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2017年06月20日07:00
「おめでとう」って言わなくてもいいなんて、うらやましい!
先日、総選挙(※大相撲のほうではない/アイドルのイベント)を見ていましたところ、20位に入った若いメンバーが結婚宣言をしていました。ステージの上で突然の結婚発表とは豪気だなぁと思っていましたところ、想像以上に反響は大きく、真っ赤に燃え上がっているようす。いろんなところで批判やらたとえ話がわき起こっています。
僕も最近は「この人と結ばれたいなぁ」と思っている対象が連続して結婚を決めていたりする婚姻ブームの真っただ中にいましたので、一言いいたくなるような気持ちはわかります。ファンもつらいんだろうなぁと。と、同時に、実際に一言ぶちまけられる感じというのがうらやましくもあります。
僕などはスポーツ選手とかがいろんな意味での興味の対象となっているのですが、この道はあまり「ファンとして恋心を燃やす」のには向いていないところがあります。そもそも「ファンとして恋心を燃やす」ということ自体が本当に大丈夫なのかどうかアヤしい案件だと思うのです。
今は会社の女子をねっとりと舐めまわしただけでもセクハラ認定されるような、公の場で性愛を持ち出すことに厳しい視線が向けられる時代。性愛というのは、極めて限定的に、かつ当事者間の承諾があったときに初めて持ち出すことができるものになってきているように感じるのです。社会のゆるやかな動きとして。その「承諾」がスポーツ選手という対象には本当にあるのか、と。
たとえば野球選手がいるとして、その人を好きだとします。
その「好き」はひとつの意味ではなく、選手として「好き」でもあり、性愛の対象として「好き」でもある。ホームランボールを手土産に私の部屋に来てくれたら最高!みたいなダブルの意味合いです。しかし、実際に推奨される「好き」は前者のほうだけです。後者はちょっと蔑まれるようなところがある。「顔ファン」であるとか。
前者オンリーなんてわけには人間の心はいかないと思うのです。6対4で前者が勝っているけれど後者も頑張っているかもしれないし、最初は0対10だったのがじょじょに5対5になってきているかもしれないし、野球には1ぐらいしか興味ないけれど恋心としては9あるとか、いろんな比率があるでしょう。心には。けれど、大っぴらにしていいのは前者のほうなわけです。後者は決して「承諾」されていないわけです。
売っているものは野球の試合であり、素晴らしいプレーであり、そこから得られる興奮や感動であり、その場を楽しむための弁当やグッズである。ファンに媚びるためにプレーするわけでもなく、ましてや恋心をくすぐって悦ばせるためでもない。どちらかと言えば、その場で恋している自分は罪なわけです。こんな素晴らしいプレーを前にして、「鎖骨舐めたいなぁ」とか思っていることは、許されざる不純なのでしょう、やはり。
遠くからそっと見守り、素晴らしいプレーを受け止める。それが正しい向き合い方であり、それ以上はない。もしかして彼らが気持ちを向けてくれることがあったとしても、それは「夢」「感動」「勇気」を届ける行為であって、「好き」はまずもって届かない。正しく、つつましく見守っていかなくてはならない。
彼らの「結婚」や「恋愛」は、提供サービス一覧にはそもそも含まれていません。だって、試合で素晴らしいプレーをして、夢・感動・勇気を届けたらフルコース終了ですから。「結婚」や「恋愛」は完全にプライベートであり、フェンスの向こう側です。それを心の片隅に置いている自分は、過剰なサービスを期待する悪い客なのだ…どこかでそれを負い目に思う瞬間があります。
幸い僕はもともとの興味・関心に紐づいているので、前者の心だけで十二分に楽しむことができますが、だからといって後者の心が痛まないわけじゃないのです。痛いことは痛いのです。結婚を胸に秘めて人生最大の大一番に向かう姿であったり、あるとき急に家族が増えていたりしたときだったり、あるとき急に家族が増えたり減ったりして減った人間のことは非公表にされたりしたときだったりに、ズキンと痛む部分がないわけではない。けれど、もともと痛んじゃいけない部分が痛んでいるだけなら、騒ぐのもまたみっともない。
