(cache) MEDALIST CLUB
BRAND HISTORY

1人のプロ競輪選手の熱き思い

時速60km超でコンクリートのバンクを駆け抜ける競輪。
その激しい闘いには、選手生命が絶たれるほどのケガがつきもの。
そんなケガで苦しむ先輩たちを目の当たりにして、
1人の現役プロ競輪選手が「選手の体を守る」ウエア開発を決意。
その選手の名は、矢﨑和良。1979年のことでした。
メダリストクラブの第一歩は、こうして踏み出されたのです。

医務室通いから生まれたシャツ

矢﨑が始めたのは、ケガをした選手の血まみれのシャツの検証。
体のどこにどんなダメージを受けるのか、データを集めるためです。
選手が運びこまれる医務室に通い、血染めのシャツを持ち帰る日々。
その数が100を超え、念願のプロテクターシャツが完成しました。
データに基づき、必要な場所に適切なパッドを入れた設計。
選手のケガは激減し、矢﨑の思いは、ここに実を結んだのです。

徹底した現場主義を貫く

有限会社メダリストプランニング社長・矢﨑和良。
彼の口癖は「プロは着てみてダメだったら絶対に使わない。」
そのため製品開発には、プロのアスリート目線を忘れません。
徹底した現場主義で、つねにプロが信頼するレベルの品質をクリア。
その製品開発の思想は、一般向けの総合スポーツウェアに至るまで、
すべてのメダリストクラブブランドの製品に受け継がれています。

ブームに流されず、納得できる品質目指す

メダリストクラブのこだわりは、生産過程にまで徹底しています。
たとえば、自信作の1つ、ウエイトコントロールウェアの誕生には、
企画から開発まで5年、生地の開発に3年の時間をかけています。
また、プロテクター類の耐久テストでは、創業以来、矢﨑社長以下
スタッフが実際に製品を着用、過酷な転倒実験を繰り返しています。
納得できない製品は世に出さない、あくまでその姿勢を崩しません。

プロユースの品質は、機能だけではありません。
「プロのウェアは機能だけでなく、魅せるファッション性が必要。」
矢﨑社長のその信念は、すべての製品ラインナップに生きています。
現在、幅広い競技でプロ選手に愛用されるメダリストクラブの製品。
一過性のブームや価格競争などに流されることなく、
創業の地、東京・八王子からプロ品質にこだわりお届けしています。

プロからの信頼は、ブランド力の源泉

パッドを縫い込んだプロテクターシャツの成功に続き、
メダリストクラブは、レーサーパンツにも"革命"を起こしました。
転倒時、選手と路面の摩擦を最小限にする徹底した生地選び、
あらかじめサドルに跨がることを想定し加工された形状等々。
選手目線を取り入れ、プロ競輪選手からの圧倒的な支持を獲得。
プロからの信頼はメダリストクラブのブランド力の源泉です。

かつて、黒やグレーを基調に地味だったプロ競輪選手のウェアが、
今では、よりカラフルに、よりファッショナブルになっています。
「プロのウェアは機能性と同時に魅せるファッション性も必要。」
そんな矢﨑社長の信念が受け入れられ、メダリストクラブ製品は、
全国約2600名のプロ競輪選手の約95%に使用されています。
その中には、トップで活躍する選手も数多く含まれています。

プロユース 信頼の品質をすべての人に

メダリストクラブというブランド名には、
「メダリストに着てもらえるように」との願いが込められています。
そのために、多くのプロ選手にウェアを提供、ご愛用いただき、
五輪でのメダリストも輩出。名にふさわしいブランドとなりました。
競輪のみならず、ランニング、ゴルフ、サッカー、野球、カヌーなど、サポートさせていただくプロ選手は、様々な競技にわたります。

メダリストクラブのウェアはプロだけのものではありません。
様々なスポーツの愛好者が、各々のステージやフィールドで、
最高のパフォーマンスを発揮できること。
それが、われわれの願いです。
プロ選手が使って、納得し、信頼を寄せる機能性とファッション性。
そんなプロ品質のウェアをすべての人にお届けしたい。
メダリストクラブは、スポーツを愛するすべての人を応援します。