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ⅡーⅧ 《冥闇の空》
空に光の弾が打ち上げられたと同時に、ヘインズは剣をゆっくりと引き抜いた。両手でその柄を握りしめ、白銀の刃を片手にこちらへと走り出したノエルを見据える。先日の勝負はルミナスの暴走によって紙一重のところで勝てた。だが今回は純粋に実力の戦いだ。気持ちを落ち着かせるように深く息を吸った。
――覚悟を決めろ。
強く念じてルミナスを見る。彼女は意図を察して、杖の先に魔法を集中させた。薄黒い光が杖の先に集まる。胸に左手を当て、祈りの言葉を唱えるとその杖をヘインズに向けて振る。ヘインズの体に薄い膜でも張られたかのように、その光が彼を覆った。
防御の魔法だ。戦いの前に受けた彼の指示通り、彼女は防御のことだけを考え、ヘインズは攻撃することに集中する。これで安心できる、とでもいった表情をルミナスに向けて前を向いた。
「さあ! 行くぞ!!」
誰に伝えるでもなくそう叫び、既に眼前に迫ったノエルを睨む。ヘインズは剣を右手に持ち替え、左掌を前に突き出して半身で迎え撃つ態勢を取った。ノエルも一喝するように大きな声を上げて、外套をはためかせながら両手に持った剣を高く振り上げた。
左手をグッと握って拳を固め、振り下ろされたノエルの剣を左腕で受け止める。甲高い音が響いた。銀の刃はヘインズの肉を断ち切ることなく、薄黒い膜に弾かれてしまった。二人の騎士は互いに腕の先に立つ相手に視線をぶつける。
ヘインズはすかさず、薙ぎ払うようにノエルの脇腹めがけて大きく剣を振る。それをノエルは狙い通りだと言わんばかりに、にやりと笑みを浮かべて剣撃から逃げるように体を引いた。しかしヘインズの剣を避けるには動きが足りない。軌道を修正することなくそのまま振り抜く――。
「甘いですよ」
ノエルは外套を左手で翻す。直後、彼の背後から五本の黄色に輝く光の矢が現れた。空気を裂いて光が走る。戦闘開始から初期位置に立って動いていないレナルドを全く警戒していなかった。彼は離れたヘインズを見て余裕の笑みを浮かべている。
――くそがっ!
勢い余ったヘインズの剣は止められない。彼の剣がノエルの脇腹に触れる刹那、光の矢がヘインズを襲った。
轟音。土煙が高く舞う。中の様子が窺えないルミナスは何もできずに杖を震える両手に立ち尽くしていた。彼は無事だろうか、もし魔法の鎧が十分ではなかったら、そう考えて大声でその名を呼ぶ。
「ヘインズさん!」
返事がない。もしや、と思いつつもその場に近付くことができなかった。足が動かない。怖い。初めての戦闘の迫力に、いつも傍にいた彼を失うことに、そして何も手助けできずにただここで見ていることしかできない自分に、彼女は恐怖し身動きが取れなかった。
徐々に視界が晴れる。人影が二つ。二人の騎士は互いに睨みながら鍔で迫り合っていた。じりじりと嫌な音を立てている。互いに言葉もない。睨み合いが続き、同時に二人が跳んで後ろに下がった。態勢を立て直し、突進するように剣を撃つ。耳を貫く高音。一合、二合、三合――。打ち合う度に刃は火花を散らした。
ヘインズを覆った黒い魔法の鎧はレナルドの放った光の矢を物ともせずに、彼をのけ反らせるに至るのみとなったようだ。ルミナスは彼の無事に胸を撫で下ろし、ヘインズを傷つけようとした矢を放った神官を見る。
不意を衝いた光の矢でも無傷のヘインズを見て驚いた顔をしている様子だ。それならと、その手を空に掲げて弧を描いた。何もない空間に無数の光の粒が集まり、その一つ一つが徐々に矢の形を成型していく。矢尻はノエルと打ち合うヘインズの方を向いている。レナルドはルミナスに挑戦的な赤い目を向けると、その手を振り下ろした。
無数の光の矢がヘインズへ走る。彼は迫りくる光をその目に捉え、どうにか回避しようと試みるも激しい剣撃がそれを許してはくれない。
――避けられねえ!
