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あの人に迫る

村木厚子 厚労省前次官

写真・圷真一

写真

◆性的搾取される「女の子」支えて

 厚生労働省前事務次官の村木厚子さんが、虐待や貧困を端緒に性的搾取などに苦しむ「女の子」の支援活動をしている。きっかけは、二〇〇九年の郵便不正事件に巻き込まれた拘置所生活で出会った彼女たちの存在だ。権力に屈せぬ思いは今、形を変え、誰かの未来を守る取り組みにつながっている。

 −「女の子」の支援活動とは。

 貧困、虐待などを端緒にした、性的搾取や予期せぬ妊娠、薬物依存…。誰にも言えずに悩みを抱え込んでいる女の子は、案外多い。各地に市民団体やNPO法人などはあるけれど、残念ながら全体的に小さい。それぞれの活動が、彼女たちのSOSにつながっていない部分もある。

 そのひずみをなくすネットワークをつくろうと「若草プロジェクト」と銘打ち、瀬戸内寂聴さんと呼び掛け人になり、立ち上がった取り組みです。LINE(ライン)での相談を受け付けたり、支援者の研修会を開いたりしています。

 −これまでの団体との違いは、ネットワーク化したことだろうか。

 この問題は性的なことだったりして、非常にセンシティブ。女の子たちへの支援に専門的な知識と技術が必要なことはもちろん、各分野の支援を重複して行う必要があります。

 ネットワークがあれば、この問題はこの団体に、その問題はこの団体と一緒に、などと重層的に取り組める。私は専門家ではないけれど、これまでの厚生労働省の仕事柄、それぞれの分野で活躍するプロの人たちをつなぐことはできる。

 事態は深刻です。女の子たち本人の代わりに、扉を開けてあげる大人は必要だと思いました。女の子たちがこれ以上、道に迷うことがないように。

 −活動を始めるきっかけを聞かせてほしい。

 私は、ご存じの通り、障害者郵便不正事件で逮捕され、その後、冤罪(えんざい)が証明されました。でも、その百六十四日間の大阪拘置所での日々は、いろんな意味で、私の人生を大きく変えてくれたんですね。

 拘置所で、私は未決囚でしたので、いわば、ただ部屋にいるだけの生活でした。ですが、大阪拘置所には既決の女性受刑者もいたんです。受刑者の中には、刑務作業として、食事の配膳をしてくれる方や、洗濯物を毎朝取りに来てくれる方がいました。

 その女性たち、というか、女の子を見た時に、はっと驚きました。なぜかっていうと、本当にかわいらしかったから。化粧もしていないからか、幼くも見えました。

 私は、女の子と刑務官とのやりとりをじっと聞いていました。みんな本当に素直だった。気の利いた子もいるし、一生懸命に仕事している。なんでこんなかわいい子が、こんな優しい子がここにいるんだろうってとても不思議でした。

 だからある時、事件の取り調べの合間に、検事に聞いたんです。「あの子たち、何したんですか?」って。そしたら「ああ、覚醒剤か売春だろう」って。

 当然やってはならないことですが、私がそれまで抱いていた「犯罪者」のイメージと全く違いました。厳しい実社会の中で、生きづらさを抱えていた人の終着駅としても刑務所がある。単純に「悪人」がいる場所ではないのかもと、実感を持って知りました。

 −拘置所でも厚労省の視点を失わなかった。

 拘置所の中では、毎日、決まった時間にラジオニュースが流れるんですね。私は当然もう仕事はできなかったんですが、自分に問い掛けながら聞いていたんです。どのニュースが一番気になるか、どのニュースが一番聞きたくないかって。答えは、子どもの虐待のニュースでした。本当に切なくてね。耳をふさぎたくなるのに、じっと聞いている自分がいました。その時、そうなんだ…自分が一番つらく感じるのはこのテーマなんだって、客観的に気付くことができました。

 「若草プロジェクト」で、支援している女の子たちの背景には、虐待とか家庭内暴力が影響していることも多い。拘置所で見たり感じたりしたことが、確実に、今につながっています。

