチの返答が秀逸である。
突っ込みどころ満載だが、まずはこの部分に着目である。
「良い作品で黙らせる相手は批判する人でも第三者でもどっちでもいいよ」
これはすごい。懇意にしているお客様の何人かにキャプチャー画像を送ってあげたら、みんなも大笑い。イッチ君、今さら何を言ってるの。そこがポイントでしょ。イッチが言う「批判する人を良い作品で黙らせる」というのがズレていると指摘してるのに、今になって「どっちでもいい」って何なの? おそらくイッチは「良い作品で批判する人を黙らせる」というのがズレた意見だということに完全に気付いた。そしてズレた意見をこっそり改変したのもバレた。だけど今さら後には引けんわな~。「どっちでもいいよ」というのは、「そこに触れないでくれ」と同義だと思うが、違うか?え、イッチよ(笑)。
ここで参考資料として以前紹介した動画を再度掲載しよう。
この動画が放送された時は、民主党の横峯良郎の愛人問題が週刊誌やマスコミを賑わせていた時である。スキャンダルの真っ最中の出演だけに、愛人問題が突っ込まれるのは仕方のないところ。それを最初から横峯はマスコミ批判や朝青龍の話題に必死で逸らしている様子がわかる。あまりに話がずれるので、太田光が本題をズバリ聞く。3分25秒の部分である。「じゃあ横峯さんは自分の愛人問題も何もなかったことだと?」。すると横峯は、なんとイッチと同じ発言をするのである。「そんなこと、どうだっていいんだよ!」。いやいや、そこがポイントでしょ。そこがスキャンダルになっているんでしょ。
動画を見ればわかると思うが、要するに横峯はそこに触れて欲しくないのである。この横峯の発言の後、観覧席からは「あ、逃げたな」という意味で笑いが起きている。ちょうどイッチの「どっちでもいいよ」発言のキャプチャー画像を見た私のお客様たちと同じ反応である。忍法「論点ずらし」でござる!ニンニン!
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イッチ 「今日はカレーが食べたいな」
母親 「あんたがそう言うからカレー作ったわよ」
イッチ 「僕はカレーはどうでもいいからオムレツが食べたいと言ったじゃないか!」
母親 「え?! たった今カレーが食べたいって言ったばかりじゃない」
イッチ 「それは母ちゃんの読解力がないからだ!僕はオムレツの意味で言ったんだ!」
母親 「カレーだって言ってたのに、突然どこからオムレツが出てきたのよ」
イッチ 「だいたい、お母さんは13年前に近所のおばさんに僕の愚痴を言ってたでしょ」
母親 「そんなこと言ってないわよ。話を逸らすのはやめなさい。今は夕飯の話をしてるんでしょ」
イッチ 「お母さんが実際に言ってなくても、僕の頭の中では言ったことになってるんだい!」
母親 「バカなこと言ってないで本題に戻すわよ。結局カレーとオムライスどっちがいいの?」
イッチ 「そんなのどっちだっていいよ!」
母親 「いい加減にしなさい!あんた夕飯抜き!」
イッチ 「ぎゃふん」
(続く)
Category: 虚言を弄して逃げ惑うイッチの醜態
虚言を弄して逃げ惑うイッチの醜態 4
やっと本題に入ることが出来る。
再度、確認しておきたい。今回のこの問題を端的に述べると、イッチの ①読解力の欠如に起因するズレた意見と、それを指摘された際の ②虚偽による論理のすり替え、この2点に集約される。そして自分の非を認めることが出来ない自己愛性人格障害がいかに支離滅裂な言い訳を述べるか、その醜態こそが、読者の皆さんに注目してもらいたいハイライトである。
まず事の発端は、私がツイッター上にて、デマやウソが跋扈している状況を改善したい、特に作品の内容とは関係ない部分でデマを流している連中を批判していたことに始まる。その様子を見たイッチが以下のようにツイートしてきた。

イッチ発言① 「良い作品を作って、今まで自分の作品を貶してきた人間を黙らせる方が生産的ではないでしょうか?」
しかし、私が批判対象としているのは前述のように作品の内容とは関係ない部分でデマやウソを流している連中なので、はっきり言って、これは読解力の欠如を起因とした的外れな意見なのである。そこで私は以下のように返答した。
