2017年英国総選挙の位相
2017年6月8日に、英国では総選挙の投票が行われた。英国における総選挙の実施は、実に2年ぶりである。英国の全国的な投票としては、昨年、EU離脱を決めた国民投票以来であり、それからは、ほぼ一年が経過していたなかでの有権者の審判という意味があった。結果として、この選挙は、英国政治の歴史の中では、非常に特異な選挙となったといえるのではないだろうか。
開票の結果、英国下院の650議席のうち、どの政党も下院における過半数を占めることが出来ない「ハング・パーラメント(宙吊り議会、hung parliament)」と呼ばれる状況が生まれることとなった。英国戦後政治の中で、このハング・パーラメント状態に陥ったのは、1974年、2010年に続き、今回で3回目である。そうした意味でも、この選挙は英国政治の歴史の中では非常に特異な選挙であった。
この選挙はいったいどういった意味を持った選挙であったのであろうか。この選挙の国内・国際政治的な意義を解明するのがこの記事の目的である。
ハング・パーラメントと英国政治
英国の政治は、単独政権による強いリーダーシップと、政権与党の首尾一貫した政策の実践によって特徴づけられてきた。フランスの政治学者であるモーリス・デュベルジェ(Maurice Duverger)が、英国の政治を理想的な政治体制として、その著書『政党社会学(Les partis politiques)』の中で、紹介したのは著名なことである。彼デュベルジェを一躍有名にした「デュベルジェの法則」においては、小選挙区を採用する英国は、二大政党制による強いリーダーシップをとることが可能な単独政権を導く典型例とされている。
確かにこれまで、現代の英国政治はデュベルジェの示唆したように、保守党と労働党の二大政党による単独政権を基調としたものであった。しかしながら、近年ではこの二大政党以外もその存在感を増してきている。例えば国際化の下で地域での主権を模索する訴えを掲げるスコットランド国民党などに代表される政党も、英国の特定の地域において一定の強固な支持を得ており、二大政党制の国家の類型からは逸脱してきたという見方も説得力があるかもしれない。
しかしながら、今回の選挙からは、英国における「国際化」(国際機構のEUからの離脱や、国際化の負の側面であるテロ対策の問題)と「高齢化」(EUという自由市場における国際競争の下の若年層の課題と、いわゆる「ゆりかごから墓場まで(from the cradle to the grave)」の福祉国家状態からの変容)という二つの影響により、既存の二大政党制が大きく変容してきた可能性がある。
さらに、これらは現代のデモクラシーに共通する課題といえる。つまり、今回のハング・パーラメント状態の出現は、単に英国という特殊な状況で起こった特異な事例であり、他のデモクラシーに何ら示唆を与えるものではない、と矮小化して理解されるべきではない。むしろ、英国という現代デモクラシーの典型において、他国にも共通する問題が争点として表れた結果と理解されるべきであろう。そうした現代デモクラシーの変化を英国の選挙から理解することが出来る。
英国における民主主義と2011年議会任期固定法
そもそも、この選挙は元来予定されていたものではなかった。すでに英国は2015年5月に総選挙を行っていたのであり、現在は5年の任期の途中にあたっていた。そこで、本来であれば、2020年までは次の総選挙は行われないと考えられていた。
というのも英国では、これまで、与党の側の党利党略による解散については、批判されてきた。国民によって信託された期間である議会の存続期間(議員の任期)を軽視しているのではないか、という意見が強く存在していたのである。そこで英国議会は2011年9月11日に、総選挙に関しては5年ごとに行うことを原則とする議会任期固定法を制定し、即日施行することで、解散を行いづらくさせていた。
このように本来であれば、2020年まで選挙が存在しないと考えられていた。しかしながら、テリーザ・メイ(Theresa May)首相は、4月18日に、突然、総選挙の前倒しの意向を表明した。この解散総選挙に関しては、条件によっては野党の反対も予想されるものではあったが、結果として議会もこれを承認したことで、具体的にこの「予期せぬ選挙」の幕はきって落とされたのであった。
