私がはじめて死にたいと情念したのは小学6年の時である。
もっとずばり正確に厳密に申しあげれば、死んだほうがいいのかもしれない、という情念であった。
べつだんイジメやら、交友関係やら、明日の行く末に悩んでいたわけではない。
ではなぜ己の生命欲を放擲したのか。
といえば、母が男性と交際していたからである。
私はシングルマザーの家庭に生まれた。
どうやら昨今では母子家庭というフレーズよりもシングルマザーという横文字が主流なようだ。略してシンママ。となると真ママや神ママみたいでとっても解脱感がありますね。
シングルマザー、ってゆうか片親家庭における子どもの親依存度といったら並大抵のものではない。
私は「家ついってっていいですか?」というテレビジョン番組が好きでよく観ていたのだが、その番組でシングルマザーの一家が出ていた。深更であったが、喧しかったのか子どもが起きた。小学4,5年生くらいだったと思う。そのさいインタビュアーが「ママのこと好き?」と訊いた。そしたら子どもは「好き。だってママいなかったら死んじゃうもん」と答えた。
死んじゃうもん。というのが私の心の沈静していたなにかを思い出させた。
そうそう、そうなんだよ。片親というのは親に嫌われたら捨てられる。捨てられたら誰にも助けてもらえない。だって本来ならばいるはずのもうひとりの親がいないのだから。しかも貧困に喘いでいるので糊する口は減らしたほうが良い。
と演繹してしまい、極力嫌われぬように良い子のシナリオを演じようとしなければならないのである。
もちろんそこには母が好き、という気持ちはある。この人はぼくをたったひとりで守ってくれているんだ、と憐憫な過大妄想に耽るからである。私はじっさい祖父母の家にいることが多かったですが。母というのはそれほど特別な存在なのです。
そんな母が男性と交際を始めた。
母はこの時分33歳くらいであった。母親といってもまだまだ若いし、生物学的に色欲も盛んになる時期である。私は「かあちゃんも楽しいことしたいんだな」と隠然と事実を呑み込むしかなかったのだった。
じっさい母は楽しそうだった。彼らは平日に休みだったのでよくふたりで出掛けていたようだ。
そんな溌剌とした母を見ていると「あれ?俺邪魔じゃね?」となる。もし私がいなければ母は芽吹いた春を満喫し、新しい人生の一歩を踏み出し、そして幸せな家庭を構成することができるのでは?と思う。思ってしまう。
となると私はいなくなってしまったほうがよいのかもしれない。だから死んでしまったほうがよいのかもしれない。それが母の幸せになるのならば、と思慮深くなり不眠に陥る。すると「まだ起きてるの?」なんて邪険に扱われ、良い子のシナリオから逸脱し己に沈潜してしまう。
よってタヌキ寝入りを決め込むのだが、そうなると母と交際相手が情交に及ぶので聞く耐えない。ふすま一枚隔てた向こう側、母親が他人とセックスしているのを聞くのはかなり精神的に参る。ってか家ですんなよ!と思うの。
私はむずかしい年頃だったのかもしれない。ゆえに母の交際相手のことは好きではなかった。たしか母の3個か5個か年下だったと思う。体躯の良い、歳の割りに若々しい面つきの小金持ち。クラウンに乗っていた。でも実家に暮らしているという盆暗だった。
私のことはついでのように相手をしてくれた。学校を自主休校させられて旅行にも連れ立っていただいた覚えがある。しかしこれが辛苦であった。だいたい温泉が多かったのだが、べつだん話すこともないし、向こうも私のことを邪魔だと思っているはず、と私は思っているので兎に角いやだった。
そうしているうちに私は3人でいるのがたまらなく嫌になり、また生来のロックンロール精神が相まってときおり反抗した。
「んなもんふたりで行ってこいや!めんどいんじゃ!どうせ俺がいたら邪魔なんじゃろ!」と広島風に。お好み焼きと訛音は広島風が好き。と記すると、お好み焼きに広島風なんてないんじゃけぇ!と広島人の憤慨を買うんじゃけぇ、と余談です。
するとどうでしょう。胸ぐらを掴まれ時にエモく烈しく、時に狂気をふくんだ低い声で「おい。もういっぺん言ってみろ」などと言われ箪笥調度品に投擲、挙げ句の果てに蹴られるのです。
恐怖もしかりですが悔しかった。体格差が圧倒的であり交際相手に勝てないこと。大人にはなにを言っても無駄なこと。そして母は傍観しつつ私の味方をしてくれないこと。まぁ私の我儘であったし、口でも力でも大人には勝てない。畢竟、官軍、負ければ賊軍、この世は弱肉強食だ、ということを学問したのだった。
こうして私は「しょせん母も他人」ということが判然とした。血を分けているはずなのに私を守ってくれないのは、やはり愛の力のほうが強い!ということなのかもしれないですね。「愛こそはすべて」とジョンレノンは歌っていたが、それはまさに普遍の真理というやつでしょう。
交際相手と付き合っても私は子どもを優先する!なんて思っていても、それは貴女の内省的な話であるだけであって、じっさい子どもがそう思うかどうかがキーポイントである。でも本当に左様な信念をもつならば交際はやめたほうが良い。
私の母がそういう人なだけであったのかもしれない。が、事実、人間は愛の衝動に勝てない。それは時に血の繋がりをも凌駕するのである。愛って素晴らしいですね。
けっきょく私が中2くらいのときに訣別したようです。しかしこの時期に彼らが別れていなければ私はきっと学問もせずに法の則を越えることもしていたでしょう。もしくは読経しつつ灯油を被り焼身自殺、もしくは時代遅れの割腹自決。
以上の体験を下に、シングルマザーの再婚には反対である。
なぜなら私のような子は死にたくなるから。でもそれも子どもの性格によるかもしれない。女の子だったら早熟なので話は別かもしれない。
ただ比較的男の子というのは内省的な心の型式をもっているので男の子が「男の子」であるうちは、再婚はやめたほうがいい。と思う。
もし再婚したい、と願うのであれば記憶の曖昧な幼少期、もしくはある程度大人になって大人の話ができる年齢に再婚すべきだと思う。
幼少期であれば誤魔化しが効く。わざと誤魔化しなんて記述をしたが、これは実際そうだと思う。記憶が曖昧な、無邪気な時に交際相手にナチュラルに溶解させるのが一番手っ取り早い。
「子どもにしっかり説明をする」なんて鼻で笑ってしまう。大人になれば話は別だが。
子どもがそこで「いやだ」と言えると思っているのでしょうか。「ママ、結婚してもいい?」に対する答えはひとつしかない。なぜならば母親が思っている以上に子どもは母の幸せを願っているのである。己の幸せよりも。
私の経験のように、人生がだんだんわかってくる時期、つまり現実的な進路や人に対する己の人格が形成されるときに、このようなことがあると自律神経失調症に陥り、不眠、頭痛、めまい、貧血で昏倒することがありますので注意が必要です。