「私が批判の対象としているのは、そういった作品の良し悪しとは関係ない部分でデマを流布させている人たちであるというのもご理解頂ければ幸いです。」
私がこのように説明しているにも関わらず、依然として「良い作品を出せば批判者にも評価される」というツイートを送ってくる。コイツ私の説明が全く理解できていないな。だから私はイッチを「ズレたことを言ってくる」と評したのである。それに対するイッチの反応が以下である。

イッチ発言② 「『どんな良いものを出しても買わない』と言ってる人が何を言おうと、良いものを作ってりゃ他の人は買ってくれるし、(中略)生産的でしょ」という意味で言ったのに。
イッチ発言①を受けての私の返答に対し、イッチ発言②だという意味なのに「読解力がないのね」と、逆に批判をしてきた。つまり読解力さえあれば、イッチ発言①はイッチ発言②という意味だと理解できるのに、私が出来なかった、私の落ち度だとイッチは言っているのである。しかし、かような批判が成り立つには、内容的に「イッチ発言①=イッチ発言②」でなければならない。再度、二つの発言を見てみよう。
イッチ発言① 「良い作品を作って、今まで自分の作品を貶してきた人間を黙らせる方が生産的ではないでしょうか?」
イッチ発言② 「『どんな良いものを出しても買わない』と言ってる人が何を言おうと、良いものを作ってりゃ他の人は買ってくれるし、(中略)生産的でしょって言」った。
果たして読者のみなさんは、上記の二つの内容を見て、同じ意味だと思うだろうか? 私はイッチ発言①の後に、イッチ発言②を読んで、コイツきったねー、最初とちげーじゃん、論理を改変してんじゃん、と普通に思った。しかしイッチは改変していないと言う。イッチ発言①はイッチ発言②の意味だった、これを理解できないのは読解力がないからだと言うのである。このブログの読者の方々は上記の二つが同じ意味に読めるか? さて、少し長くなるが、参考文献から引用しよう。
「彼ら」の会話-自己愛性人格障害一考察
【「自分は正しい」を中心にすえるから論点がずれる。「彼ら」は会話の中で「主格」「目的格」をずらす。会話の主旨を理解できていない。故意にしろ無意識にしろ国語力がない。矛盾を指摘すると「そんな事言ってない」か「そんな意味じゃない」で「どんな意味か」を聞くと 言わずに「お前に何故わざわざ説明しなくちゃいけない。言わなくても「普通の人間」はわかるはずだ。だからお前は「普通じゃない」。」ここで同じ土俵で戦おうと、「言わないと普通の人間でもわからないよ。」とでも言いようものなら、そこからまた話はずれまくる。】
イッチの今までの言動はこの引用部分に凝縮されているが、まずここでは『「主格」「目的格」をずらす』に焦点を当ててみたい。再度イッチの2度の発言を見てみよう。
イッチ発言① 「良い作品を作って、【今まで自分の作品を貶してきた人間を(主格)】【黙らせる(目的格)】方が生産的ではないでしょうか?」
イッチ発言② 「『どんな良いものを出しても買わない』と言ってる人が何を言おうと、良いものを作ってりゃ【他の人は(主格)】【買ってくれる(目的格)】し、(中略)生産的でしょって言」った。
イッチ発言①と②で主格も目的格も両方まるっきり改変されている。つまりどういう事かと言うと、全く別の意味を成す文ですよということである。イッチは、イッチ発言①を批判されたので、いやそれはイッチ発言②の意味だったと釈明している。この釈明が成立するにはイッチ発言①を言い換えたイッチ発言②がイコールで結ばれなければならない。ところが主格も目的格も異なる全く別の意味の文章になっている。
というか、こんな文法的な話をしなくても、普通に読めばイッチ発言①とイッチ発言②の意味が違うことくらい日本人なら瞬時にわかるだろう。何も特別な読解力を要するものではない。それとも実はイッチは日本人じゃなかったりする? イッチ発言①を批判されたので慌ててイッチ発言②に改変しているじゃないか。先に引用した「自己愛性人格障害一考察」の言葉を借りるなら、『「自分は正しい」を中心にすえるから論点がずれる。「彼ら」は会話の中で「主格」「目的格」をずらす。矛盾を指摘すると「そんな意味じゃない」』と言うのである。おお、ビンゴじゃん(笑)
