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ワンダーラスト運営日記

ほとぼりさめるまで1年くらい西新宿から遠ざからなきゃならない。

 

怖い世の中だあねえ 

「田中」が今、ツイッターをやっているお客の事を嗅ぎまわっているという話だ。
何が目的か知らないが、あんなヤカラに嗅ぎまわられたら、
そりゃあ、あんた、不気味だわねえ。

あくまで仮定の話で、私だったらどうするかな。
合法的な手段だと、例えば対象者が1986年生まれだと高校卒業が2004年。
名簿業者から、その年の群馬県の各高校の卒業者名簿を片っ端から買う。
わずか数千円で買える。
同姓同名など、そういないから、その中でヒットするはずである。
実家の住所と電話番号が判明したら、後はいかようにでもなる。
そこから後はダダ漏れである。

それに、突然、面倒くさいキャラの私から電話がかかってきて、
オタクの息子に誹謗中傷、業務妨害の被害を受けているなどと言われたら、
普通の親御さんはビビる。ましてや小心者ビビりの親ならビビる。

あら、息子は東京で普通に会社勤めをしているかと思っていたのに、
何やら怪しい仕事に手を染めているみたいだわ、ブートって何?と、
そりゃ親子そろってビビりますわな。
面白いかもー

非合法な手段は私は知らないが、
個人の特定は債権回収業者や闇金の人たちがノウハウを持っていて、
どうやって調べたのと驚くくらい、夜逃げしてもすぐに見つけられるらしい。

怖い世の中だあねえ。

Category: 店長が偽名の怪しい店

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民主主義の世界 part 4 

さて、A氏との再会で、話題がかなり脱線したが、再び「民主主義の世界」に戻そう。
というか話が飛び過ぎてタイトルと内容が合致しなくなってきた。。。

イスラム国に日本人が拘束され、ビデオメッセージが流された。冒頭では「MESSEGE FOR JAPAN」というテロップが流された。その画面を見たとき、得も言われぬ嫌な気分になった。胸がどんよりした。そうか、彼らから見て日本は敵国であり、テロの対象となっているのかと。確かにアメリカに追従し、「そちら側」の一員として自衛隊を派遣している。立派な敵国である。少なくとも敵国の一味である。

そもそも自衛隊などと言っているのは日本人だけで、日本以外の国から見れば立派な「日本軍」である。正式文書ではともかく、普通の英語の会話の中ではJAPAN ARMY、JAPAN NAVYである。自衛隊を軍隊ではないというのは無理があるし、日本人の私から見ても詭弁だと思う。しかしそれを違憲な存在だからなくせというのが共産党なら、きちんと法整備をして軍隊として位置づけてあげようと思うのが普通の国際感覚を持ち合わせている人だろう。

先日、強烈なモンスターペアレントの記事を読んだ。自衛官を息子に持つ母親で、名前を「平和子(タイラカズコ)」と言う。もちろん平和(へいわ)と引っかけた偽名である。息子が自衛隊員で、南スーダンに自衛隊員を派遣するのは違憲であると提訴した。息子は肩身が狭いのではないか。自衛隊に志願するくらいだから息子は命を国家に捧げる覚悟ある立派な青年だと思われる。そして名称こそ自衛隊だが軍隊組織である以上、上官の命令に従わねば統率がとれぬ。南スーダンだろうが被災地だろうが、自衛隊員として命令に従うのが筋である。仕事なのだから。少なくとも自衛隊を辞める自由はあるのだから。この平和子の話を聞いていると、息子は自衛隊で給料をもらいつつ仕事はさせないでくれと言っているようなものだ。

阪神淡路大震災や東日本大震災などで自衛隊の活躍ぶりをみて、国民は非常に感謝しているはずである。しかし一昔前までは、少なくとも私が幼い頃は、自衛隊は軍隊、つまり違憲な存在だという偏見が残っていた。自衛隊員は制服で出歩くことも出来ず、近所には職業を隠さねばならないといった、世界の潮流とは逆の立場におかれていた。防衛大臣は「君たちが目立たないことが、すなわち平和で良いことだと考えて欲しい」と、正論でありながら少し隊員が可哀想な訓示を行なっていた。

