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ワンダーラスト運営日記

ほとぼりさめるまで1年くらい西新宿から遠ざからなきゃならない。

 

歴史の目撃者 

昭和41年ビートルズの日本公演5回全て見たという人が、私が知るだけで3人いる。取引先のお店の店主は、クラプトンのレインボー・コンサートを見ている。休憩時間にカウンターでお酒を飲むジョージとパティを目撃したという。先日、デヴィッド・リンチ主催のイベント「CHANGE BEGINS WITHIN」の映像が発売になった。2009年ニューヨークのラジオ・シティ・ホールで収録、私はこの場にいた。

星加ルミ子さんは、バイク事故で入院中のディランを見舞い、ブライアン・ジョーンズと電話で話し、1966年ビートルズ全米公演に同行したのみならず、あろうことか、レコーディング中のビートルズのスタジオまで訪れている。ちなみに私が所有している『RUMI TAPE』には星加さんのサインが入っている。さすがにサインをもらうときは苦笑いされたが。

歴史的な場面に遭遇する幸運は、後からそれが歴史的だとわかるだけに、リアルタイムではそこまで感慨がないかもしれない。後から振り返って、すごい場面に臨場したと思うものであろう。

1990年3月、ポール・マッカートニー来日公演。ビートルズ来日が1966年だから、24年後に実現したソロ初来日公演である。当時ですらビートルズを見たというと、あの白黒映像の古い時代の話だったのが、今は、このソロ初来日公演がそれと同じレベルで語られるくらい時代が進んでいる。私はこの初来日公演を見ているが、それは、当時ビートルズを見たという中年の方々と同じように、歴史の目撃者として若いファンに思われていることだろう。

ポールは75歳である。もう後5年後にはこのような大規模なツアーはやっていまい。ポールが当たり前のようにいて、毎年のようにツアーを行ない、日本にやってくる。そんな現在が永遠に続くはずがない。そして、それは遠くない未来に終わりがやってくるギリギリの話なのである。

思い返せば、ベルリンの壁崩壊、金日成死去、チェルノブイリ事故、冷戦終結、昭和の終わり、その時々は深い感慨はなかったが、今振り返ると世界史上の大きな出来事であった。そう考えると、無駄な体験などない、すべて歴史的な出来事ではないかとすら思えてくる。

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当たり前ではない世界 

私が小さい頃、テレビでは大橋巨泉が活躍し、山城新伍がチョメチョメ言っており、愛川欽也司会の「なるほど・ザ・ワールド」を見ていた。いずれ三方も既に鬼籍に入って、テレビで見ることはできない。昼には普通にやっていた「笑っていいとも」が、今はもう別の番組に代わっている。ビートたけしはこの30年あまり、毎日テレビに出演しているが、その内、見れなくなる日もくるだろう。タモリのように才能あふれるタレントが今後出てくるかどうかわからないが、いずれタモリを知らない世代も出てくるだろう。そう考えると、人の人生とはいかに短いものかというのがわかる。やしきたかじんが死んでもう数年が経とうとしている。あれほど飲み歩いていた北新地では、もう話題に出ることも少ないという。

今、ある、当たり前の風景が、数年後にはなくなるかもしれない。

自分がハタチの頃を考えてみる。私は大学生であった。それが、つい最近の出来事のようにフルカラーで鮮明に思い浮かべることが出来る。それが既に25年前である。そして同じだけ人生を往復したら、私は70歳になる。本当に人生の短さに愕然とする。人生において、何か無駄なことをしている時間というのはないのではないか。本当にそんな気がしてならない。

大抵、普通の人は、死後100年もすれば存在自体がなくなってしまう。歴史上の偉人でもない限り、市井の人々は歴史の波に呑まれ消えてしまう。例えば私の祖父は明治40年生まれだが、私が死んでしまえば、直接本人と会った人はこの世からいなくなってしまう。その繰り返しかつ蓄積が歴史なのだろう。日露戦争の旅順陥落作戦で命を落とした多くの日本兵、アウシュビッツで山積みにされた死体、あまりに数が膨大で実感がわかないが、そのひとりひとりに親がいて、家族がいて、その人自身の人生があったのである。しかし、今、誰がその時々の一介の犠牲者に想いを馳せる人がいるだろうか。

私は、人生において、こんな楽しい時があるのだろうか、こんな幸福を感じる時があるのだろうか、できればこのまま未来永劫変わらずこれが続いて欲しいと願う瞬間が多々あった。しかし皆、年をとり変わらざるをえない。ビートルズの4人が、それぞれ結婚し、家族が出来、環境が変わり、いつまでもモップヘアのボーイズではいられなかったように、いつまでも同じ場所で居続けることはできないのである。

今、当たり前のようにある風景が、実は当たり前ではない、そんな当然の事を考えている。


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訂正(4人ではなく5人) 

今、このブログが局地的に話題となっているらしい。
西新宿に来るお客さんは、大概みんなこのブログを読んでいて、
マニアが集まる酒席やオフ会などでA氏だB氏だと、格好の話題を提供しているようだ。
自分で書いててなんだが、面白いもんね(笑)

ここでひとつ訂正がある。
以前、「カタギに迷惑をかけるヤクザは任侠道に悖る半端者」において、
A氏、B氏、C氏、ブートレガーよっしーの4人が居酒屋で集まっていたと書いた。
これは、私の情報収集不足であった。
実は、4人ではなく、5人だったそうだ。
つまりD氏が存在する。

