遊びまくる!

無職ブロガーのカオスな日記

大便が大きすぎて流れないことについて

f:id:hamaren:20170621215042j:plain

oshiete.goo.ne.jp

大便が大きすぎて流れない。便が便器に詰まる悲劇。また悩める子羊を見つけてしまった。仕事を辞め、日に日に人に対して優しくなる自分がいる。暇は人を天使に変えるのだろうか。そこに悩みが1つあったら、同様の悩みが100あるという。書き込みをした人以外にも同じような苦悩を誰にも話せず、問題を先送りすることで自分をごまかしながら生きている人もいる。カルロス・ゴーンの著書に「答えは会社のなかにある」という本がある。ほとんどの悩みの答えは意外と近くにあるのだ。

大便が大きすぎて流れない

ぼくは小学校2年か3年時代に人生で生まれて初めて流れない大便を見た。掃除当番だったぼくは便所のドアを開けた。半端なかった。その程よい照りと茶褐色のカラーグラデーションがかった糞は、ペダルを何度踏んで水を流そうとしても動かずに鎮座していた。和式便器の真ん中に糞、その両脇を勢いよく流れる水流がトイレットペーパーだけを丁寧に流し切っていた。ここまででぼくの記憶の断片は途切れている。以降、流れない大便(円錐型の大量糞)を幾度か目にするたびにブラシで切っては流し切っては流しの苦痛を味わってきた。

ウンコはタブー

当時、学校内でのウンコはタブーとされていた。ぼくはうんこを学校で我慢できなくなった場合に備えていくつかの作戦を用意していた。

授業中にトイレに行く

まず一つ目が授業中にトイレに行く作戦である。授業中にうんこをするメリットはトイレが貸し切り状態で使用できることに尽きる。優雅にクラスを出て、小走りでトイレに向かい、一気にひり出す。長居は無用とばかりに手など洗わず、100mの世界記録更新をかける選手のような疾風の如き早業をカマす。長くても5分以内で仕事をなさねば、クラスのみんなにうんこをしていたことがばれてしまう恐怖心との戦いでもあった。

カミングアウトする

豪快な男を装い「腹痛てーちょっとクソしてくるわ!」と宣言して周りにいるクラスメートに何気なくカミングアウトする戦法は、不意の便意による肛門テイクオフには持って来いの手法である。度胸を試されるが一度言ってしまえば子どもといえども慣れてしまうものだ。しかしデメリットもある。「あ、俺も!」と同調されて一緒に便所に行く、連れウンになる可能性があるのだ。ぼくもこの連れウン現象に陥ったことがある。この被害を最小限に抑えるための方法もあるが、一度宣言してしまっている以上引き返せないことも多い。どうしても連れウンが嫌な場合は適当なところで排便欲求が収まってきたことにすればいい。そして友達が便所に入っている間に別の便所に駆け込むという忍法変わり身の術に近い技もあることにはある。

まとめ

書いているうちに大便が大きすぎて流れない話から脱線してしまった。まぁいろいろ話してきたが大便の話は尽きないのだ。しかし未だ小学生時代の威風堂々とした重量のある糞のイメージが頭からこびりついて離れないのはなぜなのか不思議だ。糞についてはまだ書きたりない部分もあるが今日のところはこのへんにしておく。快適なうんこLIFEを。