当然、与党が解散を提案するには、その時点における保守党の支持率が、他の野党よりも十分に高いという背景が存在することはいうまでもない。しかしながら、この選挙の実施に当たっては、単に保守党の党利党略の側面からだけ理解されるべきではない。というのも野党も解散を賛成したという事情がある。すなわち、このメイ首相の突然の決定は、野党にとっても決して理解できないものではなく、理由のないものではなかったのであった。
メイ首相の決断の背景にあるもの:予期されていた当初の争点としての「EU離脱」
それではメイ首相の決断の背景には何があったのであろうか。そこには、「民意の正統性を得たリーダー」の不在であったということが出来よう。
メイ首相は、前のデービッド・キャメロン(David Cameron)政権においては、内務大臣を2010年から務めていた。キャメロンが、2016年の英国におけるEU離脱国民投票の残留キャンペーンを主導した政治的責任を取り、辞任を表明したのを受けて、保守党の次の党首として選出されたのであった。メイにとっては、英国議会下院の650議席のうちで、330議席を保守党が占めるとはいえ、一度も選挙で党のリーダーとして国民に選ばれたことがない——換言すれば、民意の信任を得て国の指導者になったのではないという政治的な弱みが、政治運営の上で常につきまとっていた。
また、昨年行われた英国のEU離脱国民投票においては、キャメロンは英国のEU残留を訴えて投票に臨んだものの、僅差で離脱を選択するという結果となった。そして、この国民投票の結果を尊重することで、政権与党の保守党はEUからの離脱を推し進めることとなる。もちろん、国民の中において、不承不承のEU離脱決定に対して異議を唱えるものがいることは明らかであった。しかし、それのみならず未だ党内にすら、EUからの離脱に対しては必ずしも積極的ではない政治家を抱えていたのである。
民意を尊重してEUからの離脱を決定した政権与党ではあったが、国際的に大きな影響を与える難題であるからこそ、この交渉を進めるには「国民から信任されたリーダーによる政策の遂行」という民意の追い風を再び得ることが必須であった。そして政権の正統性を担保する必要があったといえるのである。
しかしながら、選挙は必ずしも予期した通りには進むものではなかった。選挙結果には、短期的、そして長期的な要因が強く影を落とすこととなったのである。
短期的課題の選挙への影響:予期されていなかった争点としての「テロ対策」
20世紀の最後の10年で、ヨーロッパにおいては「脱冷戦」の時代の認識が浸透した。戦後国際政治を支配した東西冷戦が終わり、暴力的な紛争の可能性は消滅したかのように見えたが、それと入れ替わるように、2001年9月11日以降、世界は「テロとの戦争」状態に入ったといわれている。
サミュエル・ハンチントン(Samuel P. Huntington)が『文明の衝突』の中で予言したような、異なる文化的背景を持ち、自らの価値の正当性を暴力によって誇示することもいとわないテロ組織が現れたのだ。こうした集団にどう対処するかは、現代のデモクラシーにとって共通の課題であるといえよう。
テロの一つの特徴は、それがどこで起こるか予期が出来ないということである。今回の選挙期間中にも、予期せぬテロが生起した。5月22日にマンチェスターにおける米国歌手アリアナ・グランデ(Ariana Grande)のライブにおける爆弾事件である。ティーンエージャーを中心に人気のある歌手のライブにおける死傷者には多くの未成年が含まれており、それ自体、英国国内での批判を招くものであった。しかし、このテロ事件は、予期せぬ批判をメイ首相に投げかけることとなった。
メイ首相は、自らが首相に就任するまで、キャメロン内閣において2010年以来、国内の治安維持、テロ対策を司る内務大臣の職にあった。この彼女の経歴において、直前まで内務大臣であったにもかかわらず、このテロを防ぐことが出来なかったという批判が向けられたのであった。
やり場のないテロへの怒りは、そのはけ口をメイ首相に見出し、メイ首相の保守党はその支持率を低下させるとともに、ジェレミー・コービン(Jeremy Corbyn)労働党党首の選挙キャンペーンの中で効果的に利用され、労働党の支持率向上に寄与することとなった。さらにテロ事件は続き、6月3日にはロンドンにおいても発生した。選挙結果をみると、マンチェスターとロンドン近辺において労働党の議席が躍進しているのは、この批判によって動かされた有権者が多いことを表していると考えられる。【次ページにつづく】