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 乗客106人と運転士が死亡した05年のJR宝塚線脱線事故をめぐり、業務上過失致死傷罪で強制起訴されたJR西日本の歴代3社長の無罪が確定する。

 現場は事故の9年前に急カーブに変更されたが、JR西が安全装置を付けなかったことが争点だった。最高裁は、JR西管内に同種のカーブが2千以上あるなか、3人が「現場が特に事故の危険性が高いと認識できたとは認められない」として、過失責任を否定した。

 日本の刑法では、過失責任は個人にしか問えない。5千キロ超の路線網を持つ巨大企業で、経営トップが個々のカーブの危険性までチェックすることは現実的に困難だろう。無罪となるのもやむをえない。

 だが、JR発足後の30年間で最悪の犠牲者を出した事故は結局、刑事責任を誰一人負わないことになる。遺族らが割り切れない思いを抱くのも当然だ。

 企業活動による事故は後を絶たない。だが、組織が大きいほど個人の役割は細分化され、捜査や原因調査でも、事故が起きた要因や責任の所在がはっきりしないまま終わるという事態が繰り返されてきた。

 これでは被害者が納得できず、社会の安全向上にもつながらない。今回の事故を教訓に、捜査や原因調査のあり方をどう改善するか考えていくべきだ。

 一部の遺族は、安全管理の不備で事故を起こした企業に巨額の罰金を科す「組織罰」の導入を訴えてきた。加害企業に変革を促す効果が期待される一方、処罰を恐れる企業が真相解明に協力しなくなるのでは、との懸念も指摘されている。

 米国では、加害者の刑事責任を問う捜査よりも、調査機関による原因調査を優先する制度が確立されている。もっとも、遺族らの処罰感情が強いとされる日本で、こうしたやり方が受け入れられるかは未知数だ。

 いずれにせよ、現状維持でよいという選択肢はない。さまざまな方向性について、社会的な議論を深めていきたい。

 言うまでもなく、事故の教訓を最も受け止めるべきなのはJR西日本だ。元社長らの無罪は、乗客の命を守れなかった企業責任を免じるものではない。

 JR西は「安全最優先」の改革を強調するが、見違えるほどの成果が出ているとはまだ言えない。一方で、この春から関西財界の要職に復帰した。事故前に戻るかのような動きに、遺族らの視線は厳しい。

 JR西が果たすべき何よりの責任は不断の安全向上だ。全社員が改めて肝に銘じてほしい。

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