メディアトラッシュ 1996-1998
このインタビューは1996年から1998年までの約2年間にわたり、ソネットの会員向けコンテンツとして断続的に行なわれたものです。
ご登場いただきましたゲストの皆様の現在の興味や状況とは異なることをご了承ください。
山口裕美

赤塚不二夫インタビュー(3)

本当にエライのは?

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山口:
私、昔タモリさんが大好きで、追っかけみたいになってたことあるんですよ。その頃のタモリさんはフワフワした髪形で、今とはイメージが違うんですけど。お笑い好きなんです。浅草も行ったりして。先生、ほら由利徹さんが好きですよね。私も好きです。かっこいいですよね。
赤塚:
好きなんだよ。由利徹さん。森繁久弥とかなんか偉そうだろう。俺が17か8くらいの時にね、久保幸江ってね。いて、彼女がヒット曲を歌って、その初主演の映画の相手役でデビューしたんだよ、森繁は。あと伴淳だよ。伴淳三郎。伴淳のところにいってね「先生、アジャパーってやってください」って言ったの。そしたら「バカタレ、出来るか今頃」って言われた。
山口:
いま頃!
赤塚:
だってさ、自分が考えてやったことなのにさ、何言ってんだかさあ。そういう人って嫌いだね。だから由利徹ってのは、死ぬまでバカでいたいっていうのが、偉い!そこが好きなんだよ。
山口:
でもなんであの「おしゃ、まんべ〜」って笑っちゃうんでしょうねえ。(笑い)
赤塚:
あのね、由利徹のしゃっべっている波長というのかな、あれもバカっぽくて好きだ。コマ劇場で小林幸子ショーとか水前寺清子ショーとかやっているけど、由利徹のところが一番面白いもん。あのバカ!いいよなあ。
山口:
由利さんってでも、女性にもてるんでしょう?先生もそうだけど。
赤塚:
俺ね、新宿を歩いている時にラブホテル街を通りがかったら、由利徹と20歳くらいの女が出て来たの。俺知らん顔したけどさ。
山口:
さすが〜。
赤塚:
由利さんって後で言ったら「見てたのか」って。そういう所がかわいいんだよ。いいんだよなあ。内の女房ね、俺よりも15下なんだよ。で、女房にね、しょっちゅう電話かかってきてね「酒飲みたいよ」とかいろんな事言ってくる。
山口:
先生は飲み友達がいっぱいいるんですね。そういうのは男性が多いんですか?
赤塚:
女性の友達もいますよ。だけど、そうじゃなくて、さっきからオ×××、オ×××って言っているけど、俺はドスケベじゃないの。人が好きなの。だからいろんな人に会って、飲んでね。酒がないとだめなんだなあ。酒を飲まないで人と付き合えるか?
三橋:
やっぱりお酒飲んでいた方が話が弾みます。飲めない人とはどういうおつきあいするん ですか?
赤塚:
付き合わないよ。(笑い)だから永六輔とかね、矢崎泰久(話の特集編集長)とかさあ、全然飲まないからいや。お茶飲みながら酔ったふりするんだもの。そういうのはね。気分悪いね。調子合わせてくるんだよ。
山口:
見破っちゃうんですね、先生は。
赤塚:
飲むやつは最初から一緒に飲もうぜって。
山口:
好きなお酒は何ですか?
赤塚:
なんでもいいの。今日は焼酎、さっきまで日本酒飲んでたの。なんでもイケルんですよ。
山口:
酔っ払って大失敗っていうのはあるんですか?
赤塚:
ないない。酒飲んでね、べろんべろんになって、けんかしたりというのは、だめ。一回だけあるのは、新宿に飲みに行った時ね。当時、600円ですよ。ここから10分でいける。帰りにね、朝方4時くらい。運転手さんが俺のこと覚えているのよ。「下落合ですね」って。寝てしまったら、800円だったの。でもその時、俺さ8万円払ったの。そしたら「こんなにいっぱいどうしてくれるんですか?」ってさ。だって800円だから。(爆笑)払ったの。次の日「あれ、金がない。どうしたんだろう」なんてね。(笑い)そしたらね、その後の話がある。それから2年経ってね、小学館の編集者がね、タクシーに乗ったんだって。タクシーの運転手が「赤塚不二夫さんって知ってますか?」って聞くから、「いやあ、これからそこへ行くんだよ」って言うとね、「あの人に2年前に8万円もらった」って言ったって。(笑い)
山口:
女性の酔っ払いは嫌いですか?
