私が男の産後うつ真っ只中だった時、やってみたけれども私には効かなかったことを紹介したいと思う。
(効果のなかったことを紹介するなと言われそうだけれども)
ほら、失敗から学べることってあるじゃない❓😅
私以外の他の人には効くかもしれないしね。
私が失敗したのは、無理にポジティブになろうとしたことかな。
ありがとうを数える人に会う
何かの講演会みたいなところで、「ありがとう」を数える人に会った。
ありがとうを数えると言われてもなんのことかわからないだろうけど、数取器にネックストラップをつけ、なにかあるたびごとに
「ありがとう」
とつぶやき、数を取る、ということをしている人なのだそうだ。
(イメージはこんな感じね)
数取器とは、日本野鳥の会が使っているようなアレのことね。
「なにかあるたび」というのは、具体的には次のようなことらしい。
・何かあったらありがとう
誰かから嬉しいことをしてもらったら、ココロの中で「ありがとう」と言ってカチッとボタンを押す。
・何もなくてもありがとう
(例えば電柱や信号が役目を果たしているだけでも)、ココロの中で(電柱や信号に対して)「ありがとう」と言って、カチッとボタンを押す。
・何かあってもありがとう
(トラブルや嫌なことがあっても、それがあたえてくれる経験や気付きに「ありがとう」と言って、カチッとボタンを押す
私がこれに惹かれたのは、これをすると怒らなくなった、ということを講演者が話していたからだ。
数取器をつけて「ありがとう」というだけで怒りがなくなるなんて、楽でいいやと思ったので真似ることにした。
最初はまずまずの効果
行動を変えると意識も変わる、なんてことを言う人がいるけれども、私も最初の頃はそうだったな。
腹が立つことがあっても「ありがとう」とつぶやけば、物事を多面的に見る必要が納得できるような気がした。
電柱を見上げて「電気を送ってくれてありがとう」とつぶやけば、この世の万物にも役割があって、何一つムダなものなどない、という気持ちに確かになった。
私自身、
「おっ、これはイケるんじゃない❗❓」
と、その効果を確かに感じていた。
でも、「ありがとう」のカウントが1,000回を超えたくらいかな。
だんだんと、なんで私はこんなことやってるの❓という気持ちになってきた。
なぜ私だけが感謝しなければならないのか
私が思うようになったのは、なぜ私だけが感謝しなければならないのか、ということ。
この頃は奥さまから、家事や育児のやり方について、いろいろとご指導を頂いていた時期なのだけれども、
「洗濯物のたたみ方が違うでしょ❗」と言われても、数取器を押しながら
(奥さま……洗濯物のたたみ方を教えてくれてありがとう)
とつぶやいていた。
会社でもそう。
会議でアイデアを出しても、一番年下で後輩の私の意見は受け入れられることは少ない。
それでも
(先輩の貴重なご意見、ありがとう)
などと思いながら、数取器を押していた。
でもだんだんと
みんな、私に好き勝手なことを言うのに、なぜ私は好き勝手なことを言えず、ただ感謝して受け入れなければならないのか。
というモヤモヤした気持ちに覆われるようになって、余計に怒りに囚われてしまった。
それでもういいや、という気持ちになって、数取器は捨ててしまった。
自分が納得していないことを続けることは苦痛
確かに行動を変えると、何かしらの反応が心に生じるのは間違いない。
私の場合も、最初は新鮮だったのだけれども、だんだんと「なぜ私だけが」という気持ちになった。
結局のところ、自分が心底から納得していないことを継続することはできないのだと思う。
その頃の私は、怒りというネガティブな感情にとらわれていた。
そのネガティブな感情にフタをしたまま、無理やり感謝の気持ちを表明すると、私の中の怒りの感情が
「ちょっと❗私(怒り)のことを無視しないでよ❗」
と悲鳴をあげていたのだと思う。
「ありがとうを数える人」にとっては、このやり方はきっと有効なのだろうと思う。話を聞いていても、そこに嘘や誇張があるような気はあまりしなかった。
おそらく、当時の私ほど怒りに囚われていなかったのだろうし、感謝の気持ちを表明することで自分の人生が変わりそうな予感や前経験を、そもそもその方は持っていたのだろうと思う。
だから「ありがとうを数える」という行動が、最後のひと押しになって、その人の人生を変えることになった。
その人にとって、最適なタイミングで、最適な方法に出会えたのだと思う。
そして、他の人はその限りではないというのも真実。
で、私はどうしたのか
こういう話を、私が月イチで通っているカウンセラーさんに話したら
「そりゃあ表面的な行動だけで気持ちが変えられるのならば、苦労はしませんよね」
とさらっと他人事のように言ってくれた😅
(私の気持ちを汲んで、受容してくれたのかもしれないけれども)
そこからカウンセラーさんと、怒りを味わい尽くす、感じ尽くす、ただ眺めるという訓練をするようになったのね。
一言で説明すると、ネガティブな感情にフタをせず、ひたすらにネガティブな感情を出すがままにして、それを見つめるという訓練なんだけどね。
これをやると、怒り自体はなくならないけれども、怒りが早く収まるようになった。
つまり結論
- いくらポジティブ思考であっても、自分が心底納得していないものは続かない
- ポジティブ思考のテクニックが、誰にでも通用するわけではない
- 自分にとって何が効くかは、いろいろやってみて確かめてみるしかない
ってとこかな❓