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ライフ アメリカ 英語
「アイス・コーヒーはじめました」を英語で表現すると…?
日本人は自然にバイリンガル表現をしている

外側は英語だが内側に日本語がある

「6月に入ったある日、社員食堂の壁に、1枚のポスターが貼られたのです。季節は夏です。社員食堂にもその夏は来たのです。そのポスターを写真に撮りました。送ります」

と、友人からFAXが届いた。翌日、A4のカラー・プリントが郵便で配達された。社員食堂の壁に貼られたポスターだ。

縦長のポスターの左側3分の1ほどのスペースのなかに、上から下に向けて、英語の表記でIce Coffee Summerとあり、残る右側のスペースのぜんたいは、3つのコマに分かれていた。快晴の夏の日の海岸を背景にして、氷の充分に満ちたグラスに、アイス・コーヒーがたっぷりと注がれていく様子が、3コマによる連続写真のように表現されていた。その3コマはフィルムなのだろう、コマの左側にパーフォレーションが表現してあった。

 

Ice Coffee Summerという英語表記のすぐ右側に、「飲んだ。私の夏がはじまった。」という日本語のコピーが、小さく添えてあった。Ice Coffee Summerは、英文字による表記も含めて、じつは日本人による日本語なのだ、と痛感した。

「飲んだ。私の夏がはじまった。」という日本語のコピーがまず頭のなかにあり、それをそのままとは言わないまでも、少なくとも気持ちだけは英語で言いたい、と思ったその気持ちがIce Coffee Summerとなったのだ、と解釈するのがひと頃までの僕だったとすると、いまの僕はそのような解釈をしない。これは日本のなかにおける日常という現場でのバイリンガルだ、といまの僕は解釈する。

「飲んだ。私の夏がはじまった。」と、日本語でアイス・コーヒーの季節感が表現されたと同時に、Ice Coffee Summerと、英語による季節の気持ちの表現も、おこなわれたのだ。英語で表現された外見はこれで充分にバイリンガルだが、外側は英語でその内側には日本語があるという、新しいありかたの英語そして日本語だ。

五月のある日、電車の中吊り広告に、Smile of the Mother’s Dayという英語があるのを、僕は見た。これも、いまの日本という日常の現場で、人々が獲得しつつあるバイリンガルの一例だ、と僕は解釈している。

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「にっこり笑って母の日、というような日本語がまず頭のなかにあったのですよ。それをなんとか英語で言ってみようとした結果が、この英文なのです」と友人は笑いながら言う。

頭のなかにまず日本語があることに関しては、なんの問題もない、と僕は思う。にっこり笑って母の日、ではなくもっと率直に、母の日の微笑み、でいいではないか。しかし、どんな日本語でもかまわない、それと並列するものとしての英語が、Smile of the Mother’s Dayであるのは、バイリンガルへの第一歩どころではない、すでにかなりのところまで到達している。

ただし、英語で表現されたものが、この英文を見ればすぐにわかるとおり、きわめておとなしく平凡なものであることは、今後の課題としてじつに大きい、とは言っておこう。