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A1理論はミニマリスト

ポジティブにつぶやき中@A1riron

教育は幸運なる人々には『飾り』となり、不幸なる人には『避難所』となる。(デモクリトス)

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世のなかの本質を突いてますね!デモクリトスさん!

デモクリトス - Wikipedia

 

さすが、プラトンに手に入る限りのデモクリトスの書物を焼かれ、

「彼の著書で多くの言葉を費やす者は、いかなる正しいことをも学ぶ能力がない」

と言われただけのことはある!w

 

いやいやプラトンさん、▼ニートこそが『イデア』なあんたに言われたくないww

時間を空費するのは、贅沢の絶頂である。(プラトン) - A1理論はミニマリスト

「ウホッ!」にプラトニック・ラブだしw

原子・分子の発明発見物語―デモクリトスから素粒子まで (発明発見物語全集 4)

原子・分子の発明発見物語―デモクリトスから素粒子まで (発明発見物語全集 4)

 

 

で、今回のタイトルの言葉ですが、、、

教育は幸運なる人々には『飾り』となり、不幸なる人には『避難所』となる。

 

20世紀までの人類の『教育』の歴史って、

『不幸なる人』(貧乏人)が、苦学して、蛍雪の功で築きあげた知識体系を、『幸福なる人』(ボンボン)がブランド化して身にまとう

ってことの繰り返しだったんだろうなぁ。

(そのアンチテーゼとして『ストア派』とかも生まれたのかもしれない)

 

貧しい家の「フェニックスマン」も『知性の神』と融合することで、「キン肉マン・スーパーフェニックス」になったんですよ!

(なんのこっちゃwチートやしw)

 

まぁ、古代ギリシャとかは『学校』とか『アゴラ』にこそ、『知識』がまとまって置いてあったんだろうな。

そこに行かないとレアポケモンである『教育』はゲットできない。

そこに行く方法は、苦労して這い上がって行くか、カネで解決ぶぁいやいやい!でショートカット、かのどちらかだったんだろう。

 

この風習は20世紀くらいまでずっと続いたんだろうな。

なぜなら、結局、『知識』体系が、全て紙と活版印刷術にまとまってたから。

 

だから、そこに行くこと自体がステータスになった。

ま、日本語でミニマムに言うと『学歴』ってことなんだろうな。

 

田舎にいたんじゃあ、いつまでたっても、テレビとゲームとパチンコ雑誌と車雑誌の世界だ。

 

僕が98年に姫路から東京・高田馬場に出てきた時、瞬時に、

「ここに住みたい!!」

って思ったのは、

そこには『本』が溢れてたからだ。

 

 

でも、21世紀初頭の第1次IT革命、第2次IT革命によって、

『教育』

『知識』

そのものもパケット化し、場所も時間も選ばなくなりつつあるんじゃないかな?

 

もっと言うと、

『アウトプット』

に関してもそうだ。

人間の脳のストレージ容量には限界がある。

だから、僕は脳のストレージ容量を一定以上確保するため、つまり『忘れる』ためにブログを書いている、と言ってもいい。

 

だから、ブログ仲間や、読者に、

「まえにブログで●●って書いてたじゃん!」

って言われても、

「そうだっけ??」

って、よく自分の書いたことを忘れてる(笑)

 

なので、

皆さん、僕がブログに書いたことを忘れてるのを責めないで下さい!(笑)

 

これからも、僕が敬愛するゆでたまご先生や荒木飛呂彦先生を見習って、

以前、自分で書いたことをどんどん忘れていこうと思ってます!(笑)

(『ゆで理論』と読んでくれ!w)

 

 

と、まぁ、そんなことはどーでもいーとして(どーでもいーんかい!w)、『教育』の量がすべて収まった古代ギリシャの時代ならともかく、

この時代、『教育』も『知識』も『情報』も、ビッグデータ過ぎる。

 

人類が築いてきた知識の全てのことを知ることはもう不可能だし、むしろ、記憶しようとしちゃダメだ。

なぜなら、やはり、脳のストレージ容量には『リミット』があるからだ。

 

この時代、脳は常に『空っぽ』なくらいでちょうどいい。

そのほうが、CPUのクロック数という脳の『パフォーマンス』をマキシマムに発揮できるからだ。

 

臨機応変にスマホからその時使う知識だけを取り出して、使用後は常時『キャッシュクリア』で知識も断捨離!

(『モバイルボヘミアン』だろ~)

 

「頭、空っぽのほうが『夢』詰め込める!」

って、昔の人も言ってたじゃないか!

(90年くらいに)

 

というわけで、

この時代、知識なんて『飾り』になんてならない!

『飾り』じゃないのよ、知識は!ハッハー!

 

むしろ、

全ての人にとって、知識は『避難所』になるんじゃないかな?

自分の人生における『避難所』。

 

特にブログの記事とかは、絶好の『避難所』だと思う。

自分がこの先、困った時は、自分のブログ記事を検索して、『避難所』に戻ってくればいいんだから。

 

その、自分のために作った『避難所』が、万が一、他の困ってる誰か「不幸なる人」の『避難所』にもなれば、、、

もしかしたら、その人の人生を少し救えるかもしれない。

 

 

そうやって、拙者はこの『21世紀』を生きているでござるよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

って、朝っぱらから酔っ払って、こんなハイテンションなジャンプネタマキシマムな記事を書いて、誰のなんの『避難所』にもなってないこんな記事が『バズってどうする!?』