こんにちは、オオセラです :D
だいぶ前のことになりますが、ぼくは体調を崩して休職していた時期がありました。今日はそのできごとをふりかえりつつ、今だからこそ感じることを書きたいと思います。いつもとちょっと違うテイストかもしれませんが、よかったら読んでください :D
ブログのタイトル、決められませんでした。ひとことで言い表せないもどかしさがあり、「(今回はあえて)NO TITLE」としています。
営業職から上のポジションへ
以前、ぼくは外資系のある会社に営業職として10年くらい勤めていました。そして4年くらい前に、ある役職に昇進しました。責任のあるポジションです。まわりのひとたちも応援してくれて、自分としてもやりたいポジションだったので、昇進が決まった時はとても嬉しかったことを覚えています。
営業のときには業績も良く、社内で表彰されることもしばしばありました。平均していつも上位でいられるくらいに安定した結果を出せていました。下世話な話かもしれませんが、年収もどんどん上がっていき、いわゆる大台が見えるところまできていました。
しかし、この仕事で営業をやっている限りは、プライベートな時間を作ることがほとんどできない状況でした。繁忙期では、深夜2-3時に帰宅...なんてことが多くありました。みなし残業代がすでに給与に含まれているため、残業手当は暗黙の了解で申請できませんでした...。
このままでは体調も崩すし、髪なんてもっと抜けていくなぁ...(笑)なんてことを思いながら、営業とは別の、また上のポジションを目指すことを考えました。
変わった環境、変えられなかった自分
そして実際に新しいポジションでの仕事がスタート。かのプロレスラー前田日明がUWFを立ち上げた時に口にした言葉、
「選ばれる者の恍惚と不安、二つ我あり」*1
という気持ちでした :D
これは前からわかっていたことですが、自分の上司が外国人になりました。英語が苦手だったぼくは、昇進する2-3年前から英会話スクールに通い、語学力向上に努めていました。なので、英語力には少しは自信もついてきていたのですが...実際の業務では電話でのやり取りが多く、音声が聞き取りづらかったこと、また上司の英語訛りがきつかったこともあって、ぼくの小さな自信はすぐに粉砕されました。残念ながら、ぼくの英語力では会話が成り立たないレベルでした :(
ちなみに、昇進がかかった社内面接(外資系の会社だと"Interview"って言いますね)のときは、英会話スクールで面接対策をしていたこともあり、ほぼ問題なく意思疎通ができてしまっていたのです。これもかえってあだになりました...。
このままではいけない。まわりに迷惑をかけっぱなしだ。
そこでぼくは上司に、
「電話会議(テレカン)で話してくれた内容をあとでメールで送ってほしい」
とお願いしてなんとか業務に支障がでないようにしようと試みました。なんとか工夫して仕事ができるようにしようと考えたんですね。英文であれば比較的理解できる自信がありました。上司は快く引き受けてくれました。
段々と壁が迫ってくる
しかし、それだけで全てがうまくいくわけではありませんでした。すべての業務がメールでカバーできる訳ではありませんでした。
自分が新しいポジションになってまず驚いたのが、いわゆる「引き継ぎ」なんてものがないということです。外資系の会社だからこそなんでしょうね。業務のことを確認できる相手がほぼ全員外国人。英語が苦手な自分にとっては、とてつもなくハードな状況でした。
コミュニケーションに自信がないことがさらに拍車をかけ、まわりのひとを巻き込んでみんなで業務を遂行していく、まわりのひとに頼ったりつど確認して業務を進める...といった当たり前のことができなくなっていきました。
同じ職場内に日本人女性のHさんがいて、そのひとにサポートをお願いすることもありました。ぼくが就いたポジションを経験していたひとでもあり、頼りにしていたひとでした。
最初は協力してくれていたのですが、徐々に非協力的になり、仕事の話なのに無視されたり、周りに人がいる状況で大きな声で「こんなこともできないんですかー」と揶揄されたりすることが出てきました。
営業のときは結果も出せていてバリバリの自信家だった自分が、どんどん自信をなくし弱っていく様(さま)を見て、今でいう「マウンティング」されやすい状態になったのかもしれません。
段々と壁が迫ってくる、追い詰められていくような感覚でした。自分のまわりの世界がとても狭く見えました。気がつくとこういう状況を作り出したのは自分のせいだ、と自分のことばかり責めるようになっていました。
瓦解していく自信、そしてついに
そんなこんなで、営業の時についていた自信もすっかりなくなりました。それまで応援してくれていた人たちも、少しずつ離れていきました。
またあるときにはぼくの失敗がきっかけで、違う部署のボスから社内で机を蹴り飛ばされたりということもありました。まぁいろいろありましたね...(遠い目)。