 −昨年末の深夜、東京の繁華街で街をさまよう女の子に声を掛ける調査をし、これほど多いかと驚いた。

 子どものころ、親とけんかすると、一度は「家出してやる!」って考えましたよね。今は、そうやって家出しても、泊めてくれる男性をSNSで探せたり、即日雇ってくれたりして生きていけちゃう。危ないことがパクッと口を開けて待っている時代になった。

 でも、そんな女の子を性的に買っているのは大人ですよね。女の子たちを誰が追い込んできたのかってことを、もうそろそろ社会は気付かないといけない。背景に虐待があったり、いじめがあったり貧困があったり、無関心な大人が柔らかい心を踏みにじっている。

 街をさまよう女の子を見ても「好きでやっていること」「お金が欲しいんでしょ」「他人に迷惑かけていないから放っておけば」って、やり過ごされている。見過ごせない根っこがあるのに、多くの人の意識はそこまで及んでいない。

 −「女の子」という言葉をよく使われますね。

 私たちの活動で、ずばり言い当てている言葉が、「女の子」じゃないかなと思います。「女性」っていうと大人のイメージが入る。「若年女性」はお役所言葉ですよね。じゃあ、「少女」っていうと、未成年の印象が強い。女子児童、女子生徒の年齢から被害によっては成人女性も含まれると、「女の子」が一番しっくりくる。

 厚労省の施策で「女の子」って言葉はほとんどない。それだけ、この視点の施策が抜けていたとも思う。

 言葉は概念を共有して広げていくことができるので、「女の子」という言葉を大切にしたいんです。

 若草プロジェクトの「若草」っていうのも、米国の女性作家が書いた「若草物語」から付けたんです。物語に描かれたあの四姉妹と同じ年齢層への社会的支援が必要だ、ということでね。

 −拘置所で支えになった言葉があると聞いた。

 「一日一生」っていう言葉ですね。拘置所にいた時、知人が差し入れてくれた本にありました。著書は比叡山(大津市)で修行された酒井雄哉師(故人)。一日一生とは、「今日一日を一生と思って暮らせ」との意味で、「身の丈にあったことを繰り返して今を生きよ」という解釈です。

 拘置所では、取り調べの後も保釈されず、苦しくて苦しくて。でもこの言葉で、ものすごく重い大きな岩を下ろせた気がしたんです。膨大な苦労から解き放たれたような。

 今そうやって、「一日一生」って、耐えている女の子は少なくない。一日生きることで精いっぱいな子が多くいる。生まれ育った家や、周囲の大人の環境が故に、いわば必然的に、重い大きな岩を背負わされている。そんな女の子を暗闇の世界から解き放ってあげたい一心で活動しています。

◆あなたに伝えたい

 もうそろそろ社会は気付かないといけない。背景に虐待があったり、いじめがあったり貧困があったり、無関心な大人が柔らかい心を踏みにじっている。

 <むらき・あつこ> 1955年、高知県生まれ。高知大卒業後、78年に労働省(現厚生労働省)に入省。障害者支援、女性政策などに携わり、雇用均等・児童家庭局長などを歴任する。2009年6月に郵便不正事件で、虚偽有印公文書作成・同行使容疑で逮捕される。164日間の勾留の末、10年9月に無罪判決、確定。その後、供述調書に依存しない捜査・公判改革の議論をする法制審議会特別部会の委員に選任された。13年に厚労省事務次官に就任し、15年に退官。退職後は、伊藤忠商事取締役および、大阪大男女協働推進センター招聘(しょうへい)教授に就任した。16年4月に「若草プロジェクト」が発足し、呼び掛け人代表として活動を始める。

◆インタビューを終えて

 出会いは昨春、京都・嵐山であった「若草プロジェクト」の懇親会だ。苦しむ女の子たちを支援している人らが全国から集まると聞き、無理を言って参加させてもらった。今も研修会に時折顔を出し、現場の苦悩に触れる日々だ。

 そのたびに、村木さんの強さを思う。拘置所の暗闇で、めげることなく社会の問題点を見つけ、何とかしたいと奮闘を続ける。その柔らかな実直さに、人は自然と周囲に集まる。

 村木さんは、冤罪(えんざい)事件について、こう語った。「それぞれが何か役割を持って生まれてきている。私にはあの事件が宿題だっただけよ」。つくづく強い。

 (木原育子)

 

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