ノエルの攻撃に耐える中、銀色に煌めく長髪が視界の端を掠めた気がした。その瞬間、世界が時の歩みを緩めた。時間の流れが遅く感じる。ノエルの剣も、自分の動きすら、まるで水中にいるかのように全てが緩慢に動いているようだ。猛攻を凌ぎ、そんな錯覚を振り切って彼は通り過がる小さな背中に呼び掛ける。
「ルミナス――!」
ルミナスは激しく打ち合う二人の騎士を背に、眼前に迫る幾百の光の矢を見据えた。冷や汗が流れる。手の震えが止まらない。喉が乾ききっている。恐れを振り切るように、彼女は高らかに叫んだ。
「私だって、戦えるんだ――!!」
右手に構えた杖を空に掲げる。舞い踊るように杖で天を仰ぐと、黒い光が教会周辺の空を包み込んだ。
星や月の輝き、教会の壁に提げられたランプの灯りすらも飲み込んでいく。徐々に辺りを照らす光が消えていく。剣撃の音が止まった。ヘインズとノエルは何が起きたか、その目に焼き付けるように息を飲んで立っている。最後に残った光はレナルドの放った無数の矢。
しかし、
「馬鹿な……!?」
レナルドの放った矢は徐々にその光を窄め、まるで溶けるように消失した。唯一の光源を失い、辺りは完全な闇に覆われた。レナルドは信じられない、といったように焦りを露わにしている。
身動きが取れない。本当に目を開けているのか。この足は地に付いているのか。それすらも分からない完全な暗闇と静寂――。その中で微かに溜息のような音が聞こえた。続いて足音。まっすぐレナルドに向けて歩いている。彼は近付いている足音がとても遠くのような、すぐ近くから聞こえるような感覚に頭がおかしくなりそうだった。
耐えきれず、彼が魔法で光を作り出そうと右手を動かしたとき、喉元に冷たいものが押し当てられた気がした。だがその感覚に確証が持てない。
――錯覚か? いや、違う。僕の目の前には今、彼女が……。アルカディアが立っている!
彼の喉に触れているのはルミナスの杖だろう。たとえ本格的な攻撃の魔法を知らなくとも、彼女は熱を発する魔法くらいなら知っている。完全に無防備な状態でこんな至近距離で魔法を撃たれてはきっとひとたまりもない。
ごくり、と生唾を飲んでレナルドは、
「……降参、しよう」
彼の掠れた声を聞いて、ルミナスは自らが作り出した黒い光の空に杖を掲げ、別れを告げるように手を振る。ゆっくりとその光は透明に薄らいでノクトゥーア本来の空が姿を現した。月とランプの光で照らされたルミナスは、先ほど魔法の空を展開した位置に立っていた。その顔はレナルドを見て微笑んでいる。
「私たちの勝ちですね!」
嬉しそうにそう言った彼女の足元に目を落とす。こちらへ近付いてきた形跡がない。あの足音も、喉に杖を当てられた感覚も、彼女が目の前に立っていると思ったことも、そのすべてが暗闇の見せた幻覚だったのだ。レナルドは冷や汗を流して、彼女の笑顔に苦笑いを返した。
――攻撃の魔法を知らないと高を括っていたが、恐ろしい魔法だ。単に体を傷つけられるような攻撃よりも、よっぽど効果的に戦意を削がれてしまった。アルカディアはそれに気付いているのだろうか?
