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ルミナス冒険譚 作者:日光 たいら

第一章

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ⅠーⅢ   《旅の始まり》

 
 ひとしきり涙を流した後、冷静になって少し恥ずかしくなった。

「落ち着いたか?」

「はい……ごめんなさい」

「急にどうしたってんだよ。何か嫌なことでもあったか?」

「えっと……」

 先ほど覚悟したばかりなのに、言うべきか迷ってしまっている。伝えたところで彼がついて来てくれるかは分からない。
 だが、何も言わずに突然いなくなってしまっては街の人々にも迷惑をかけてしまうだろう。泣いたことで少し頭が冷えたことがありがたい。ひとまず事情を説明することにした。

 信じてもらえるかわからないけど、と冒頭に置いて教会であったことを全てヘインズに説明した。話を聞いている間、彼は怪訝そうな顔は浮かべたものの、茶化すようなことはせず最後まで聞いてくれた。

「なるほどなあ……」

 それから彼は何かを考えるように何も言わなくなってしまった。俯いているルミナスの耳に入るのはパキっ、と暖炉の薪が鳴る音と腕組みをしたときに聞こえる衣擦れの音だけだ。

 ――彼はどんな表情をしているだろうか。こんな話信じてくれないかな。やっぱり冗談だって笑われるんだろうな。

 緊張に耐えられず、声をかけようとしたとき彼が口を開く。

「神って……」

 荒唐無稽こうとうむけいな話だ。信じられるようなことではない。俯いたまま目をぎゅっと閉じて、やはり一人で出ていくしかない、と諦めにも似た覚悟を再度固めた。

「いや、お前が泣いて話すくらいなんだ。嘘って訳じゃないんだろうな……。出発は今日明日って訳じゃないんだろ?」

 予想外の言葉に顔を上げる。彼はルミナスの目をまっすぐ見つめていた。まさか、信じたというのだろうか。何の根拠もない話を、ただ彼女が泣いていたという理由だけでこうもあっさりと信じてしまったのか。ルミナスはそれこそ信じられない、といった様子で咄嗟に言葉を漏らしてしまった。

「明日にもこっそり出かけようと思ってました……」

 小声で零こぼすようにそう呟いたが、彼にははっきりと聞こえていた。自分でもこんなことを口走るつもりは無かったのだが、無意識に彼に嘘をついてはいけないと思ったのだろう。彼女が自分の放った言葉を理解して、両手でその口を覆ったときには遅かった。

 ヘインズが肩を震わせて今にも立ち上がらんとしている。確信した。これは怒っている。口をついて出た言葉を後悔したその瞬間、

「バァカかお前はぁ!!」

 ――ほら。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!」

「即行で謝るってことは怒られるって分かってたってことだよなぁ……?」

「顔が……怖いです……」

「当ったり前だバカ野郎! いいか!? 俺はお前の騎士だ! それを置いてガキの一人旅とはいい度胸じゃねえか! 国の地図は! 食料はどうすんだよ!? だいたい道中には魔物や野党だっている。そいつを碌に剣も振れねえお前の魔法一つでどうにかできるとでも思ってんのか!?」

「はい……。浅はかでした……」

 立ち上がってルミナスに近づいたヘインズは、しょんぼりと頭を垂れるルミナスを見て大きな溜息を吐く。迷惑をかけまいと思っての考えだったことは、ずっと面倒を見てきた彼には言わずと知れていた。ほんの少し彼女の気遣いを嬉しく思ってはいたが、それは隠すことにした。

「顔を上げろ。あのな、ルミナス。」

「……はい」

「俺は騎士としてってだけじゃなくてな、お前の親として危険な場所に大事な一人娘を送り出すような真似はできねえんだよ」

 どうしてここまで信じてくれるのだろう。どうしてこの人を信じられなかったのだろう。嘘や冗談だと疑われても仕方のない話を信じるばかりでなく、一人で旅をすると言う彼女の身を案じて怒ってくれている。申し訳なさと、感謝の気持ちで胸がいっぱいになった。

「うぅ……ごめんなさぁいぃ!!」

 怒りの荒々しい口調とは打って変わった優しい口調に、娘を心から案じる父の言葉に、ようやくせき止められたと思われた涙のダムは決壊してしまったようだ。それは先ほどまでの不安とは違う、温かい涙だった。彼の胸に縋りついて泣きじゃくる彼女は、神官とは言い難い年相応の少女の姿だ。

「まったく、まだまだガキだな。ほら。いい加減食わねえとシチューも冷めきっちまう。これからのことはまずメシを片付けてからだ」

 ヘインズの無骨で優しい手は、彼女が泣き止むまでその頭を撫で続けていた。

 ようやく泣き止んだルミナスは、彼に謝罪と感謝の言葉を伝えて、改めて一緒について来てくれるよう頼んだ。当たり前だ、と白い歯を見せた彼の笑顔に心から安心してしまった。