それでもなんとかプレゼン資料を作ったり、できることをやろうとしていました。そのときのことは、実はもうあまり思い出せません。
なんとか会社に行っても頭が熱くなり、フリーズしたような状態になる。お昼ご飯も食べる気力がない。整理して物事を考えたり進めたりすることがどんどんできなくなっていきました。
家族に症状を話し、病院に行って診察してもらいました。診断結果は「うつ病」でした。先生からはすぐに休職を勧められました。
それでもなんとか仕事を続けました。ほとんど戦力にもならない状態でしたが、できることをやろうとしていたのだと思います。
ある日、朝起きたら身体が動かなくなっていました。ちょうど、その日は雨が降っていました。それでもなんとか気力を振り絞って、会社に行きました。席についてPCを立ち上げた途端、自然と涙が出てきて
「あぁこれはもう無理だ...」
と思ったことはよく覚えています。重くなっていた心が落下した瞬間だったのだと思います。気がついたら何もできなくなっていました。
それから
会社を10ヶ月ほど休職した後、最終的に退職しました。同じ場所に戻ることが想像できなかったからです。
そして紆余曲折あり、ぼくはいま、そのときと同じ会社の違う部署で働いています。給与は営業をやっていた時の半分以下になりましたが、プライベートな時間、家族のための時間は確保できるようになりました :D
原因は
病気になってしまった原因は?リワーク支援センターにも通って、いろいろふりかえりました。
- 新しいポジションに対して、自分の用意ができていなかった(語学力やコミュニケーション能力)
- ストレスをコントロールする術を知らなかった
- 自信がなくなり、自分ばかりを責めるようになった
この三点かなと思っています。
自分を支えていたもの
休職してしばらくは寝てばかりの生活でした。しばらくしてリワーク支援センターに通ったり、図書館に通ったり。生活リズムを戻して行き、現在はまた仕事ができるようになりました。あ、そうだ。いまは薬も飲んでいません。寛解といっていい状態だと思います。
休職中もいろいろあったのですが、長くなるので今回は割愛します(笑)
自分を支えていたもの、奮い立たせてくれていたものは、他でもない長男くんでした。子どものために「勇往邁進」するという一念で、ここまでやってこれました。長男くんがいなかったら、いまのぼくはいないと断言できます。
その後、次男くんが生まれて、ぼくは子どもたちのために頑張れているんだなと思います。
ブログを始めた理由
このブログを始めたきっかけの一つは、「自分の言葉を形にして誰かに伝えたい」と思ったことです。昔は塾の講師をしていたこともあって、誰かにものごとをわかりやすく説明する...といったことが大好きでした。自分の伝え方だったり、自分の言葉を持っていたのだと思います。
病気になってからしばらくのあいだは「自分の言葉が身体から剥がれ落ちる」感覚に苛(さいな)まされていました。何かを伝えようとしても、うまく伝えられない...うつの症状のひとつだったのかもしれません。
通院やリワーク支援センターでのリハビリなどを通じて、「自分の言葉で伝える」ことはだいぶできるようになってきました。
自分の経験や言葉が、誰かの役に立つことができればこんなに嬉しいことはありません。そういう気持ちでこのブログ「アンダースタンド!」を始めて、いま記事を書いています。
うつを経験して
うまくいえないですが、人生にはマイナスになることもプラスになることもあって、時につまづいたりしたとしても、立ち上がって進むかどうかは自分が決められることだと思っています。
自分の心境と近いことが一部歌詞になって歌われている曲があるので貼っておきますね。好きな曲です。*2
立ち上がって走らなくても、歩くだけでもいい、前に進むことができれば目の前の景色は変わります。そうすればいつかきっと、あざやかな景色が見渡せるはず。そう思います。
すぐにその先に進まなくてもいい。しばらくその場で立ち止まって休んだり、元来た道を戻ったっていいと思っています。
歩くことが難しければ、寝転がって目を閉じて、気持ちが落ち着いたら目を開けることから始める。たったそれだけ?いえ、それだけでもすごい前進なんです。前進とは、距離を進むことだけではありません。それまでの状態から少しでも変化が起こせれば、それは歩みになり得ます。
うつで苦しんでいる全てのひとへ。いまは焦らず、ただひたすらゆっくり休んでください。 休むという選択肢は決して間違っていません。
さいごに
文章が下手な自分ですが、いま思っていることを形にしてみました。実は今度、いまいる部署で少しだけ昇進するんです。だから書いてみたくなったのかな。
以上、オオセラがお届けいたしました。
これからもどうぞよろしくお願いいたします :D
(おしまい)
この本がもっと早くに世に出ていればなぁと感じずにはいられません。ぼくが休職したときに読みたかったな :D