ルミナスは後ろを振り返り、呆けた顔をして座り込んでいるヘインズとノエルに屈託のない笑顔を見せた。
「お前、どこでそんな魔法覚えたんだよ……?」
ヘインズが問う。
「うーん……。いつも着替えるときに体を隠す魔法を使ってましたよね? それをもっと大きくしただけです」
「もっと大きくって次元じゃねえんだが……」
「でも勝てました!」
わけがわからない、といった顔を浮かべてヘインズは呆然と彼女を見つめる。にこっと笑って彼女はレナルドを振り向き、何やら話しかけながらそちらへ歩いて行った。
――単純に使い方を知らないだけで、やはりルミナスの魔法の力は突出したものがあるんじゃねえのか。そんなこいつに攻撃魔法の勉強をさせれば、いったいどれほどの強さになるかまるで分かったものじゃない。
そう考えて少し複雑な表情をした。今後のことを考えれば必要なことだが、彼女が人を傷つけるような魔法を覚えるのが心苦しいのだ。
隣で二人の会話を聞いていたノエルが立ち上がり、ヘインズに手を差し伸べた。彼もその手を取り立ち上がる。先ほどまで本気で斬り合った相手とは思えないほど穏やかな口調でノエルが言う。
「ヘインズさん、いい勝負でした」
「ああ、いい勝負だった。二対二の戦法やら、色々と勉強になったぜ」
そう笑ってヘインズも対戦相手に敬意を表した。ノエルは少し眉をひそめて、だがあくまでも穏やかな口調のままで、
「とうとう決着はつきませんでしたが、次がもしあれば、そのときは全力でお願いしたいものです」
ヘインズは一瞬真剣な眼差しでノエルを見たが、すぐに何のことを言っているのか分からない、と誤魔化すように笑ってルミナスとレナルドのもとへと歩を進める。背中越しにノエルの溜息が聞こえたが、彼もすぐに背中を追って歩いてきているようだ。
親しげに話す二人の神官が彼らに気付いた。レナルドはノエルを見て、ごめんね、と謝るように口元だけの笑顔を作る。そして集まった面々を一人ずつ見て、戦いの終わりを告げる言葉を紡いだ。
「みんなお疲れ様。残念ながらエクレティオ側の負けに終わってしまったけど、いい実戦経験ができたよ。アルカディア、特に君の魔法はすごかった」
「こちらこそ、ありがとうございました! ……最初は怖かったです。戦うヘインズさんを黙って見てるだけで、何もできないのかなって思っちゃって……。でも、これから先も何もできないままの私でいる方がもっと怖いって思ったんです」
そこまで話して、三人の温かい眼差しが彼女に注目していることに気付いた。少し恥ずかしくなってもじもじと杖を弄り、言葉を続ける。
「えっと、それで……。私も皆を守れるように頑張らなきゃって思って……ですね?」
「恥ずかしがってんじゃねえよ。立派な心掛けだと思うぜ」
ヘインズが彼女の背中を叩く。それほど強く叩いたつもりはないがルミナスはよろめいて転びそうになった。何するんですか、とヘインズを睨むと、三人はその様子を面白そうに笑った。ルミナスにとっての初めての戦闘は、彼女の放った魔法によってあっけなく終わりを迎えた。
四人とも体を動かしたり魔法で体力を消耗していた。そろそろ空腹だ、とルミナスがお腹を押さえてヘインズに無言で訴える。レナルドとノエルはそんな彼女を見て魅力的な提案をする。
「さあ、疲れただろう。食事にしようか。街の方に出かけよう」
「ええ、私たちの負けですから今回は神官様の奢りです」
「ねえノエル。君、だんだんゴーガンに似てきてないかい?」
そんなやり取りで四人は楽しそうに笑った。レナルドとノエルが、エクレティオに来たならぜひ食べて欲しいものがある、とアルカディアの二人を導いて街の中心区を目指す。
「戦争のために蓄えなくても大丈夫ですか?」
ルミナスが心配の言葉をかける。
「保存の利かない料理は蓄えには向かないからね。今向かっているのはそういう料理を出す店さ。値段もそんなに高いものじゃないし心配しなくても大丈夫だよ」
それなら、とルミナスとヘインズは彼らの厚意に甘えることにした。
今日中にはもうエクレティオの街を出ることになる。ヘインズは宿に置いてきた荷物の分も含めて、次の村までに必要な食糧や水を計算した。それほど離れたところにあるわけでもない。物資の必要なこの街ではそれほど買い貯める必要もないだろう。
レナルドが夜の神に馬車の手配を命じられていたことを思い出して言う。