(続く)
再度、確認しておきたい。今回のこの問題を端的に述べると、イッチの ①読解力の欠如に起因するズレた意見と、それを指摘された際の ②虚偽による論理のすり替え、この2点に集約される。そして自分の非を認めることが出来ない自己愛性人格障害がいかに支離滅裂な言い訳を述べるか、その醜態こそが、読者の皆さんに注目してもらいたいハイライトである。
まず事の発端は、私がツイッター上にて、デマやウソが跋扈している状況を改善したい、特に作品の内容とは関係ない部分でデマを流している連中を批判していたことに始まる。その様子を見たイッチが以下のようにツイートしてきた。
イッチ発言① 「良い作品を作って、今まで自分の作品を貶してきた人間を黙らせる方が生産的ではないでしょうか?」
しかし、私が批判対象としているのは前述のように作品の内容とは関係ない部分でデマやウソを流している連中なので、はっきり言って、これは読解力の欠如を起因とした的外れな意見なのである。そこで私は以下のように返答した。
「私が批判の対象としているのは、そういった作品の良し悪しとは関係ない部分でデマを流布させている人たちであるというのもご理解頂ければ幸いです。」
私がこのように説明しているにも関わらず、依然として「良い作品を出せば批判者にも評価される」というツイートを送ってくる。コイツ私の説明が全く理解できていないな。だから私はイッチを「ズレたことを言ってくる」と評したのである。それに対するイッチの反応が以下である。
イッチ発言② 「『どんな良いものを出しても買わない』と言ってる人が何を言おうと、良いものを作ってりゃ他の人は買ってくれるし、(中略)生産的でしょ」という意味で言ったのに。
イッチ発言①を受けての私の返答に対し、イッチ発言②だという意味なのに「読解力がないのね」と、逆に批判をしてきた。つまり読解力さえあれば、イッチ発言①はイッチ発言②という意味だと理解できるのに、私が出来なかった、私の落ち度だとイッチは言っているのである。しかし、かような批判が成り立つには、内容的に「イッチ発言①=イッチ発言②」でなければならない。再度、二つの発言を見てみよう。
イッチ発言① 「良い作品を作って、今まで自分の作品を貶してきた人間を黙らせる方が生産的ではないでしょうか?」
イッチ発言② 「『どんな良いものを出しても買わない』と言ってる人が何を言おうと、良いものを作ってりゃ他の人は買ってくれるし、(中略)生産的でしょって言」った。
果たして読者のみなさんは、上記の二つの内容を見て、同じ意味だと思うだろうか? 私はイッチ発言①の後に、イッチ発言②を読んで、コイツきったねー、最初とちげーじゃん、論理を改変してんじゃん、と普通に思った。しかしイッチは改変していないと言う。イッチ発言①はイッチ発言②の意味だった、これを理解できないのは読解力がないからだと言うのである。このブログの読者の方々は上記の二つが同じ意味に読めるか? さて、少し長くなるが、参考文献から引用しよう。
「彼ら」の会話-自己愛性人格障害一考察
【「自分は正しい」を中心にすえるから論点がずれる。「彼ら」は会話の中で「主格」「目的格」をずらす。会話の主旨を理解できていない。故意にしろ無意識にしろ国語力がない。矛盾を指摘すると「そんな事言ってない」か「そんな意味じゃない」で「どんな意味か」を聞くと 言わずに「お前に何故わざわざ説明しなくちゃいけない。言わなくても「普通の人間」はわかるはずだ。だからお前は「普通じゃない」。」ここで同じ土俵で戦おうと、「言わないと普通の人間でもわからないよ。」とでも言いようものなら、そこからまた話はずれまくる。】
イッチの今までの言動はこの引用部分に凝縮されているが、まずここでは『「主格」「目的格」をずらす』に焦点を当ててみたい。再度イッチの2度の発言を見てみよう。
イッチ発言① 「良い作品を作って、【今まで自分の作品を貶してきた人間を(主格)】【黙らせる(目的格)】方が生産的ではないでしょうか?」