赤塚:
女性と飲んでいる時ってのは、すごく楽しいじゃないですか。こいつとやりたいとかそいういう事じゃないの。一緒にいることがいいの。でね、ずっと素面でいる女の人っていうのはだめなの。適当に酔っ払って、ぽーっとしている。それとね、話していると面白いって女の子っているじゃん。そういう人と飲んでいるのが面白いですね。で、帰りはちゃんと送るから。昔は、20年くらい前は、家へ連れて来た。すると、ネコがゲゲってね。あのネコは、女をじーっと見ててね、ゲって吐くの。(爆笑)怒るの。「なによ、このネコ」なんてね。
山口:
すんごいですねえ。(笑い)技だあ〜。
赤塚:
嫌いな女っているんじゃないかな、タイプが。日本航空のスチュワーデスを連れてきた 時も怒ったね。「私、帰る」ってさ。
山口:
変な女にひっかからなくてよかったですね。(笑い)
赤塚:
家に毎日来る男がいるの。三菱重工で宇宙のミサイルの研究しているの。死の商人だよ。こいつが毎年、ペンタゴンに研修に行くわけ。2年くらい前にワシントンにアパートを借りていたので、行ったわけ。その時に「おまえ、おみやげ何がいい?」って聞いたら「スチュワーデスがいい」って言ったわけ。それで、友達がいるからってスチュワーデスを誘ったの、女房がね。3日間一緒にさ、ホテル送り迎えして、食事したり楽しかったよ。遂に誰とも何もなかったけどさ。きれいな子たちだったのに。
三橋:
めんどうみがいいんですね。
赤塚:
というよりも、面白いんだよ。行ってみないって。スチュワーデス3人連れてくっての も、なんなんだか、なあ。
山口:
旅行で楽しかったのはどこですか?
赤塚:
台湾、フィリピン。全部、オ×××旅行!(笑い)
山口:
先生、現地妻の話、本にありましたね。燕燕ちゃんって。
赤塚:
ああ、台湾にいるんだよ。この前行った時、探したんだけど判らないんだよ。かわいい 女でさ。写真見せてもいいよ。すごいきれいな女。日本の女にない、ちゃんとした気持ちがいいの。最初、台湾に行った時ね。あのさ、もうテープとか写真とか止めなよ。止めようよ。台湾には15、6回行っているの。いっつも、燕燕。最初に会った時に、彼女を信じたの、いい女だなって。根性が、気持ちがね。食事に行っても、日本人は高く取るの。だけど彼女はレジでけんかするの。レジでまけさせてね。レコード屋さんがあったんですよ。台湾のレコード屋、面白そうだった。A面がビートルズ、裏面が内山田洋とクールファイブ!
山口:
いいですねえ、いいですねえ。(笑い)
赤塚:
日本でないじゃん。面白いって。でもレジでけんかが始まったの。俺は「ちょっと高くても買おう」って言ったの。「だめ。買わなくていい」って止められた。あれはちょっと惜しかったなあ。
山口:
好きです、そういうの。
赤塚:
あれはもう、日本人に高く売るなって。そういうのがしょっちゅうあってね。
山口:
男らしい女の人ですね。
赤塚:
そう、気が強くてね。それでね、ホテルへね、帰ると、べろんべろんでさ。夜中にぱっと目をさますと、帳簿をつけてるのさ。(笑い)ちゃんとやっているの。こういう女って見たことない。しかもはっきり言えば、売春婦だよ。これには、感動しましたね。15、6回行ったけど、オ×××しない日が多いわけ。酒ばかり飲んでさ。一緒にいてくれる。俺が先に寝てしまうし...。
山口:
なんか純愛だなあ。
赤塚:
日本に帰る時に、財布を俺に渡すんですよ。でその時に、お金を渡そうとすると「いらない」っていうんだよ。うれしいぞ。そういう女になりなよ。
山口:
はい、頑張ります。(笑い)
赤塚:
日本の女にあんな女いないよ。みんなおこづかい頂戴ってさ。台湾行ったことあるか?
三橋:
いえ、ないです。
赤塚:
今行くとあれだなあ、売春婦はだめだよ。(笑い)昔いたんだなあ、あういう女。
三橋:
先生、いつも遊びに行く悪友っていうのはどなたなんですか?