 食事を終えて、ルミナスとヘインズは今後の方針について話す。机に地図を広げてどの街を目指すのか、どの道を選ぶのかを一通り決める。ノクトゥーアにある街は八ヵ所。地図に記された村を合わせて十六。国の中心にある王都を含めると十七。アルカディアの街は北西に位置していた。

「……ちょっと多すぎません?」

「よくもまあ易々とこんな依頼引き受けたもんだよ……」

 やってくれたな、といった表情でヘインズは地図を恨めしそうに見ている。
 だが夜の神の命令なら従うほかない。これはすんなり信じなかった他の教会の神官が悪いのだ。全員に己の信仰心の是非を小一時間ほど問うてやろう、と彼は固く決意した。

「ひとまずは南下して西の街、エクレティオを目指すことにする。この林道を抜けるのがいいだろう」

「ふむふむ。それで出発は?」

「できるだけ早くって言われたんなら準備が整い次第ってところだな。まあ、そう遠い街でもないから大量に水と食料が必要って訳でもない。馬車でもありゃいいんだが、アルカディアには馬なんぞいねえからな。あとは装備だが――」

「旅に向いた装備ってよく分かりませんね。私のこのローブは当然不向きでしょうが……」

 正直、神官のローブは好きではなかった。街を抜け出すときにはいつも魔法で動きやすい服に着替えている。齢十六の少女はもっと色々な服装をするべきだ、というのが彼女の信念の一つでもある。

「そうだな……。だが麻のやつはやめとけ。この林道は少なからず魔物も見つかっているからな。できるならもっと頑丈な素材の服で雨風の凌げるフードの付いたのがいいが、お前の場合は魔法でかなり防御性能を上げられるだろう。気に入ったやつを着ていけばいい」

「じゃあ丈夫な繊維でフードのついたかわいい服ならなんでもいいんですね!?」

「お、おう……」

 かわいいのは知らん、という言葉はルミナスの輝いた目を見てしまってはとても言えなかった。もっとも、言ったところで服選びに頭がシフトしてしまっている彼女の耳には入らなかっただろう。こんな形で彼女が着たい服を存分に選べる機会が来るとは思わなったのが、彼には喜ばしく感じた。

「さて、俺の装備は……あいつでいいか」

 銀色の鎧に目を遣る。彼がルミナスの騎士になってからずっと愛用してきた鎧だった。重い鎧は本来、長旅には不向きなのだが、戦闘中以外は魔法で軽量化すれば問題ない。神官であるルミナスには魔法の力では到底及ばないが、それでも彼女を守れるだけの力はある。できれば剣を振るう機会が来なければいいが。

 壁に掛けた時計の針は二十三時を指している。この時間ではもう店も閉まっているだろう。ルミナスに目を向けると、少女らしくどの服にしようかまだ決めかねているようだった。

「明日、食料と水を買い出したら出発だ。風呂に入って寝ろ。今日は散々泣き疲れただろ」

「二回目のはヘインズさんのせいですぅ。じゃあ先にお風呂入りますね。くれぐれも覗いちゃダメですよ?」

「……ガキだ」

 ふっ、と鼻で笑う。ルミナスが浴室へ向かうと、彼は暖炉に薪をくべて椅子に座る。どうしてこんなことになってしまったのだろう。だが、彼女も外に出たがっていたし丁度いい機会かもしれない。彼女をしっかり守れるだろうか。もし彼女の身に万が一のことがあったら、いったいどうすれば……。暖炉の火を見つめながらそんなことを思う。

「ヘインズさん、か」

 ――いつからだったかな、あいつが俺をそう呼ぶようになったのは。



 教会に捨てられていた、赤ん坊のルミナスを偶然見つけたことが彼の人生の転機だった。当時、魔物や野党の討伐や街のいざこざを解決するといった、いわゆる自警団に彼は所属していた。最初に発見したこともあって、彼は赤ん坊を引き取ることに何の疑問もなかった。当然、周りの人間からの反発はあったのだが、それを跳ね除けても彼女を養うことを決意した。

 男親ということもあり、女の子を育てることに少なからず苦労した。ルミナスが七歳の頃、おもちゃの剣を振り回して柱に傷をつけたことがあった。咄嗟に怒ってしまったが、彼女には危ないことはしてほしくなかったというのが本音だ。恐らく彼女はその気持ちに気付いていなかっただろう。

 九歳になって初めて街の外に連れ出した。絵本に描いてあるような海を見てみたい、という彼女の願いを叶えてやりたかったのだ。彼女は終始笑って喜んでくれたが、彼はというと、いつ外敵が出ないかと冷や冷やしていた。