イッチ発言② 「『どんな良いものを出しても買わない』と言ってる人が何を言おうと、良いものを作ってりゃ【他の人は(主格)】【買ってくれる(目的格)】し、(中略)生産的でしょって言」った。
イッチ発言①と②で主格も目的格も両方まるっきり改変されている。つまりどういう事かと言うと、全く別の意味を成す文ですよということである。イッチは、イッチ発言①を批判されたので、いやそれはイッチ発言②の意味だったと釈明している。この釈明が成立するにはイッチ発言①を言い換えたイッチ発言②がイコールで結ばれなければならない。ところが主格も目的格も異なる全く別の意味の文章になっている。
というか、こんな文法的な話をしなくても、普通に読めばイッチ発言①とイッチ発言②の意味が違うことくらい日本人なら瞬時にわかるだろう。何も特別な読解力を要するものではない。それとも実はイッチは日本人じゃなかったりする? イッチ発言①を批判されたので慌ててイッチ発言②に改変しているじゃないか。先に引用した「自己愛性人格障害一考察」の言葉を借りるなら、『「自分は正しい」を中心にすえるから論点がずれる。「彼ら」は会話の中で「主格」「目的格」をずらす。矛盾を指摘すると「そんな意味じゃない」』と言うのである。おお、ビンゴじゃん(笑)
(続く)
Category: 虚言を弄して逃げ惑うイッチの醜態
虚言を弄して逃げ惑うイッチの醜態 3
さて、いよいよ本題である。
この問題を端的に述べるなら、イッチの ①読解力の欠如に起因するズレた意見と、それを指摘された際の ②虚偽による論理のすり替え、この2点に集約される。自分の言動の矛盾を指摘されると、イッチは必至に「ズレてない!」「すり替えてない!」「キーッ!」となっているので、それを過去のツイートを元に私が冷静かつ丁寧に証明している、というのが基本的な流れである。
最初に指摘された段階で素直に認めれば良かったのだが、自己愛性人格障害は自分の否を認めることが出来ない障害なので、次々に前後で矛盾する言い訳と一般では通用しない論理を繰り出している。その虚偽を弄して逃げ惑う様が今回の最大の見どころである。普通の人にとっては何故ここまで論理破綻してることを強弁するのだろうと不思議に思うかもしれないが、世の中にはこのテの種類の人が少なからず存在するということで、よく読んで参考にして欲しい。
前二回で書いてきた通り、イッチが自分の話題から逸らすために敢えて捻出した私への批判も、根拠や証拠が希薄な単なるウソと捏造と被害妄想の産物である。最近、野村貴仁がテレビで清原に関する証言を行なっているが、インタビュアーと話がかみ合わない部分が散見され、かつ以前言っていたことと違うことを証言したりと、いまひとつ信憑性に欠けると指摘されている。野村貴仁やイッチのように、話が噛み合わず前後の言動に矛盾が生じると、他の言動も怪しいと思わざるを得ない。
一般に虚言癖の連中は本能的にウソをついた挙句、ウソを言っている自覚がないという厄介な連中である。現段階でイッチに自覚があるのかどうか不明だが、書いてる内容が論理破綻している点では野村貴仁と同じである。しかし、それでも、逮捕前の清原和博が堂々と「やってません」とテレビで断言していたように、イッチもけして自分の非を認めることが出来ないところが怖いところである。「風邪薬とかはやりましたけど」「自分を恨んでいる奴らが言ってるだけ」などと虚言を弄して逃げるしかない。
それにしてもイッチって面白いねえ。
「ミラードとトレードしていた人から提供してもらった」が、イッチの脳内を経由すると「マスターをミラードから借りた」に変換されるし、こっちが心にもないことをイッチの脳内では言ったことになり、さらに自分が書いてもないことをイッチの脳内では書いたことになっている。これらが、まるで、幻覚や幻聴のようにイッチの脳内に次々と浮かんでくるのだろう。いわゆる禁断症状からくるフラッシュバックというやつ? いや、もちろんこれは冗談だが、症状としては同じである。私が「コイツとは話にならんな」と感じた理由が皆さんにも理解していただけたと思う。