アイドルの総選挙で結婚を発表されたら、そりゃ痛いでしょう。応援のために投じたお金、好きという気持ち、やっと押し上げてやった晴れ舞台が一転してお通夜になった虚しさ、全部痛いでしょう。でも、そこで「痛い!」「苦しい!」「つらい!」って騒げるのは恵まれたことだと思います。大っぴらに痛がっていいんですから。むしろ同情すらされながら。
そして、「痛い」と騒げるってことは、「好き」も存分に堪能したわけでしょう。好きという気持ちを届ければ、向こうはニッコリと笑い、それが迷惑だとか気持ち悪いなんてことは決して言わず、いつもありがとうを返してくれたわけじゃないですか。そして、そういう気持ちを持って、そういう気持ちで接することを、誰も咎めはしなかったじゃないですか。
アイドルのファンに「顔ファン」なんて下層民はいないでしょう?顔もサービス一覧に乗ってる大事な売り物なんですから。「好きだー」って叫んでも、隣の客に「うるせぇな」って思われる程度で、咎められはしないわけでしょう?「好きになってもいいよ」と承諾されている相手なんですから。
総選挙という一番大きな「好き」を届ける場で、サービス終了を宣言されたことには、落差の大きさを感じなくもないですが、それは遅かれ早かれいつか来る瞬間。どんなに「好き」を届けたとしても、返ってくる「好き」はサービスでありお仕事であり終わりがあるものなのですから、結局はどこかで「好き」は砕け散る。
ただ、砕け散るまでは存分に「好き」を楽しめたはずですし、砕け散った痛みで泣いたりわめいたりする程度は許容されているんだから、十分恵まれているじゃないですか。「好き」という気持ち自体に負い目を感じ、「好き」が砕け散ったときにつつましく正しく「おめでとう」を言わなきゃいけない環境よりも、だいぶ恵まれているじゃないですか。
他人様の恋愛やら結婚に一言文句を言えるなんて、結構な承諾具合です。裏切るも何もない「他人様の恋愛」に怒ったりわめいたり泣いたり騒いだり計画倒産に喩えたりしていいなんて、すごく「許されている」感じです。グッとこらえて精一杯の「おめでとう」を言わなきゃいけないよりは、ずっとずっと幸せです。
「好き」を売り買いするのがアイドルの仕事だとしたとき、アイドルの結婚宣言というのは野球選手の引退宣言みたいなものです。引退宣言であるならば、ファックスでの新聞報道ではなく、自分の言葉で、お客に最初に届くように言ってほしい。そういう意味では、とても幸せな形での発表なんじゃないかなと率直に思います。
「重大な故障(※週刊誌報道)を抱えており、早晩進退を決断せざるを得ないのだけれど、最後に勝利を得て(※上位進出)、お立ち台で引退(※結婚)を宣言する」なんて、スポーツ選手なら最高にカッコいい幕引きです。それは自分の活動はもちろん、ファンの「好き」にも決着をつける、誠実な幕引きでしょう。ビックリして痛いでしょうが、痛がることもまた許されているのだから、それで十分じゃないですか。
僕も次にくる大きな報せは、それぐらいズドンと殺してほしいと思います。ジワジワよりズドンがいい。ジワジワと小出しにされて、今を存分に楽しめなくなるくらいなら、楽しんで楽しんで楽しみきったあと、即死する一発でズドンと殺してほしい。一発で即死したほうが「おめでとう」を上手に言えるような気もしますしね。
ミッキーは人前でアタマを外さないかもしれないけれど、
アタマを外さないで頑張れる人・頑張れる時間の間だけ、
ミッキーはそこにいるんだから、そりゃ外さないでしょう。
被っていられる間だけ、出てきているんだから。
つらくなったときは、アタマを外すんじゃなく、別の中身の2号が出てくる。
幸せで打ちのめして、「おめでとう」と言うしかないくらい殺し切ってほしい!
