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 稲田防衛相が、4月に亡くなった渡部昇一・上智大名誉教授の追悼文を月刊誌に寄せた。

 こんな記述がある。

 「先生のおっしゃる『東京裁判史観の克服』のためにも固定概念にとらわれず、『客観的事実はなにか』を追求する姿勢を持つことが大切だ」

 「東京裁判史観」とは何を指すのか、その「克服」とは何を意味するのか――。

 記者会見でそう問われた稲田氏は「客観的事実が何だったか見極めることが必要だ」と繰り返したが、質問にまともに答えたとは言えない。「(自分を)歴史修正主義者とは思っていない」とも語った。

 渡部氏は著書で、東京裁判史観についてこう説明している。

 「戦前の日本が犯罪国家であり、侵略国家であると決めつけた東京裁判の前提を正しいと考える歴史観」

 東京裁判をどう評価するかは立場によってさまざまだろう。「事後法による勝者の裁き」という側面があるのも確かだ。

 だが、日本は1951年のサンフランシスコ講和条約によって東京裁判を受諾し、主権を回復した。戦争責任をA級戦犯に負わせる形で、国としてのけじめをつけ、国際社会に復帰したのだ。

 これは否定することができない歴史の事実であり、戦後日本の基本的な立脚点である。

 歴史家が史実を探り、それに基づいて東京裁判を評価するのは当然の仕事だ。しかし、閣僚が東京裁判に異議を唱えると受け取られる言動をすれば、国際社会における日本の立場は揺らぎ、外交は成り立たない。

 まして稲田氏は自衛隊を指揮監督する立場の防衛相である。自らの主張はどうあれ、国内外の疑念を招きかねないふるまいは厳に慎むべきだ。

 稲田氏は昨年末、防衛相として靖国神社に参拝した。安倍首相がオバマ米大統領と真珠湾を訪ねた直後のことだった。

 戦争で亡くなった肉親や友を悼むため、遺族や一般の人々が靖国で手を合わせるのは自然な営みだ。だが、先の大戦を指導した側のA級戦犯が合祀(ごうし)されている靖国に閣僚が参拝することに、割り切れなさを感じる遺族もいる。

 中国や韓国、欧米など国際社会にも、日本が戦争責任から目を背けようとしているとの疑いを広げかねない。

 安倍首相は歴史認識や政治的主張が自らに近い稲田氏を一貫して重用し、その靖国参拝を容認した。今回の寄稿もまた、不問に付すのか。

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