赤塚:
うちのアシスタントを連れて行く。
三橋:
仲間はいないんですか?
赤塚:
去年のお正月にはね、伊豆の長岡の三養荘。一泊15万円だぞ、どうする?そこへ、元女房が招待してくれたの。タモリも一緒にね。で俺が死んだら弔辞をこういう風に読んでくれって頼んだの。しかし誰が行くんだろう...。
真知子夫人:
村山首相がいたみたいよ。
赤塚:
なんなんだよ、15万円なんて。ただの部屋だよ。
山口:
月収だったりするかも....。(爆笑)
真知子夫人:
隔離されているからいいんですよ。なんかね、中森明菜がマスコミから逃げている時にいたらしいですよ。うちの先生、嫌いなのよ、飲むとこもないから..。
赤塚:
人と会わないように作ってあるんだな。なんで、あんなとこがいいのかなあ..。
山口:
二人だけの世界ですかね?
赤塚:
君と俺と、行ったらさ、誰にも会わないで...。ただし、15万、ふたりで30万だぞ。 (笑い)料理もそんなにたいしたことない、普通だし。
山口:
先生、好きな食べ物はなんですか?
赤塚:
なにもないです。食べ物には興味がない。昔さ、戦争が終わって、中国から引き上げてきて、本当に食べ物がない時代に育っているから、これが食べたい、あれが食べたいってないの。
山口:
贅沢は言わないんですね。
赤塚:
おじやみたいのがいいな。あんなのでいいの。雑炊とかおかゆとか。すごい粗食ですね。
山口:
先生って、失礼ながら、お話を伺っているとお金がかからない人ですね。
赤塚:
だからね、毎晩のようにお客さんが来るよ。その時には鍋やったりしてるの。今度いらっしゃいよ。いろんな人がね、毎晩、5、6人くる。ひとりひとりの料理作っていると大変だから。増えても野菜とか肉とか足せばいいからさ、鍋は。(笑い)若いのが多いね。若いったって、30か40くらいだけどね。みんな独身だよ。
山口:
どうしてですか?
真知子夫人:
私たちも独身ですから。(笑い)
山口:
あ、またまた粋なことおっしゃってますよ。
赤塚:
ちがうちがう。俺たちも独身。
真知子夫人:
ただの同居人だからね。
山口:
なんか、大人だなあ〜。先生、音楽はやっぱりジャズがお好きですか?
赤塚:
レコードあるぞ!昭和30年頃ってね、モダンジャズがめちゃくちゃ流行ったんですよ。アメリカからいろんなジャズメンが来たの。すごかったよ。その当時、厚生年金ホールで2500円だよ。入場料だよ。今だってそれくらいでしょう?当時さ、トキワ荘の家賃が3000円。
山口:
えっ〜。
赤塚:
行きましたよ、しょうがない。
山口:
行ったんですか、先生?
赤塚:
アート・ブレイキーとかね。いろんな人が来たよ。
山口:
伝説の巨人だあ。
赤塚:
これはね、手塚治虫先生がね、僕らトキワ荘の住人に、藤子不二雄とか石ノ森章太郎とか俺とかにね。「お前たち、漫画家になりたいのか?」「はい」って。そしたら先生は「君たち、漫画から漫画の勉強するのはやめなさい。一流の映画をみろ、一流の音楽を聞け、一流の芝居を見ろ、一流の本を読め。そして、それから自分の世界を作れ」って言われたの。それをみんな守ったのね。
山口:
今もまったくその通りですね。
赤塚:
その当時ね、アパート代が3000円。それで、なんとか切り詰めると3000円あれば生活が出来たの。それを2500円見にいってごらんよ。あと500円しかない。それでも行った。だからきゃべつばっかり食べていた。千切りにしたり、油いためしたり。その当時、栄養失調になって、体をこわしたけれども、心の栄養だけは、たっぷり。手塚先生のおっしゃる事を守った。だから、クラシックでもジャズでもなんでも来いだよ。評論家になれるぞ。映画も。
山口:
そうですね。今もその言葉は生き生きしてますね。
赤塚:
石ノ森(章太郎)が18歳、つのだ(じろう)が19歳、僕は21。藤子(不二雄)が20。それで、俺たちの親分だった寺田ヒロオが24歳だよ。だから、24でね親分だった。映画の「トキワ荘の青春」の市川監督に「昔の若者は大人だったんですね」っていわれましたよ。ねえ「トキワ荘の青春」って映画見た?