今まで読んできてくれた読者の方々は既にお気付きかと思うが、イッチが本題からズレたことを、何の証拠も提示せず、ただの被害妄想で私を批判しているのに対し、私は過去のイッチのツイートを画像で張り付けて(これが面倒なんだわ)、実際の発言に基づいて批判している。他人を批判する際は慎重にならねばならない。憶測で批判しては冤罪を生み出すことになる。ましてやイッチのように脳内で都合良く変換するなど論外である。イッチのように憶測や被害妄想で相手を批判できるなら何でもアリになってしまう。事実に基づき、証拠を提示した上で批判する、これは相手を批判する際の最低限のマナーであろう。その最低限のマナーすら遵守できないイッチには他人を批判する資格はない。ただのチンピラのイチャモンである。
では、次項から具体的な話に入ろう。
この問題を端的に述べるなら、イッチの ①読解力の欠如に起因するズレた意見と、それを指摘された際の ②虚偽による論理のすり替え、この2点に集約される。自分の言動の矛盾を指摘されると、イッチは必至に「ズレてない!」「すり替えてない!」「キーッ!」となっているので、それを過去のツイートを元に私が冷静かつ丁寧に証明している、というのが基本的な流れである。
最初に指摘された段階で素直に認めれば良かったのだが、自己愛性人格障害は自分の否を認めることが出来ない障害なので、次々に前後で矛盾する言い訳と一般では通用しない論理を繰り出している。その虚偽を弄して逃げ惑う様が今回の最大の見どころである。普通の人にとっては何故ここまで論理破綻してることを強弁するのだろうと不思議に思うかもしれないが、世の中にはこのテの種類の人が少なからず存在するということで、よく読んで参考にして欲しい。
前二回で書いてきた通り、イッチが自分の話題から逸らすために敢えて捻出した私への批判も、根拠や証拠が希薄な単なるウソと捏造と被害妄想の産物である。最近、野村貴仁がテレビで清原に関する証言を行なっているが、インタビュアーと話がかみ合わない部分が散見され、かつ以前言っていたことと違うことを証言したりと、いまひとつ信憑性に欠けると指摘されている。野村貴仁やイッチのように、話が噛み合わず前後の言動に矛盾が生じると、他の言動も怪しいと思わざるを得ない。
一般に虚言癖の連中は本能的にウソをついた挙句、ウソを言っている自覚がないという厄介な連中である。現段階でイッチに自覚があるのかどうか不明だが、書いてる内容が論理破綻している点では野村貴仁と同じである。しかし、それでも、逮捕前の清原和博が堂々と「やってません」とテレビで断言していたように、イッチもけして自分の非を認めることが出来ないところが怖いところである。「風邪薬とかはやりましたけど」「自分を恨んでいる奴らが言ってるだけ」などと虚言を弄して逃げるしかない。
それにしてもイッチって面白いねえ。
「ミラードとトレードしていた人から提供してもらった」が、イッチの脳内を経由すると「マスターをミラードから借りた」に変換されるし、こっちが心にもないことをイッチの脳内では言ったことになり、さらに自分が書いてもないことをイッチの脳内では書いたことになっている。これらが、まるで、幻覚や幻聴のようにイッチの脳内に次々と浮かんでくるのだろう。いわゆる禁断症状からくるフラッシュバックというやつ? いや、もちろんこれは冗談だが、症状としては同じである。私が「コイツとは話にならんな」と感じた理由が皆さんにも理解していただけたと思う。
今まで読んできてくれた読者の方々は既にお気付きかと思うが、イッチが本題からズレたことを、何の証拠も提示せず、ただの被害妄想で私を批判しているのに対し、私は過去のイッチのツイートを画像で張り付けて(これが面倒なんだわ)、実際の発言に基づいて批判している。他人を批判する際は慎重にならねばならない。憶測で批判しては冤罪を生み出すことになる。ましてやイッチのように脳内で都合良く変換するなど論外である。イッチのように憶測や被害妄想で相手を批判できるなら何でもアリになってしまう。事実に基づき、証拠を提示した上で批判する、これは相手を批判する際の最低限のマナーであろう。その最低限のマナーすら遵守できないイッチには他人を批判する資格はない。ただのチンピラのイチャモンである。
では、次項から具体的な話に入ろう。
Category: 虚言を弄して逃げ惑うイッチの醜態