安倍総理が在任中にして欲しいことは、自衛隊をきちんと法的に位置づけて欲しいという点である。憲法解釈の妙でグレーゾーンに置くのではなく、きちんと軍隊として法整備をして欲しい。軍隊である以上、日本の法律とは別次元で動かなければならない時もある。例えば敵前逃亡は軍隊において重罪だが、その際に基本的人権の尊重だの、生存権だのを主張されては、職務に馴染まない。それが前述の平和子である。

法整備が政治家文民の仕事なら、我々国民の間では自衛官を尊敬する意識が欲しいと思う。これは我々国民ひとりひとりの意識の問題でもあり、また啓蒙を担うメディアの仕事でもある。少なくとも国内は平和な世の中で、命を賭すような職業はほとんどない。その少ないうちのひとつが自衛官である。自衛官は国防という重要な任務を危険を顧みず担ってくれているのである。仮に死すことがあっても、残された家族には生涯生活に困らない充分な恩給が与えられ、自らは靖国神社の英霊として名誉を与えられる、このような体制が整っていれば、私だったら心おきなくスーダンだろうがどこだろうが行き、国家を守っているという誇りに満足感あふれ職務に邁進できる。

今の政治家の中では、安倍総理しかこれを実現できそうにない。あるいは石破さんか。自衛隊の法と名誉を一刻も早く整備してもらいたいと思っている。

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引退 

マジでこの業界から引退したくて、
いくつかの同業者さんに在庫を全て買い取ってもらえないかと打診している。
たぶん2~3年でペイする額なので、お互い損な取引ではないと思う。
同業者でなくても、脱サラしてやってみたいという人がいたらコメント欄から連絡ください。



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つまり 

ここ数日、書いていることをまとめると。。。

先週、A氏と会ったことが、非常に私にとって転機となった。心境に大きな変化を与えられた。10年以上疎遠になっていたが、その間も気持ちは離れず、久しぶりにちゃんと会ったら、その間の期間がまるでなかったかのように話せたこと。転勤の送別会の事とか、私が忘れていたようなことまで覚えていてくれていた。それから、かつての友人たちが私の事を心配しているとA氏から聞いたこと。みな私の方から疎遠にしていただけに、不義理は私である。それでも私の事を気にかけてくれていたというのはおこがましいが、忘れないでいてくれたということ。まるで私がピーで、タイガースの「Long Good-bye」を聴いたような感じだった。

そして、もうひとつ、A氏は私と同い年だが、お互い当時とは生活環境に大きな変化があったことで、急に年齢を意識するようになった。死去した有名人の年齢を見ると、ジョンレノンは40歳、外見があんなオッサンの梶原一騎でも50歳である。自分に残された時間が後どれだけなのかわからないが、少なくとも折り返しているはずである。老齢期が余生であるならば、アクティヴに生きられるのもせいぜい20年であろう。20年前といえば1997年である。つい最近のことではないか。もうこれからは、少し早いが、ゴールに向かっていく準備や心構えが必要だと感じたのである。

さらに私は、幸福なことに、今までの人生を非常にラッキーだったと思っている。これはポール・マッカートニーも40代の頃、同じことを言っている。人生をひとことで言うなら「ラッキーだった」と。ちょうどシナトラが歌う「MY WAY」の歌詞と同じである。後悔することも少しはあるけれど、それでも総じて好きなように生きてきたのだから、人生に悔いはないと。もちろん、それは、私ひとりの力ではなく、周囲の友人や家族に支えられてのものである。もう私は自分の人生はじゅうぶん堪能させてもらった。今後は、恩返しというか、他者のために生きたいと思っている。

今、共通の知人に依頼して、とある人物と酒席を共にする仲介をしてもらっている。ありがたいことに先方も快諾してくれたようなので、初めて会うのが楽しみである。先方の意思との兼ね合いもあるので確約できないが、とりあえず何らかのご報告はしたいと思っている。これもA氏と再会したことが心境の変化として表れたとしか言いようがない。本当にA氏には感謝している。

今までの人生が下書きだったらと思う。
時間の経つのがあまりに早過ぎる。
もう自分のことはどうだっていい。どうなろうと構わない。
残された人生を、他者のために生きるつもりである。