山口:
見ました!
赤塚:
あのさ、市川準監の決定打だと思うの。見たことないだろう。(三橋くんへ向かって)見なよ。
山口:
きちっとしてたんでしょうね、日本人全体が。
赤塚:
わき目をふらなかったからね。遊びに行ったり、コンパがあったり。あの頃なにもなかったから。女ともつきあわなかった。ただ俺には彼女がいたんだよ。(爆笑)
山口:
先生だけもててるんじゃないですか。(笑い)
赤塚:
怒られたの。トキワ荘の連中に。「女とつきあっている場合じゃないだろう。漫画も一人前になってないのに」って。いい彼女だったよ。
山口:
その時以来、先生に彼女がいなかったことはない訳ですよね。(笑い)
赤塚:
そう。女、切れたことない。いっつもだぶっているから。
山口:
修羅場はないんですか?
赤塚:
ない。うまくやってたから。だから出世が遅れた。女といちゃいちゃしている間に、みんながどんどこ出ていく訳だ。俺売れなかったからなあ..。
山口:
先生、予想通りになったことってありますか?こうなると思っていたっていうような。
赤塚:
とにかく、若い時って無我夢中で自分がどうなるか判らない訳だよ。だから俺はこうなるぞっていう予想はたたない。ただ漫画を描きたいってそれだけ。
山口:
有名人になってしまってからはどうなんですか?
赤塚:
違うって、何にも思わない。結果的にこうなっているっていうだけの話で。ここで偉そ うに「誰に向かって口きいてるんだ」とか言ってちゃだめ。ただの人間。ただ、やってきたからここまで来ただけの話。
山口:
でもね、大衆が支持したって事、聞きたいんです。アーティストの横尾忠則さんもそうだと思うんですけど、専門家がいくらけなしても、ある日、普通の人がポスターを買ったり、横尾さんの出ている雑誌を楽しんで読む。映画や漫画はそうですけど、そういうことが一番芸術の中でパワーをもっていると思うんですよ。専門家の人が評価するというのも、やはり大事な面はあると思うのですが、沢山の人たちが同じように好きになるというのは、素晴しい事だと思うんですよ。映画もそうですが..。
赤塚:
ただ、これを自分が、マイナーな仕事と別にね。漫画というのは商業ベースでいく訳じゃない?そうでしょう?ひとつの雑誌が何十万部って売れる訳じゃない。それに描けるってこと自体、自分がそれを目指したって事だと思うんだよ。例えば「ガロ」とか「COM」とかあるでしょう。あそこにはつげ義春とか、変な暗いやつらが描いていたよ。だけども俺は違う。とにかくいろんな人に見てもらいたいというのがあった。だから「少年サンデー」とか「少年マガジン」とか、そういう週刊誌。雑誌じゃない、商業雑誌。そこへ、自分が台頭出来るかなという事で、頑張った、それだけの話。
山口:
やっぱり先生は、全力疾走のマラソンランナーみたいですね。
赤塚:
違うよ。「おそ松くん」がヒットした時、27ですよ。それまでにもいろいろ描いていたけれどもね。あの27の時にね、ボーンとヒットしたじゃない。あの時にね「おおやったぞ」って気持ちがあった。漫画ってこんなものだったのかって。それまで、やみくもに描いてきた訳ですよ。その後に「アッコちゃん」「バカボン」って、描く作品、全部ヒットするんだもん。だけど、ちゃんとスランプも来るんですよ。「もーれつア太郎」を描いて、「レッツラゴン」なんて描いて、あの時はアメリカから帰って描いたから、ちょっと描き方変えようなんてね。その後で、パタッとね。
山口:
先生、その後ちょっとお休みなさいましたよね。
赤塚:
だからね、俺ってさ、三振かホームランかどっちかなんだよ。
山口:
それはいいバッターなんじゃないですか?(笑い)
赤塚:
いやあ。本当にそうなんだよ。全然受けない漫画描いているんだよ。人気出ない。一生懸命、軌道修正するんだけど、だめ。
山口:
現代美術作家で、村上隆という作家が、先生の漫画が大好きで、自分の作品に使ってま すよ。大好きで、大好きでということみたいですよ。
赤塚:
うれしいね。

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