「そういえば馬の手配がまだだった。馬車は一台でいいよね。ここから村までなら御者がいれば便利だけど……」
「昨日から頼み事ばかりで悪いが、できれば旅の終わりまで借りておきたい。旅に慣れてないこいつを連れて足で旅するとなると、どれくらい掛かるのか分かったもんじゃねえからな」
なんだか申し訳ないです、としょんぼり顔になるルミナスを差し置いて、
「わかった。じゃあ御者は必要ないね。君たちが宿に荷物を取りに行く間になんとかしよう」
助かる、とヘインズが謝意を表す。馬車が手に入るなら馬の餌やその分の水も必要になる。今後の算段を立てているうちに目的の店に着いたようだ。ノエルがその扉を開くと、何やら芳しい香りが漂ってきた。
席に着き、注文を全てエクレティオの二人に任せて、談笑しながら料理を待つ。この街を象徴的に煌めかせる川のことや、ヘインズが昔この街に滞在していたときの話、その当時の神官がとても葡萄酒を好んでいたという話。
たったの二日と半分の時間しか共に過ごしていないはずなのに、四人は旧知の仲のように笑い合えた。それをルミナスはとても素敵なことだと素直に感じた。他の街や村でもこんな風に笑い合えたら、それはどれだけ楽しい旅になるだろう。旅への不安はもうその胸からは綺麗さっぱりなくなっているようだった。
「さあ、料理がきたね。ぜひ楽しんでくれ」
運ばれてきた料理は魚料理だった。料理を運んできた店員が説明した。街を囲む山で採れた茸と人参をニンニクで炒め、そこに香辛料で味付けをした魚と貝を酒で煮詰める。皿に盛りつけたところにこの店特製のソースをかけた料理らしい。
ノエルが、この店の魚介はあの川で獲れた新鮮なものだと補足した。ルミナスは試合で疲れて空腹が限界に近付いているというのに、このような料理を出されては腹の虫が鳴き止まないといった様子だ。四人は声を合わせ、
「「いただきます」」
ナイフとフォークで切り分け一口。濃厚なソースもさることながら、初めての葡萄酒の不思議な風味が舌を刺激する。海の魚しか食べたことのないルミナスは、川魚はもっと生臭いものだと思っていた。だが、調理法がいいのか新鮮さのおかげかは分からないが、全くそんなことはない。まるで柔らかく煮込まれた魚に、こりこりとした食感の貝の対比が口の中で芸術を作り出しているようだ。
料理に夢中になるルミナスを三人は優しく見守り、各々の皿に手を付けていった。料理が美味だと会話も弾む。四人は試合の疲れも忘れて、それぞれに料理や話を楽しんだ。あっという間に時間が経ち、時計の針が十四時を回った。
「さあ、そろそろお互いに準備もあるでしょう」
ノエルの一声で店を出た。
レナルドとノエルはこのまま馬車の手配をするために街の喧騒に溶けていった。残された二人は宿屋に置いたままにした旅の荷物を回収しに向かう。ルミナスはヘインズの隣を歩き、二日間の街の思い出に浸っている様子だ。
「エクレティオの街、とっても素敵でしたね」
「そうだな。昔と変わらずメシも美味かったし」
ご飯のことですか、とルミナスが笑う。
「もちろんご飯もそうですけど! 景色も綺麗でしたし、いい人たちばかりでした」
「ああ。この街に入ったときにはビビっちまったけどな。街のやつらの様子がおかしくて、神官が何かとんでもねえことやってやがるってな」
「そうですね……。最初のやり方は間違ってましたけど、みんなのために頑張ってるんですよね。私もエクレティオさんを見習わないとですね!」
鼻息を荒くして彼女が宣言する。ヘインズは、お前なりに頑張ればいいさ、と笑った。
荷物を回収し、世話になった宿の主人に別れの挨拶を告げた。宿を出て街の入り口へと向かう。どうやらレナルドとノエルはまだ到着していないようだ。行き違いになってしまってはいけない、と考えてここで二人を待つことにした。
ルミナスは今のうちだ、と言わんばかりに着替えを始める。いつものように魔法で全身を覆い、次に姿を見せたときにはアルカディアを出た頃と同じ服装に変わっていた。ようやく動きづらいローブから解放され、お気に入りの服を着ることができて満足している様子だ。
この魔法があれだけ戦いに有効だとは、とヘインズは改めて難しい顔をした。
「どうしたんですか?」
そんな彼を見てルミナスが問う。
「いや、な……。お前、この魔法使うとき周りは見えてんのか?」
「当然です。見えてなきゃ着替えるの大変じゃないですか。私が着替えてる途中に、ヘインズさんがこっち向いててもばっちり分かっちゃいますからね!」
