このエントリーのコメント欄の反応を見ているとAIに対する思いや、労働の価値についていろんな意見が点でバラバラになって面白いことになっていますね。
私はこのエントリーの内容についてはおおむねあっているのではないかと思いました。
もちろん仕事をしたい人はすればいい。
AIが発達したあとの仕事観はまさにこの考え方だと思います。仕事をする人はAIの労働で社会が成立するようになっていても自分のミッションをもって仕事をしますし、AIが稼いだお金を使って仕事以外でやりたいことをやる人はもちろんそれをやるでしょう。
今までは全員が全員、労働を行うことによって社会を形成する仕組みだったので働かないニートやならずものは白い目で見られていましたが、AIが労働し社会を形成するようになるとそれを人間がやらなくてよくなるため、働かなくても好きなことをすることができるようになるはずです。
例えば、AI化された世の中でももし働きたいと思っている人はおそらく、自分で作ったものを直接売ったりする行為が大半になるかと思います。
このエントリーで「貴族制の復活」というワードが出てきますが、これもAIが労働を肩代わりすることにより、社会全体に富を分配することで可能になります。それがおそらくベーシックインカム制度になりえると私は思います。
詳しくは過去にこの記事でも書きました。
さて、ここからが本題でこういったAIで不要な労働がなくなり、生活が豊かになるという考え方を言うと必ず否定派が湧いて出てきます。
例えば「AIに仕事が取られる」「人は労働しなければならない」「すべての仕事がAI化できるわけではない」「かつての社会主義が富の配分しようとして失敗した」「AIに人類が支配される・・・」など一見否定的な正論を並べて実現不可能だという論調にここでもっていくのは少々ずれている感覚であると言わざるを得ないと思います。
何故かというとこれらすべてが現在と過去の価値観で測って「これは無理」と決めつけから入っているからです。そもそも、この議論の最大の焦点は「人間がやっていた仕事をしなくていい」ということであり、AIが肩代わりできる仕事だけを肩代わりするということです。
なので全部の仕事がなくなるわけではないのにも関わらず、まるで前提として「全部の仕事がAI化される」という勝手な前提を作って否定しているのはナンセンスというわけです。
これは人類有史以来の大革命です。常に古代から人間は労働をしなければ生活ができない状態を過ごしてきました。現代でもこの有史以来の決まり事に従って食う行為を行っているにすぎません。
何百万年も続いているその状態を初めてひっくり返すことができる技術が人工知能なのだと私は思います。
つまり、この話は相当スケールがでかい革新だということを忘れて安直に否定することはバカなことなのです。
論理立てて、自分の頭で考える人がこれからの未来を楽しく生きることができるのではないのでしょうか。「AIに仕事が取られる」など言う人は、自分の頭で考えることができず、AIに交じって一緒に単純作業の仕事をしなければならないかもしれませんね。
それでは今回もこれでお開きです。
※関連記事