うちの猫の中でも一番のあまえん坊で、さみしん坊。
それがきなこだ。
きなこは、一日の大半を僕の膝の上で過ごす。
降ろしても降ろしても、そのたびにきなこは僕の膝の上に飛び乗ってくる。
僕がいないときは、嫁や子供達の膝の上に乗っていたりもするけど、僕が帰ってくると、きなこも僕の膝の上に帰ってくる。
僕が寝る時は、だいたい僕の布団の中に潜り込んでくるか、首の上で一緒に寝る。
僕は寝相が悪い方なので、潰さないように寝るのが大変だ。
眠りが浅くなって寝不足にもなるが、可愛いから許す。
時には、手にじゃれついてきたり
僕の作業を邪魔しにきたりもする。
僕は、そんなきなこが大好きだった。
そんなきなこはいま、僕の膝の上にはいない。
2日前の昼過ぎに、死んだ。
別れは突然に
それは僕と嫁が新しく買ったボードゲームで遊んでいる時のこと。
いつも僕の膝の上にいるきなこが、窓際に座ってぼーっとしている。
「まあそんなこともあるだろう」
と
僕はたいして気に留めていなかった。
ボードゲームで一通り遊び終わり、ひと区切りついて休憩し始めた頃、きなこの異変に気付く。
「ぎゃううううう・・・」
いつもの可愛らしい鳴き声とはまるで違う。
苦しそうな、それでいて助けを求めるような声で鳴きながら、きなこが僕のところに歩いてきたのだ。
呼吸は荒く、足取りもおぼつかない。ふらふらと2〜3歩歩くと、ぱたんとたおれてしまう。
サーっと、血の気が引く音が聞こえた。
大慌てでタクシーを呼び、かかりつけの動物病院に電話をする。
しかし、いくらコールしても動物病院に繋がらない。
ちょうど昼休みの時間だったからだ。
近くの動物病院を検索し、片っ端から電話する。
2軒目、繋がらない。
3軒目でようやく繋がった。
きなこの症状を伝えると、いますぐ連れて来るように言われる。
先程呼んだタクシーはまだ来ない。
タクシーを待つ3分が、30分にも1時間にも感じられた。
タクシーに乗り、動物病院に向かう間もずっと、きなこは苦しそうだった。
これほどまでに信号待ちを煩わしく思ったことはなかった。
きなこを励ますことしか出来ない自分が、とても無力に思えた。
動物病院に着くと、きなこはすぐさま手術室に運び込まれた。
僕には、ただ祈ることしか出来なかった。
嫁が隣で手を握っていてくれたが、嫁の手も震えていた。
それから、どれだけ時間が経ったのかわからない。
僕と嫁は何度か手術室に呼ばれた。
先生は必死にきなこの心臓マッサージと人工呼吸をしていた。
それでも、きなこの呼吸は戻らない。
心電図を見ても、きなこの鼓動が確実に弱まっていることが見て取れた。
「頑張れ」
声をかけるが、反応は帰ってこない。
薬を打つたび鼓動は強くなるが、すぐ弱まってしまう。
きなこの呼吸は、戻らない。
ついに心電図のモニターに「ゼロ」の数字が映しだされた。
先生に
「機械を外してしまっても大丈夫か」
と聞かれた。
僕は震える声で
「お願いします。」
とだけ答えた。
きなこは、死んでしまった。
感情がついてこない
「きなこが死んだ」
うちに帰って子供たちにそう伝えると、子供たちは泣き出してしまった。
みんな、きなこが大好きだったのだ。
でも僕は、なぜだか涙が出てこなかった。
あんなにも一緒だったのに、あんなにも大好きだったのに。
なぜ泣けないのか、自分でもわからなかった。
その日の夜、ふと気づいた。
「ああそうか。もうきなこが布団に潜り込んでくることも、首の上に乗ってくることもないんだな。」
と
「もうきなこを潰さないように気をつけて寝る必要もないし、寝不足になることもないんだ。」
と
それを思ったとき、いままで出てこなかった涙が、一気に溢れてきた。
大の大人が、声をあげて泣いた。
ここでようやく、僕はきなこがいなくなってしまったことを実感したのだ。
3匹の子猫
うちにはもともと、3匹の子猫がいた。
里子として迎えた猫が、うちに来た時点で妊娠していたのだ。
生まれた子猫は、3匹とも未熟児だった。
※通常、子猫は100g前後の体重で生まれてくる。
あんこ
生まれたときの体重は64.5g
未熟児として生まれたにも関わらず、すくすくと成長し、未熟児だったとは思えないほど元気に走り回っている。