先日、総選挙(※大相撲のほうではない/アイドルのイベント)を見ていましたところ、20位に入った若いメンバーが結婚宣言をしていました。ステージの上で突然の結婚発表とは豪気だなぁと思っていましたところ、想像以上に反響は大きく、真っ赤に燃え上がっているようす。いろんなところで批判やらたとえ話がわき起こっています。
僕も最近は「この人と結ばれたいなぁ」と思っている対象が連続して結婚を決めていたりする婚姻ブームの真っただ中にいましたので、一言いいたくなるような気持ちはわかります。ファンもつらいんだろうなぁと。と、同時に、実際に一言ぶちまけられる感じというのがうらやましくもあります。
僕などはスポーツ選手とかがいろんな意味での興味の対象となっているのですが、この道はあまり「ファンとして恋心を燃やす」のには向いていないところがあります。そもそも「ファンとして恋心を燃やす」ということ自体が本当に大丈夫なのかどうかアヤしい案件だと思うのです。
今は会社の女子をねっとりと舐めまわしただけでもセクハラ認定されるような、公の場で性愛を持ち出すことに厳しい視線が向けられる時代。性愛というのは、極めて限定的に、かつ当事者間の承諾があったときに初めて持ち出すことができるものになってきているように感じるのです。社会のゆるやかな動きとして。その「承諾」がスポーツ選手という対象には本当にあるのか、と。
たとえば野球選手がいるとして、その人を好きだとします。
その「好き」はひとつの意味ではなく、選手として「好き」でもあり、性愛の対象として「好き」でもある。ホームランボールを手土産に私の部屋に来てくれたら最高!みたいなダブルの意味合いです。しかし、実際に推奨される「好き」は前者のほうだけです。後者はちょっと蔑まれるようなところがある。「顔ファン」であるとか。
前者オンリーなんてわけには人間の心はいかないと思うのです。6対4で前者が勝っているけれど後者も頑張っているかもしれないし、最初は0対10だったのがじょじょに5対5になってきているかもしれないし、野球には1ぐらいしか興味ないけれど恋心としては9あるとか、いろんな比率があるでしょう。心には。けれど、大っぴらにしていいのは前者のほうなわけです。後者は決して「承諾」されていないわけです。
売っているものは野球の試合であり、素晴らしいプレーであり、そこから得られる興奮や感動であり、その場を楽しむための弁当やグッズである。ファンに媚びるためにプレーするわけでもなく、ましてや恋心をくすぐって悦ばせるためでもない。どちらかと言えば、その場で恋している自分は罪なわけです。こんな素晴らしいプレーを前にして、「鎖骨舐めたいなぁ」とか思っていることは、許されざる不純なのでしょう、やはり。
遠くからそっと見守り、素晴らしいプレーを受け止める。それが正しい向き合い方であり、それ以上はない。もしかして彼らが気持ちを向けてくれることがあったとしても、それは「夢」「感動」「勇気」を届ける行為であって、「好き」はまずもって届かない。正しく、つつましく見守っていかなくてはならない。
彼らの「結婚」や「恋愛」は、提供サービス一覧にはそもそも含まれていません。だって、試合で素晴らしいプレーをして、夢・感動・勇気を届けたらフルコース終了ですから。「結婚」や「恋愛」は完全にプライベートであり、フェンスの向こう側です。それを心の片隅に置いている自分は、過剰なサービスを期待する悪い客なのだ…どこかでそれを負い目に思う瞬間があります。
幸い僕はもともとの興味・関心に紐づいているので、前者の心だけで十二分に楽しむことができますが、だからといって後者の心が痛まないわけじゃないのです。痛いことは痛いのです。結婚を胸に秘めて人生最大の大一番に向かう姿であったり、あるとき急に家族が増えていたりしたときだったり、あるとき急に家族が増えたり減ったりして減った人間のことは非公表にされたりしたときだったりに、ズキンと痛む部分がないわけではない。けれど、もともと痛んじゃいけない部分が痛んでいるだけなら、騒ぐのもまたみっともない。