D氏とは私は会ったことがないのはもちろん、メールなどでもやりとりはない。たぶん。
もしかしたら、その人と知らずに過去にやりとりはあったかもしれないが、
今回、存在を知らなかったことからも、その程度の関係である。

あと、もうひとつご報告。
最近の私のブログの記事を受けて、
小心者ビビりブートレガーよっしーからカタギの方々には、
今のところ何も特に言ってきていないとのこと。
言ってきたところでブログのネタになるだけだから賢明な判断だ。
ま、もし何かあるなら、私に直接言ってくれたまえ。

それから Sound City 69がアカウント消したな。
嘘をつくだけついて、本当にトンズラしたようだ。
どうするよ、ブートレガーよっしー。
おまえハシゴ外されちゃったぞ。


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C氏からの手紙 

タイトルは吉田拓郎ふうに。

A氏とB氏に半狂乱で冤罪をなすりつけた、
小心者ビビりブートレガーよっしー。

「拙者の正体はブートレガーなり」
「あれは我の録音であるぞ」
「武道館は壁が薄いでござる」

このような講釈を受けた場に、
A氏やB氏と同席していたC氏にはどうか、
本人に確認してみたところ、昨日、C氏から返事を頂いた。
ちなみにユダ氏とC氏は別人である。

C氏は、特にブートレガーよっしーから詰問は受けなかったと返事がきた。

ブートレガーよっしー君。
申し訳なかった。私の勇み足であった。
君はA氏とB氏を犯人扱いしたが、
C氏に対しては、なんらアクションは起こしていない、
それが本人から確認できた。
ここに訂正と謝罪をいたします。

*****

このように、間違っていたら、
普通に訂正して謝れば良いではないかと思う。
それは何も恥ずかしいことではない。
なぜこのような、人として当たり前のことが、
30歳を超えたいい大人のブートレガーよっしーに出来ないのか。
それが不思議で仕方がない。
こんなの、年齢性別職業ツベルクリン反応の有無関係なく常識だろう。

むしろ、訂正も謝りもせずに、
また別の冤罪や誹謗中傷を重ねる。
そちらの方が恥ずかしい。
恥ずかしいというか、頭がおかしい。


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恋を抱きしめよう 

先日、A氏と10年以上ぶりにきちんと会ったという話を書いた。その間、お互い生活環境は変わったけれど、ブランクを感じさせない和やかな再会で、とても有意義な時間であった。今後、少しづつ離れていた時間を埋めていきたいと思っている。私が意識的に距離を置いていた気持ちを汲んで、あえてそっとしておいてくれたこと、「購入することで、微力ながら協力していたよ」と言われた時には泣きそうになった。そしてもうひとつ、以前の友人たちが、とても私の事を心配していること、会いたいと言ってくれていることを聞いて、自分の不義理を申し訳なく胸が痛んだ。

私は今年で45歳になる。ちょっと早いかもしれないが、そろそろ人生をどのように締めくくるか考えている。これから新しい関係を築くよりも、旧友とまた、あの素晴らしい時間を取り戻したいと思うようになったのである。「恋を抱きしめよう」の歌詞にあるように、人生は短い。喧嘩やいざこざをしている無駄な時間はない。そのように思えるようになった。このブログを読み返すと、今の私は非常にトゲトゲしく、鋭利な刃を剝き出しにしている。今後は少し穏やかに生きてみたいなと。

今までツイッターを通して何人ものお客様と交流し、そして実際にお会いしている。周囲の偏見もあろうから、どちらかといえばそれを隠すような感じであったが、今後は相手の了承が得られれたものに関しては、それもオープンにしていきたいと思っている。ブートレガーよっしーは当然A氏とB氏が誰だかわかるだろうし、私も彼に隠す必要はないと思ってあえて書いている。またA氏からは、コレクター仲間で私と会いたいと言っている友人がいるから、今度会う時に連れてきていいかと聞かれた。もちろんオッケーだ。

ジョージの人生が今、まさに終わらんとしているときに、ロスの病院にリンゴとポールがかけつけた。そして一切の関係者を排し、3人だけの時間を作ったという。ポールとジョージの確執がどの程度のものだったかはわからない。ただ時間の経過と共に、人生の終焉に於いて、ビートルズの仲間に戻る時間を作ったことは素晴らしい事だと思った。

小林繁と江川卓は、数十年の間、お互い話をすることがなかったという。そして「空白の一日」から約30年後に、たまたま黄桜のCMの企画で初めて会話を交わした。小林繁はその後すぐに死去してしまった。会話を交わさないまま小林が死んでいたら、江川は一生後悔することになっただろう。偶然とはいえ、話す機会を作ってもらえて感謝しているのではないか。その時も小林繁は述べている。「どのように人生を終えようか考えている」と。

古代ギリシャの遺跡に「最近の若い者は・・・」と刻んであったというジョークだか事実だかわからない話が流布しているが、時代は繰り返す。還暦手前の渡辺久信や工藤公康が「新人類」と呼ばれていた時代もあった。そんな彼らは監督として若い選手に対し、「最近の若い選手は・・・」と愚痴っていたことだろう。時代はまわっていて、いずれ誰しもが年をとる。

最近、お客様のひとりから、近日中に一席設けましょうと話をいただいた。今までも親しくして頂いて、二人きりで飲んだこともある。お忙しい中、わざわざ時間を作って私などと会いたいと言ってくれるのは非常にありがたいことだ。そして、その方に今、非常に重要なお願いをしている。内容は明かせないが、私の方向転換の重要なポイントとなるであろう。本人の了承を得られれば、今後差し支えない範囲でそのことも書きたいと思う。

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