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死に様 

昨日、ハタチのアイドルの子が突然結婚を発表して話題となっている。直前まで投票を呼びかけ、つまりCDを買ってもらい、大金をつぎ込んだファンたちを落胆させたようだ。このしたたかさ、若いにも関わらず大物かもしれない。ワンダーラストで500枚くらい買ってくれたら、私も握手してやっていいぞ。それにしてもハタチの結婚とは素敵だな。若いと誰もが心配するけれど~。愛が~ある~か~ら~大丈夫なの~。

日教組教育は戦前の反動から「教え子を戦場に行かせない」をスローガンに掲げている。それが行き過ぎて左傾化に振れているのは日本の教育現場の悲劇である。今は随分影響力が落ちたと聞いているが、依然として地域によっては強い組織力を持っている。確かにあの神宮外苑で雨の中行なわれた学徒出陣壮行会の映像は涙なくして見られない。理系を中心に将来の日本を担う人材として徴兵を免れていた学生たちが、戦況悪化に伴い兵士として前線に向かわねばならなかったのである。それでも、日教組教育は間違ってはいないが、極端に行き過ぎている。

沖縄の言葉で「命どぅ宝(ぬちどぅたから)」という反戦スローガンがある。文字の通り、命こそ宝という意味である。しかし私はこれに同意できない。物の例えで「命の次に大切」などと使う例があるが、これにも同意できない。私にとって命とはプライオリティ的には高い位置にない。これは当然のことだ。先日、埼玉県の上尾市で突っ込んできたトラックから子供を庇って死んだ母親がいた。ニュースにもなったのでご存知の方も多いだろう。母親にとって子供は自分の命より大切だった、それだけのことだ。そして何も特別レアな感情ではない。ほとんどの親が子供のためなら死ねると考えているだろう。

以前、韓国人の友人と論争したことがある。「ふふん、いざ有事の時にはアメリカ様に守ってもらえばいいじゃん」とズバリ日本の現状を指摘されて、いやぁその通りだと思った。日本は自主防衛に向かわねばならない。アメリカは同盟国ではあるが、運命までをも共にしてはくれない。最終的には日本人の手で日本を守るしかない。もう私の年齢になると戦力にはならないだろうが、それでもいざ鎌倉という気概は持っている。祖国を守るためならば、爆弾抱えて敵に突っ込んでも構わない。死んだら靖国神社に入れてもらえればそれでよい。むしろそのような国難に私の命が捧げられるなら、死に甲斐があるというものだ。

アメリカで、娘をレイプされた父親が、裁判所に出廷する犯人をライフルで射殺した事件があった。法治国家としては許されないことではあるが、私も心情的には父親側に近い。私はまだ子供はいないが、少なくとも妻のためなら死ねる。妻に何かことあらば、マジで懲役も辞さない。仮に妻が殺されたら、裁判などとかったるいことはやってられん。自分で犯人をぶっ殺す。それくらいの気持ちは常に持っている。命をかけるほどではないにせよ、小心者ビビりブートレガーよっしーがまた狂って私の友人にイチャモンをつけてきたら、私は全力で守るとA氏とB氏には伝えてある。まあ私はケツ持ちのヤクザみたいなもんだ。

命より大切なものは確実にある。
自分の命が一番大切という人は、命より大切な価値観を持たない不幸な人である。そして私も人生の折り返しを過ぎた今、今後は自分のためではなく、家族や友人など、他者のために生きるつもりである。最終的にはどのようにしてこの命を使おうか死に様を模索している。私は今までじゅうぶん幸福な人生だった。もう悔いはない。今後、それに値する価値を見出せるなら、喜んで死にたい。

以下は、新渡戸稲造による「武士道とは死ぬことと見つけたり」という言葉の解説である。

「武士はいかに生きるかと同時に、いかに死すべきかを考える。武士には正しい生き方があるのと同じく、正しい死に方がある。これは命を粗末にしろ言う事ではない。無駄に死ぬ事は武士は犬死と言う。無論、天寿を全うして死ぬのが良いが、もし死なねばならない時に誇りを捨てて、不正義の中に生きることを武士は選ばない。いつでも死ねる勇気を持つことは、武士は正義の中で生きる事を保証する。もし二つの道があり、どちらも同じ成功の可能性があるとすれば、武士はより死ぬ可能性の高い方を選ぶ。死ぬ可能性の低い方を選んでうまくいったとしても、それは小心者ビビりだからである。」


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