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オナ禁教

禁欲をすることで性欲をはじめとする煩悩を超越し、人生を充実させることを目的とする場

人間の持つ優れた資質とは。優れているとはどういうことなのか。

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今の世の中、勝った負けたで姦しい。直接的ではないにしろ、優れた人間が勝ち、劣った人間は負け不幸になる、といった旨の言葉がインターネットでは四六時中飛び交っている。

そうした社会の価値観もあって、容姿、財力や体力や知力といった能力などを他者と比較し、劣等感に苦しみ苛んでいる人も少なくない。

それは今の資本主義社会では、企業や社会が人々からお金を引き出すために、人々の欲望を刺激するからである。例えば「もっと賢くなりましょう」という教育産業や「もっと美しくなりましょう」という化粧品会社など、欲望を刺激するために「こういったことが幸福なんだ」と決めて、それを基に競争させようとする。そうした情報が常に飛び交っているため、どうしても容姿、知力、財力といった画一的な価値観にとらわれがちである。

そして、そうした画一的な価値観に捉われてしまうと、容姿、知力、体力、財力といった手の指で数えらえるほどの価値観の中で一つも達成できない人というのは、自分のことを何の取柄もない駄目な人間だと思い込んでしまう。
だが、そうした社会的な価値観は不変のものではなく、日本でもそう遠くない過去には戦争を賛美するような社会的価値観もあったし、さらに遡れば武士に殺人の特権が認められていたような時代もあった。いずれも今では全く考えられないような価値観が平気でまかり通っていた。
すなわち、現在我々が重要だと思い込んでいる価値観はメディアや企業が欲望を刺激するために創りあげた一時的で不確かなものでしかないのだ。

また、容姿、知力、体力、財力といった長所もその人個人の努力だけで手にしたものは一つもないと言えるのではないだろうか。例えば容姿は自分を産んだ両親が物凄く努力したから得られたものではないはずである。知力や体力、財力にしても、努力だけではなく、ある程度の才能があったからこそ努力しようとしただろうし、細かく分析していけば「努力することができる」といったこともある種の才能ともいえるし、家庭環境に恵まれているなど努力できるだけの土壌が備わっていたからこそ努力できたといったこともあるだろう。

この世の中のどんな人の長所も、純粋にその人だけの努力だけで得られるものはほとんどなく、巡り合わせで手にすることができただけに過ぎない。

では、真に優れているとはいったいどういうことだろうか。人間だけが後天的に獲得できる優れた資質、それは「優しさ」ではないだろうか。「優れる」という字には「優しさ」という意味もある。優しいということは優れているということなのだ。自分だけの利益、富を得る、異性を射止める・・そんなことは他の生物、ゴキブリだってやっている。
だが、利他的な優しさ、慈悲の心だけは人間だけが持ちうる資質ではないだろうか。

これから急速に発展するであろう人工知能が我々の生活を一変させると説く識者は少なくない。それは現在の我々の価値観を根こそぎひっくり返してしまうほどの衝撃である。どれだけ本を読んで知識を蓄えようと、人工知能には全くかなわなくなってしまうことだろう。人工知能が人々の労働を代替するようになれば、財力の多寡も意味をなさなくなるかもしれない。知力や財力といった画一的な価値観しか持たない人は自分より能力の高い人工知能の登場と共にアイデンティティを見失ってしまうことになるだろう。

そうなったとき人間の持つ他者を思いやる優しさ、人間だけが持つ慈悲の心、そうしたものの本当の価値が見直される日がくるのではないだろうか。