今年3月の大震災では大津波による犠牲者が数多く出ました。
その翌日に発生した長野県北部地震の際、大きな被害を受けた栄村では中越地震での経験を踏まえて対策を取っていたため犠牲者が出なかったのですが、なぜ大津波のほうは対策を取っていなかったのか、これもまた今後を見据えての大きな課題になっています。
そうした中で、先週、国会でこんなやりとりがあったそうです。
昨年に大きな津波被害を出したチリ地震で、避難するよう警告しても住民が避難せずに犠牲者を数多く出したことを踏まえ、
昨年6月に自民党と公明党が津波対策の啓蒙・避難などに関する法案を提出したそうです。
その法案が通っていれば、昨年11月に訓練が行われるはずだったのが、民主党政権はこれを採り入れませんでした。
この事実じたい全く知らなかったのですが、
法案が可決して訓練がなされていれば、今回の大震災での犠牲者数はかなり違っていたのではないか、と当然思うところです。
当事者である自民党はそうした怒りをぶつけるのですが民主党側は反応せず、
民主党には危機管理対応能力が無いとして末期カン首相にそれを改めて問うたところ、「チリ地震は60年前だから」との答えが返ってきたそうです。
そのやりとりの映像
http://www.youtube.com/watch?v=Mise2fJdL-g#t=2m05s
因みにヘンタイさんによれば、チリで地震津波が発生したのは「60年前」ではなく「1960年」(つまり51年前)だったそうです。
それはともかく、対策法案が出されていたのに無視して被害を受けてしまったという格好で、これが自民党政権時代であれば、マスコミは鬼の首をあげたように大騒ぎしているでしょうが、
国会でこんな議論があったことや去年にそうした法案が出されたこと自体マスコミは触れていません。
昨今伝えられる末期カン首相の「タフネス伝説」なるものは、所詮はこうしたマスコミの意図的な不作為と当事者の厚顔無恥とが織りなす幻想に過ぎないわけで、リアルタフネスの小泉・麻生両氏はもちろん、実際のところ散々酷評されて倒れてしまった安倍元首相よりも叩かれ弱いのではないかと思います。
自公で法案を出したのは末期カン政権が樹立したばかりの頃であり、これもまた末期カン政権の大きな過失といえるでしょう。
(以下ソース)
東日本大震災:小説「津波」今、注目 岩泉出身の菅原さん作品 /岩手
http://mainichi.jp/area/iwate/news/20110708ddlk03040014000c.html
◇寒村舞台に方言でつづる 「津波ハ必ズ来ル 命ニカケテ 山カラオリテハナラヌ」
岩泉町出身の菅原康さん(1929?2008)が三陸の寒村を舞台に明治、昭和の三陸地震大津波を描いた小説「津波」が東日本大震災後の今、注目されている。住まいの高台への移転や語り継ぐことの重要性などの教訓が岩泉地方らしい方言でつづられ、見事な「津波文学」となってよみがえる。【鬼山親芳】
明治三陸地震大津波(1896年)で生き残った祖父と孫娘を中心とした、海辺の集落の物語。祖父は「津波ハ必ズ来ル 命ニカケテ 山カラオリテハナラヌ」との遺言を残すが、海に近い低地には家が次々と建てられる。そして昭和三陸地震大津波(1933年)。集落は跡形もなく流されるが、半鐘やかがり火など緊急時の避難呼び掛けの備えが住民全員の命を救う。
小説は1986年の潮出版社主宰第5回潮賞(小説部門)を受賞し、同じ題名で単行本にもなった(絶版)。同人雑誌「火山」(62年創刊)に途中まで書き進んだ「海の谷間」を書き改めた作品だ。03年には弟で宮古市芸術文化協会理事長の惇さん(80)の手によって「菅原康作品集」として発刊された。
菅原さんは宮古小、旧制花巻中から岩手医科大予科に進むが文学を志し、中退して上京。住宅雑誌の編集者をしながら小説を書いた。「津波」ではチリ地震津波(60年)の直後に宮古から釜石までの被災地を歩いた体験が生かされたという。