まず、君はMだね。そう思ったと思う。MとはSの真逆に位置する。Mがマグロ女ならSがトビウオ女だ。ちょっとわかりづらいので、お子様にもわかりやすく説明すると、Mはサービスを受ける側でSがサービスをする側だ。お店の店員さんとお客さんの違いと言えばわかりやすいだろうか。業界用語で説明すると、Sを追求したのが女王様で、Mを追求したのが奴隷となる。
三浦瑠麗について
「うん?次はどうして欲しいのかな?」。これはどういうことかというと、先ほど説明した女王様と奴隷の関係。それは国際政治学者、三浦瑠麗(みうらるり・36才)をイメージすると一番わかりやすい。一般的なコメンテーターは自分の知識なり思想内でしかコメントしようとしない。だが、彼女は相手ありきの相手を喜ばすコメントを用意して提供する。料理でいうところの懐石やフレンチ。田崎真也氏で有名なソムリエの一流のサービス。
三浦瑠麗を女王様に見立てた場合、その他の男はもはや燃えカスとなる。つまり三浦瑠麗が議論し始めたことが、実はまた新たな議論の開始の合図となっているのである。
自分はSなのかMなのか
Mを追及するのであれば、使い古された言葉ではあるがサービスのSをまず念頭に置く必要がある。誰もが一度はあるだろう「自分はSなのかMなのか」と、考えたことが。普通の一般的な庶民のほぼ半数以上は、SでもMでもどっちでもない部類に属している。さらに細分化すると、SよりのMか、MよりのSか、ありよりのありか。のどれかになる。ちなみにぼくはMであるし、Sでもある。ドMでもあるし、ドSでもある。ただ、バックよりも正常位を好むのは確かだ。
どうして欲しいのかな?
夜目遠目笠の内。知的な言葉がサラッと出てくる女は素敵だ。これは女に限ったことではないが、知的水準の高い、経験豊富で教養のある人と話をするのは誰もが楽しいだろう。自分の知らない世界を持っているなど。しかし待って欲しい。別に学歴が高ければ、話が楽しいわけではない。良い大学を出ていてもマウンティングばかりでつまらない人も多い。それを踏まえたうえで、ぼくが言いたいことは、「どうして欲しいのかな?」と、問うことのできる。Sっぽい表情でサービスできるイマジネーションこそが真の教養ではないのか。と。最後に三浦氏のブログを下に貼り付けておこうと思う。よりリアルにSとは何かを感じることができるだろう。ぼくはまだ読んでいないけど。たぶん、そう思うんだ。