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ⅠーⅠ 《神官と騎士》
暗い夜の海を彼女は眺めていた。月に照らされた水平線が美しい。
ルミナス=アルカディアは銀色の髪を潮風に揺らして赤い瞳を閉じた。
漣の音が聞こえる。嫌なことや面倒なことを全て洗い流してくれるような、そんな静かな時間がルミナスは好きだった。
「やっぱり、心地良い」
「なーにが心地良い……だ! このかっこつけサボり魔!」
いつものように野太い声に静寂が破られた。せっかくの大切な時間が今日も台無しにされてしまった。
目を開くと、銀の甲冑に月の紋様を刺繍された青い外套を羽織った大柄の髭男が、麻のワンピースを着て寝そべる彼女を見下ろしている。
「またですか。いい加減にしてくださいよ」
「こっちのセリフだバカ野郎。さっさと仕事に戻るぞ、このバカ神官」
人のことをバカバカと……と内心毒づいて渋々立ち上がり、ヘインズ=ゴーガンの背に歩きだした。彼は神官に仕える騎士で、教会の前に捨てられていたルミナスの面倒を見てきた。
「歩くのが速すぎるんですよ、ヘインズさん」
「お前の歩幅が小さすぎるんだよ。それといつも言ってるが、目下相手の俺に"さん"付けで呼ぶのはやめろ。敬語もだ。昔みたいに……」
「いつも言ってますが年上に敬意を払うのは当然のことじゃないですか。やめませんよ。それに散々に人のことを馬鹿呼ばわりしといて今更です」
ヘインズの言葉に嫌味混じりの答えを返す。試すような笑顔を浮かべた彼女に、ヘインズは少し困ったように言葉を返す。
「まあそうだが……。だがなあ。俺は神官に仕える騎士で、お前はその神官様なんだぞ」
「ヘインズさんも私に敬語なんて使わないじゃないですか。まあ、私がどうしてもって頼んだからですけど」
にっこりと笑っていつも通りにヘインズと小走り気味に並んで歩く。そんな他愛もない会話をしばらく楽しんだところで街の明かりが見えてきた。
「ああ……街が見えてきてしまった! また現実に戻らなきゃいけない時間がきてしまったぁ……!」
大げさに頭を抱え、この世の終わりだと言わんばかりに嘆くルミナスに呆れつつヘインズは、
「お前は毎度毎度違った切り口で絶望するから飽きねえなぁ。さ、お前がただの町娘でいられる時間はおしまいだ。覚悟決めて戻りな」
「はあ……。毎度毎度のことだけど、ほんっとこの瞬間が嫌になりますよ……。はい! じゃああっち向いててくださいね!」
観念したルミナスは一息吸い、左手を胸に当てて一言、
「ノクトゥールに捧ぐ」
そう口にしたルミナスの左手から黒い光が溢れ、次第に彼女の体を覆う。全身を覆った黒い光は数秒と経たないうちに元通り左手に集まり、空へと消えた。
「はい、お待たせしました。もうこっち向いていいですよ」
「まったく……。どうせ見えねえんだからどこ見てても同じだろ」
「私は人に着替えを見せる趣味はありませんので」
青い宝石の髪飾りを月の光に照らして、ヘインズと同じ月の刺繍の入った濃紺のローブに身を包んだ彼女はこの国、ノクトゥーアの神に仕える神官である。
「別にガキの着替えなんざ見たって何も嬉しかねえよ。さっさと行くぞ」
「ガっ……!? ガキとは失礼です! 私だってこれでも……ってちょっと置いてかないでください!」
傍から見れば親子のようである。
「だいたいなんで街の人間のフリする必要があるんだよ」
「それは勿論! いたいけな少女が暴漢に襲われそうになっても動きやすいように! です!」
はあ~~……と長い溜息を一つ。誰がこんなガキ襲うんだ、という言葉を飲み込んで、
「ほら、アルカディアの街だ」
ノクトゥーアの街の一つ、アルカディア。神官はそれぞれの街の名を姓に持つ。
活気のある声が聞こえてくる。行き交う人々の姿は静かな夜もお構いなしに明るい。この街の、いや、この国の人々はルミナスやヘインズと同じく銀色の髪に赤い瞳をしている。
この国では太陽の光が射すことがない。
「ただいま……です」
さっきまで嫌がっていた彼女とは裏腹にその表情は月の光のように輝いていた。
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