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A1理論はミニマリスト

ポジティブにつぶやき中@A1riron

「『二宮金次郎』は単なる『歩きスマホ』だ!」って言える社会こそが、一番『豊かな社会』だ!

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すっかり忘れてたけど、▼phaさんがテレビに出てたらしい。

テレビ出演とか - phaの日記

 

僕はTVも動画も見れてないんだけれども、

twitter上では番組内容に非難轟々らしい。

 

 

 

 

 

まぁ、僕が言いたいことは大体、ツイートに書いたことだし、その補足をフォロワーの方々がしてくださってるけど、、、

 

 

ここでちょっとした小話を。

 

今はかなり少なくなったけど、

昔は多くの学校に二宮金次郎の銅像があった。

ぼくの小学校にもあった。

 

小学校の時、担任の先生はこの銅像を指差して、

「みんな、これくらい勉強しなさい!」

みたいことを言ってた。

 

確かに、

「プロダクトの『生産性』」

が低かった時代は、ある程度、そういう教育は仕方なかったのかも知れない。

明治以降の日本は西洋列強に追いつけ、追い越せ、だったし、終戦直後は食うや食わずの時代が続き、80年代でもコンピューターはまだまだ貧弱だった。

ファミコンのドラクエ4の容量が『4メガ』でみんな度肝を抜かれた時代だったw

 

でも、

「プロダクトの『生産性』」

がカンストした今の時代、

「これって、単なる『歩きスマホ』だよねえ?」

って言える社会こそが、一番、『豊かな社会』なんじゃないだろうか?

 

二宮金次郎は、GDPを上げるためとか、出世したいがために歩きながら本を読んでたんじゃなくて、単に、

「本が好きだったから」

歩きながら本を読んでたんじゃないかな?

今の歩きながらtwitterやったり、Facebookやってる人と同じで。

 

wikiにも、

二宮尊徳 - Wikipedia

尊徳に関しては多くの逸話が残っている。

事実かどうか確認できないものも多いが、伝記などに多く記述される代表的な逸話には次のようなものがある。

これらの逸話の多くは、弟子の富田高慶が著した尊徳の伝記『報徳記』を由来とする。

ただし、尊徳は幼少期の頃について全く語らなかったため、高慶は村人から聞いた話を記したとしており、高慶自身信憑性は保証できないとしている。

と書いてあるw

 

そうそう、▼『日露戦争物語』の1巻の最初に、二宮金次郎と同じく、風呂焚きをするために薪を背負いながら福沢諭吉の『西洋事情』を読んでる若き日の秋山好古(超ミニマリスト!)が出てくるけど、、、

 

この秋山好古は、

「単なる好奇心」

から『西洋事情』を読んでたんじゃないかな?

 

町中でバックパック担いで、歩きながら『地球の歩き方』や▼『旅行人ウルトラガイド』を読んでるアジアの旅人と同じで。

ラダック (旅行人ウルトラガイド)

ラダック (旅行人ウルトラガイド)

 
西チベット (旅行人ウルトラガイド)

西チベット (旅行人ウルトラガイド)

 

 

それは単に、

「自分の知らない世界を見てみたい!!」

って欲求をマキシマムに満たしてるだけであって、今の時代の『歩きスマホ』となんら変わりはないだろう。

 

「一度だけの人生、『好きなこと』だけやりたい!!」

っていう意味では、ある意味、相当、ワガママな生き方だ。

 

軍師・黒田官兵衛も、天下を取ろうとした理由で、

「争いの世を終わらせたい!」

っていうのは所謂、大義名分で、本音は武田鉄矢(海援隊)の▼『二流の人』の歌詞にあるように、

www.youtube.com

 

「天下を取れば、船を出し、ヨーロッパ(バテレンの国)やシルクロード(絹の道)の町を歩きたい!」

シルクロード―中央アジアの国々 (旅行人ノート)

シルクロード―中央アジアの国々 (旅行人ノート)

 

っていう、ただそれだけのシンプルな理由だったんだろう。

(※司馬史観です)

 

なので、結局、二宮金次郎も、秋山好古も、黒田官兵衛も、

「好きなことをやってるだけ」

単なる変態ミニマリストに過ぎない。

 