アイドルの総選挙で結婚を発表されたら、そりゃ痛いでしょう。応援のために投じたお金、好きという気持ち、やっと押し上げてやった晴れ舞台が一転してお通夜になった虚しさ、全部痛いでしょう。でも、そこで「痛い!」「苦しい!」「つらい!」って騒げるのは恵まれたことだと思います。大っぴらに痛がっていいんですから。むしろ同情すらされながら。
そして、「痛い」と騒げるってことは、「好き」も存分に堪能したわけでしょう。好きという気持ちを届ければ、向こうはニッコリと笑い、それが迷惑だとか気持ち悪いなんてことは決して言わず、いつもありがとうを返してくれたわけじゃないですか。そして、そういう気持ちを持って、そういう気持ちで接することを、誰も咎めはしなかったじゃないですか。
アイドルのファンに「顔ファン」なんて下層民はいないでしょう?顔もサービス一覧に乗ってる大事な売り物なんですから。「好きだー」って叫んでも、隣の客に「うるせぇな」って思われる程度で、咎められはしないわけでしょう?「好きになってもいいよ」と承諾されている相手なんですから。
総選挙という一番大きな「好き」を届ける場で、サービス終了を宣言されたことには、落差の大きさを感じなくもないですが、それは遅かれ早かれいつか来る瞬間。どんなに「好き」を届けたとしても、返ってくる「好き」はサービスでありお仕事であり終わりがあるものなのですから、結局はどこかで「好き」は砕け散る。
ただ、砕け散るまでは存分に「好き」を楽しめたはずですし、砕け散った痛みで泣いたりわめいたりする程度は許容されているんだから、十分恵まれているじゃないですか。「好き」という気持ち自体に負い目を感じ、「好き」が砕け散ったときにつつましく正しく「おめでとう」を言わなきゃいけない環境よりも、だいぶ恵まれているじゃないですか。
他人様の恋愛やら結婚に一言文句を言えるなんて、結構な承諾具合です。裏切るも何もない「他人様の恋愛」に怒ったりわめいたり泣いたり騒いだり計画倒産に喩えたりしていいなんて、すごく「許されている」感じです。グッとこらえて精一杯の「おめでとう」を言わなきゃいけないよりは、ずっとずっと幸せです。
「好き」を売り買いするのがアイドルの仕事だとしたとき、アイドルの結婚宣言というのは野球選手の引退宣言みたいなものです。引退宣言であるならば、ファックスでの新聞報道ではなく、自分の言葉で、お客に最初に届くように言ってほしい。そういう意味では、とても幸せな形での発表なんじゃないかなと率直に思います。
「重大な故障(※週刊誌報道)を抱えており、早晩進退を決断せざるを得ないのだけれど、最後に勝利を得て(※上位進出)、お立ち台で引退(※結婚)を宣言する」なんて、スポーツ選手なら最高にカッコいい幕引きです。それは自分の活動はもちろん、ファンの「好き」にも決着をつける、誠実な幕引きでしょう。ビックリして痛いでしょうが、痛がることもまた許されているのだから、それで十分じゃないですか。
僕も次にくる大きな報せは、それぐらいズドンと殺してほしいと思います。ジワジワよりズドンがいい。ジワジワと小出しにされて、今を存分に楽しめなくなるくらいなら、楽しんで楽しんで楽しみきったあと、即死する一発でズドンと殺してほしい。一発で即死したほうが「おめでとう」を上手に言えるような気もしますしね。
ミッキーは人前でアタマを外さないかもしれないけれど、
アタマを外さないで頑張れる人・頑張れる時間の間だけ、
ミッキーはそこにいるんだから、そりゃ外さないでしょう。
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