チュニジア大使館との連帯支援で、宮城県石巻市への支援物資運搬を行いました。
http://www.tunisia.or.jp/news/IMG_0003.pdf
チュニジア共和国大使館との交流は、2008年12月5日、当時のサラ・ナンハシ特命全権大使にインタビュー・浮世絵寄贈から始まりました。
その後、前チュニジア大使のハシェッド チュニジア特命全権大使は、NGOアジアヒューマン・サポート主催のピースソングレコーディングにお越しくださり、絵画を寄贈してくださりました。そして大使館でピースソングメンバーとの交流パーティーを開いてくださり、さらには、2009年5月25日に国連大学にて開催された「アフリカデーシンポジウム」では議長を務める大使のご好意で、オープニングにてピースソングを歌わせていただきました。
以上のような関係から、今回の支援活動に至りました。
午前11時からJR石巻駅前(石巻市役所前)のにぎわい交流広場にて炊き出しを行うとのことで、まだ夜が明けない午前4時、理事長、ジェイ・エピセンター氏、鎌倉光秀氏、そして小代の4名、2台のワゴン車で川崎を出発しました。
菅生SAで大使館関係者の方々と合流。
以下、炊き出しの模様です。
【ソース 毎日新聞】http://mainichi.jp/area/miyagi/news/20110416ddlk04040026000c.html
石巻市の友好国・チュニジア共和国の在日大使館が15日、JR石巻駅前のにぎわい交流広場で、「クスクス」などチュニジア料理の炊き出しを行った。
この日は、モハメッド・トべルシ駐日臨時代理大使や外交官、秘書ら15人のスタッフが食料品などを持ち込み、約500食分のチュニジア料理やパン、ジュース類などを被災者らに振る舞った。
モハメッド代理大使は「石巻市が美しい町になることを信じる」と激励。日本への友情と連帯を表明するため、
4月15日を「チュニジアと日本の連帯の日としたい」と語った。【石川忠雄】
その他の記事
http://saigai-fm764.seesaa.net/article/196149981.html
我々は全国の皆様からお預かりいたしました支援物資をお届けしました。今回はぬいぐるみや文房具などがたくさんあり、子供たちに直接手渡しいたしました。
石巻駅、石巻市役所の周りは、まだ全く復旧しておりません。
津波は、この広場あたりで人の頭くらいまで来ていた形跡があり、ホームの電車は止まったままでした。市役所の方のお話では、3日間も水が引かなかったそうです。
炊き出しも落ち着いた頃、広場を後にし、石巻港から海沿いの町を仙台方面に南下しました。
松島町の東名駅から南側(海側)は、いまだに家屋が水没してました。
壊れて流されてしまったご自宅の片付けに来られていた男性の方が、「女房とお袋が流された。女房はすぐ近くで遺体が見つかったが、お袋はまだ見つからん。俺も流されたが奇跡的に助かった、、、」と、当時の状況を話してくださりました。そして、たいしたことなどしていない我々に「がんばってね」と、、、、。我々は返す言葉が見つかりませんでした。
仙台から岐路に着き、日付も変わった午前2時、川崎に無事戻りました。
テレビからは、だんだん被災地のニュースも少なくなり、支援物資を受け入れる機関も減ってきてると聞きます。
しかし、こうして毎週、被災地を見てますと、確かに急速に復旧している町もありますが、まだまだ全然復旧できないところ、全く何も残ってないところ、たくさんあります。避難している方々も、学校などの始業で、また避難所の移動を強いられていたり、、不自由極まりない生活が続いています。
こうして皆様の思いを、直接被災地にお届けすることくらいしか我々にはできませんが、まだまだ続けて行きますので、ご協力、よろしくお願いします。
【支援金振込先】
三菱東京UFJ銀行 青山通支店
普通預金 0095663
一般社団法人 日本国際芸術文化協会
※お振込みの際は、振込み名義の最後に「トウホク」と追記してお願いします。