 十一の頃、初めて彼女から一人で入浴するという宣言を受けた。もうそんな年頃か、と寂しくなったのを覚えている。街の人々は娘といくつまで風呂に入っているものなのか気になったが、何かみっともない気持ちになって考えるのをやめた。そのことがあってから、洗濯にも少し気を遣うようになってしまったのは彼女も薄々と勘付いているだろう。

 ルミナスの十二回目の誕生日に彼女の初めての、そして彼にとっては二度目の転機が訪れた。王都からの使いが、ルミナスがこの街の神官に選ばれたと告げたのだ。神官には騎士がつけられる。彼は王都から推薦されたという騎士候補との決闘に勝利し、ルミナスの父であると同時に彼女に仕える騎士になった。

 ――ルミナス、様。

 仕えるべき神官には敬意を表さなければならない。そう思って彼は自分の娘を"様付け"で呼び、敬語を使い始めた。ルミナスはそれをとても嫌がり、どうあっても改善されない父の口調を真似てヘインズを"様付け"にした。その関係が親子のそれとは程遠く感じた彼は、遂に呼び名と口調を改めたのだが、ルミナスの方はそうもいかなかった。

 いつまで経っても"様付け"と敬語を辞めない彼女に、せめて"さん付け"にしてくれ、と願い出てようやく今の形に落ち着いたのだった。



「あいつが神官なんかに選ばれなきゃ色々と……」

「きゃああああああ――!!」

 悲鳴が聞こるや否や、咄嗟に剣を手に浴室へ駆けた。

 ――まさか、魔物がこんな街中に? それとも野党か? 神官を攫って何か企てを? どちらにしても、自警団の働きでアルカディアにそれらが現れたことなどこれまで一度もなかった。

「ルミナス! 無事か!?」

「へ?」

 浴室の扉を開け、念の為に天井を警戒したが特に異常はなかった。ただ蜘蛛が一匹、足元を通って浴室から出ていくのが見えただけだった。

「なんだ蜘蛛か。明日は林道を通るんだぞ。いちいちこんなことで叫んでんじゃねえよ。それよりなんだお前……成長しねえなあ。最後に一緒に風呂入った時からあんま変わって――」

「バカバカバカバカ!! 出てけ出てけ出てけ! いいから出てって、父さん! 早く出てってぇぇぇーー!!」

 桶やら石鹸やらの猛攻を背に受けながら苦笑いで退出する。久々に娘から昔のような口調で呼ばれて少し嬉しく思えた。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 九時。アルカディアのランプには既に火が灯っている。ルミナスとヘインズは旅支度を終えて街を歩いていた。神官の彼女は、街にいる間はいつものローブを着ていなくてはならない。早く着替えたい、と思う気持ちと街の人々を残す心配や、旅への不安でどこか落ち着かない様子でいる。

「さて、水と食料を買い終えたらしばらくはこの街ともお別れだな」

「急に私たちがいなくなって、皆さん大丈夫でしょうか?」

「自警団のやつらもいるし大丈夫さ。ちょっと長めの家族旅行、くらいに思ってもらえた方が変に心配かけずに済むだろ」

 二人が目的の店を目指している間に話しかけてきた人には、しばらく出かける旨を伝えた。皆、ヘインズの説明を聞いて久々の親子の旅を祝福してくれる。中には各々の店の品を分けてくれる者もいた。街の人々の温かさが身に染みるようで、ルミナスは胸の奥が少しむず痒かった。

 街の人々に別れの挨拶を告げ歩いていると目的の店に着いた。足での旅で蓄えられる水と食料、おおよそ五日分ほどを買う。気さくな店主が話しかけてきた。

「よお、ヘインズ。家族旅行だって? 神官様もお前さんもそんな大仰な格好で行くのかい?」

「まさか。街の中じゃこれが正装だからな。街から出たら着替えるさ」

「そりゃそうか。神官様、よかったなあ。こんなんでもこいつは騎士だからな。なんかあったらすぐ頼るといい」

「はい。こんなのでも私を立派に守ってくれるようなので、色々と頼っていきます」

「お前らなあ……」

 気をつけてな、という言葉に手を振って二人は歩き出した。ルミナスは一歩一歩、街の出口に近づく度に自分の鼓動が速まっていくのを感じた。この街を出る。こっそりとではなく今日は堂々と出られるのだ。いよいよ門が見えたところで彼女は立ち止まる。これからの旅に期待したような表情をしているが、不安の色も窺うかがえる。そんな彼女を見てヘインズは手を差し伸べた。

「今日は、一人じゃないだろ?」

「……はい!」

 彼女は手を取って育った街を後にした。
 
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