そこまで聞いてねえよ、と誇らしげに胸を張るルミナスに苦笑いする。
――つまりは、さっきの戦いの中でもこいつには俺たちの姿が見えていたってことだ。あんな暗闇じゃどこへも逃げられねえだろうな。もしこいつが使い方を間違えればあっという間に……。
「つくづく育て方を間違えなくてよかったと思うぜ……」
首を傾げる彼女の頭に手を置いて安堵の息を漏らした。話しているうちに街の中から蹄鉄と車輪の転がる音が聞こえてきた。振り返ると、御者台に座ったレナルドとノエルが観衆の注目を集めている。レナルドは笑顔で街の人々に手を振っている。ノエルは恥ずかしさに耐えるように目を瞑っていた。
「なんつうか……」
「派手、ですね……」
ようやく二人の目の前に馬車が到着した。屋根代わりに帆で覆われた荷台を二つの車輪が支えている。全体的に木造りの小さな幌馬車だ。それを栗毛色をした一頭の馬が引いている。ランプのぶら下がった御者台から二人が降りて、未だ引きつった顔をしているルミナスとヘインズに声をかけた。
「お待たせしたね。……おや? 服を着替えたんだね、アルカディア。うん、よく似合っているよ」
「あはは……。どうもです」
愛想笑いを返す。
「何から何まで悪いな。助けられてばっかになっちまった」
「そんなことありませんよ。私たちもあなた方のおかげで、無意味に街の民を苦しめているのではないということを話せたのです」
「そうさ。困ったときはお互い様だよ。それと……例の件の方も安心して任されてくれ」
レナルドがちらっとルミナスを見て言う。例の件というのはもちろん黒い剣のことだ。彼が言うにはエクレティオの教会の奥で厳重に保管されているらしい。彼を信じてヘインズは強く頷いた。
「そうだ、アルカディア。これを君に渡そう。馬車の中ででも読むといい」
そう言って厚い本を一冊、ルミナスに手渡した。革の装丁だ。表紙は不思議な形の紋様が金色で装飾されている。彼女にもこういった本は見覚えがあった。日常生活で必要なものとは違う魔法の習得に必要な本。所謂、魔導書と呼ばれるものだ。
「あ、ありがとうございます」
「君の防御魔法はもう完成されているからね。これは攻撃魔法がいくつか書かれている。今後の旅や……戦争で必要になるはずだ。覚えておいた方がいい」
レナルドも、戦争という言葉を出すことにまだ躊躇いがあるようだ。初めは、彼女にこの本を渡すのは気が引けたが、そうも言ってはいられない状況になってしまった。それに、試合の後に彼女の口にした、何も出来ないままでいるのが怖いという言葉を聞いて、その手助けをしたいと思ったのだ。
嫌な顔をされると、半ば覚悟して本を渡したのだが、その予想は外れてしまったらしい。彼女は憶することなく手渡された魔導書を見つめ、真剣な眼差しで覚悟を声にする。
「ありがとうございます、エクレティオさん。この本に書かれている魔法は……誰かを傷つける為じゃなくて、守る為にあるんだって、そう信じます」
「うん、安心したよ」
本心を口に出した。彼女の隣に立つヘインズもどうやらレナルドと同じ心境のようだ。懐中時計に目を移すと十五時を少し過ぎたところ。ヘインズが荷物を荷台に運びながら、
「さて、そろそろ行くか」
「はい……。エクレティオさん、ノエルさん! 二日間お世話になりました! これから大変でしょうけど頑張ってくださいね! 私も、お二人に負けないように頑張ります!」
ルミナスは笑顔で二人に別れを告げて御者台に座る。準備の整ったヘインズが彼女の隣に座り手綱を取った。これからまた旅が始まる。きっと心乱されることもあるのだろう。それでも、それすら全て乗り越えてみせよう。二人の表情はそう誓っているよう見えた。
レナルドとノエルは笑顔で旅立つ二人を見送る。
「どうかお気を付けて。またお会いしましょう」
「楽しい二日間だった。アルカディア、ゴーガン。再会を楽しみにしているよ。元気でね」
ありがとう、と二人に笑顔を返してヘインズは掛け声と共に馬車を走らせた。
「ありがとうございました――!!」
ゆっくりと馬車は進む。エクレティオの街灯りが別れを告げるようにきらきらと輝いている。
ルミナスは影になっていく二人の姿が見えなくなっても手を振り続けた。
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