書籍:歴史の交差路にて―日本・中国・朝鮮
著者:司馬 遼太郎・陳 舜臣・金 達寿
P57~58
陳 公式には、元も中国だったんです。異民族というのは禁句なんです。便利なことばがありまして、“少数民族”より“兄弟民族”という表現のほうがいいんですけれども、元だって清だって、つまり
モンゴル族だって満州族だって、中華民族なんです。
上海の空港にいまでも「中華諸民族団結万歳」というスローガンが出ていますが、タテマエとしてはすべて異民族じゃないんです。
司馬 そういう態度は、
ヨーロッパ的な国家概念でみるより、文明主義とみるべきなんでしょうね。
元でも清でも、中国の版図を拡げる上で、ものすごく役に立っている。たとえば元において、はじめて雲南省は中国領になった。それまで漢民族圏とのあいだに断続した関係があって、またかぼそい隷属状態も存在したけれども、実際の完璧な西洋式概念での領土というものになるのは元の時代です。
清の時代にさらに大きくチベットまで含まれるでしょう。そして彼らの故郷である東北地方とか、それ以前の元の場合はモンゴル高原のすべてが、彼らが滅んだあとは漢民族圏になるわけです。つまり中国のものです。
右の漢民族圏ということばを、四捨五入して、誤差を覚悟でいえば、“中国”になるわけです。中国というのは今様のことばですから、もっと確かにいえば、「中華」とか「華」というものに光被する圏内に入ったことになる。これはおもしろいですな。
陳 清朝でも「我が中華は」ということばを使っているんですよ。
中華イコール漢じゃない。
清の乾隆帝がイギリス使節マカート二ーに、ジョージ三世宛ての国書を渡していますが、その中にも「我が中華は……」とやっています。
司馬 くりかえすようですが、「中華」は西洋概念における領土思想というより、中国だけがもっている文明主義のことばですね。
ウイグル人も中華の礼教にやや浴した。
漢文を知らんでも偉い人に頭を下げたらそれでいいんです。文明主義的な版図であること、ヨーロッパ風の領土思想とは、歴史の性質がひじょうにちがうので、これは近代(清末)になってからたいへんな混乱と相克を生む。