それを、

「プロダクトの『生産性』」

が未熟だった20世紀の日本人は、

「こんなストイックにGDPを上げようとしている『偉人』を見習うべき!!」

と、『学校』という名のサティアン、『教育』という名のヘッドギアでマインドコントロールして、がむしゃらに「プロダクトの『生産性』」を上げてきただけだ。

(って、このネタ大丈夫か?w)

 

これは戦前の、

「日清戦争のラッパ隊は『死んでもラッパを離しませんでした。』」

という▼『メガンテ教育』となにも変わらない。

日本人はメガンテ(自己犠牲呪文)大好きだけど死ぬほどコスパ悪いよ!w日本企業なんてまともに相手するなよ!w - A1理論はミニマリスト

 

本なんて、『生産性』が低い人間が読んだところで、たいして意味がないどころか、かえって毒になる。

 

マルクスの『資本論』だって、頭の悪い頭でっかちが読んだから、あんなことになったのだ。

「文化大革命」を『再生産』しても、なんの意味もないのだ。

 

僕も時々、

「めっちゃ本読んでますねぇ!!」

って、読者(信者)から言われる時あるけど、そんなこと言われても、

「これは趣味だ。」

としか言いようがない。

 

僕は映画やテレビというメディアはどうしても内容が冗長で、途中で寝てしまうし、ゲームとかはクリアした時の『徒労感』がハンパない。

 

なので、旅をすることと、本を読むくらいしか趣味がない。

で、本と言っても、ほとんどの本は大型書店で『立ち読み読了』だ。

 

で、

その行為を『偉い』とも全く思ってない。

 

これはドラゴンボールのセル編で、『セルゲーム』を開催すると宣言したセルに向かってクリリンか誰かが、

「なんでこんな酷いことをするんだ!(フリーザみたいに)世界征服が目的か!?」

って言った時に、セルが、

「これは『趣味』だ。」

と言ったのと同じだ(笑)

 

二宮金次郎も、秋山好古も、黒田官兵衛も、『地球の歩き方』や『旅行人』読みながら歩いてるバックパッカーも、歩きスマホの若者も、

「なんでそんなことするんだ!!」

って言われても、

「これは『趣味』だ。」

 としか言いようがないんじゃないかな?

 

 

二宮金次郎も、秋山好古も、黒田官兵衛も、GDPを上げたかったんじゃなくて、今の言葉で言うと、単なる、

『モバイルボヘミアン』

になりたかっただけであって、そのための『手段』として本を読み、そのために当時は国自体を変革する必要があったわけで。

モバイルボヘミアン 旅するように働き、生きるには

モバイルボヘミアン 旅するように働き、生きるには

 

 

で、

これは僕がブログを書き続ける理由と全く同じだ。

 

 昨日、渋谷で行われた『モバイルボヘミアン』イベントでお話した四角大輔さんは、僕らブロガー仲間をベタ褒めしてくれて、

「ブロガーこそが、真の『モバイルボヘミアン』だ!」

みたいなことを言ってくれた。

  

 

 

で、どうしても、ミニマリストである僕のブログは「モバイルボヘミアン」や「ブロガー」の話が多いけど、例えば、

「『お笑い』が好きだから」

と、どれだけお金を稼いでも引退せずにお笑いを続ける▼松本人志や、

 

「『ゲーム』があったから犯罪者にならずに済んだ」

と、『ゲーム屋敷』に住むマキシマリストである▼クソゲー芸人のフジタも同じだ。

www.youtube.com

 

『好きだからブログを書く』

『好きだから旅する』

『好きだからニュージーランドに住む』

『好きだからお笑いを続ける』

『好きだからゲームをする』 

『好きだから週6で獣医の仕事をする』

『好きだから無理に働かない』

『好きだから頑張って働く』

 

っていう人で溢れる社会こそが、本当に『豊かな社会』だと思うんだけど、日本人は食うや食わずの20世紀後半に教育によって埋め込まれた『勤勉プロトコル』が強烈過ぎて、21世紀になってもほとんどの人がそういうことを理解出来ないんだろうな。

 

ま、

頭に刺さった「イルミの針」を自分で抜ける人間はいつの時代も少数だってことで。