先生お墨付きの健康優良児だ。
しらたま
生まれたときの体重は36.8gの超未熟児。
生まれつき、漏斗胸という先天的な奇形を患っていた。
しらたまは、生まれてからひと月も経たずに死んでしまった。
なぜ死んだのかはわからない。
朝起きて、確認した時にはもう冷たくなっていた。
気がつけなかったこと、看取れなかったことが、なによりも心残りだ。
きなこ
生まれたときの体重は69.2g
3匹の中で一番大きかったが、一番成長速度が遅かった。
しらたまと同じく、漏斗胸を患っていた。
死ぬ前にかかった病院の先生によると、心臓の奇形もあったらしい。
こんな状態で3ヶ月も生きたのが信じられないくらいだと言われた。
もし生き延びても、遅かれ早かれこうなっていただろうとも。
残っているのは、あんこだけになってしまった。
僕は、きなこにもしらたまにも、もっと生きてほしかった。
「妊娠に気づかなかった」という元の飼い主さんを恨みたい気持ちにもなった。
もし親猫の栄養状態がよければ、こんなことにはならなかったのではないかと考えてしまう。
いまさら考えても仕方ないことだとはわかってはいるのに、考えてしまう。
後悔
きなこを病院に連れて行かず、あいつの大好きだった膝の上で、みんなに見守られて静かに看取ってやったほうが、幸せだったんじゃないかと考える。
それはいまだから言えることで、そのときに実行できたかというと、できなかったと思う。
仮に実行できたとしても、「病院につれていけば助かったんじゃないか」と後悔したんだと思う。
どう行動しても後悔は残るのだから、後悔を抱えながら生きていくしかないのだ。
虹の橋があることを信じて。
天国のちょっと手前に
虹の橋と呼ばれる場所があります。
この世界で誰かと特に親しかった動物は死を迎えると、虹の橋に行くのです。
そこには親しかった彼らのために用意された草地や丘があり、
動物たちは一緒に走ったり遊んだりできるのです。
豊富な食べ物に水、お日様の光があり、
動物たちは暖かく心地よく過ごします。
病にかかったり年老いた動物たちは皆、健康になって元気になります。
傷ついたり不自由な体になった動物たちも、また元通りになって力強くなります。
まるで、過ぎ去った日々の夢のように。
動物たちは幸せで充実していますが、一つだけ小さな不満があります。
みんな、とても特別な誰かと、残してきた誰かと会えなくて寂しいのです。
彼らは一緒に走ったり遊んだりしています。
しかし、
ある日、一匹が突然立ち止まり、遠くを見つめます。
その瞳はきらきらと輝き、
身体はしきりに震え出します。
突然、彼は群れから離れ、緑の草を速く、速く飛び越えて行きます。
彼はあなたを見つけたのです。
そして、ついにあなたとあなたの特別な友だちが出会うと、再会の喜びにあなたは抱き合います。
そして二度と離れることはありません。
幸福のキスがあなたの顔に降り注ぎます。
あなたは両手で再び最愛の友の頭をなで回します。
そして、あなたは信頼にあふれる友の眼をもう一度覗き込みます。
その瞳は、長い間あなたの人生から失われていたものですが、心から決して消え去りはしなかったものです。
それから、あなたは虹の橋を一緒に渡って行くのです。
引用:「虹の橋」作者不明
この記事を書くにあたって
正直、この記事を書くことにはためらいがあった。
きなこが死んだことはわかっているのに、またひょっこりと膝の上に乗ってくるような、そんな気がして。
「きなこが死んだ」
と書いてしまったら、認めてしまったら、もうきなこが帰ってこないような気がして。
でも、いつまでもそうしてるわけにもいかない。
僕がうじうじしていたら、きなこも安心して虹の橋へ行くことは出来ない。
きなこは、最期までいい子だった。
ボードゲームの区切りがついた頃に鳴いたのも、もしかしたら邪魔しないように気を使ったのかもしれない。
そんないい子のきなこだから、さっさと生まれ変わって、また会えるかもしれない。
もしくは、虹の橋でずっとずっと待っていてくれるかもしれない。
だから、気持ちの整理をつけるために、この記事を書いた。
いつか、また会える。
その時までばいばい、きなこ