発売されてから少し経った後にこの本を読んだ記憶がある。当時はまだ学生で、なんでこの人はだるいだるい言っているのだろうと思った。
しかしニートになった今読み返してみると、共感する部分がたくさんある。
phaさん(@pha)は知っている人も多いだろう。phaの日記を始めとして著作もいくつか出している名の知れたニート。ザ・ノンフィクションにも出ている
簡略的に説明させてもらうと、京大を卒業してから企業勤めを経て退職し、ギークハウスを発足したというような人です。
前に書いた吉田寮の記事も著書で同大学の熊野寮について触れていて、旅行のついでに泊まった。
文章構成
phaさんのニートに対する考えとメキシコの漁師の話から始まり、
第1章:ニートのネットワーク-僕がニートになった理由
第2章:ニートの日常風景-コミュニティとゆるい生活
第3章:ニートの暮らし方-ネット時代の節約法
第4章:ニートのこれから-社会・人間・インターネット
といった構成。細かい目次や文章の一部もこのサイトに載ってるので後で見てみるといいでしょう。
ニートの生き方の可能性
前半部はニート生活、金銭問題、ネットでのつながりについてなどノウハウ本に近い。
この本を通じて思うのは 、ニートでもここまで生き抜けるんだ!ってこと。ネットを活用することで無職でも生きる方法が沢山あることがわかった。
厳密にはphaさんはニートではないけれど、ニートの定義が曖昧な今、そんなことは関係ないと思います。一読することでphaさんの暮らしが垣間見える。
ニートの状態で生計を立てるというのは想像しづらいし、無職の人でも生きていける方法はネットの可能性を感じさせるもの。
ニートの孤独
なぜニートが、ギークハウスのようなシェアハウスで共に暮らすのか?たしかに荷物不要で安い値段で暮らせるシェアハウスは生きるハードルを下げるけどね。
そもそもニートと一般人が違うのは、あまりに孤独が辛いということ。
社会的に所属を得ている場合、休みの日に1人で居てもどこか孤独が心地いい気がします。けれど無職の孤独は、基本的に長期的に1人の状態です。とても辛く、まるで世界に取り残されている気分になる。
人はどこかに所属し、群れ、欲を満たされることで生の実感がわく。生きる喜びを分かち合えない無職ほど、孤独が“孤毒”へと変わります。
だからニートたちはそんな辛さを感じないために、寄り添い合い生きていくのでしょう。
以前読んだ時の違和感
以前読んだ時、突っかかるものがあったのはなぜだろうかと思った。自分なりに考えると、理解・共感の問題ということでした。
人は基本的に自分の経験の範疇で物を考えます。自分が経てない境遇に対して想像する行為は難しい。
どちらかというと、インターネットにゆかりのなくてバリバリ働いている人が読んでも共感しにくい本。
視野が広がるとは思うが、現実的にネットで活動している人でないとわかりにくい。
境遇が変われば、本に対する考えはここまで変わるのか!と感動すら覚えた。
生きるとは住み分けではないか?
こういう働かないで自堕落している人、を理解できない人種は、一定数いると思います。先ほども言いましたが、想像というのはそれぞれの経験に大きく基づくものです。
世界には無数のコミュニティが存在し、それが重なりあって構成されてます。
人は生まれてから家族という固まりに参入し、幼稚園児でも既に仲良しグループを作る。
生き方というのは成長するにつれて様々な方向へと拡散していきます。そして各々のコミュニティへと所属していくのです。
生きるとは住み分けていく行為であり、外部コミュニティからすればどうあがいても理解できないのかもしれない。それでも常識というもので思考を固めてしまうのは危険だよね。
当たり前だが無職でも様々な無職がいる。肩書きだけニートの人だっている。
社会人の方が逆に働きすぎなのかもしれない。
常識の観点は千差万別。。
働くことが悪いわけではないし、それもまた大切なこと。
phaさんという人物像が滲み出てるような一冊でした。
ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法
- 作者: pha
- 出版社/メーカー: 技術評論社
- 発売日: 2012/08/03
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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