Hatena::ブログ(Diary)

鍋田辞書(なべたじしょ)旧ブログ

鍋田辞書サイト
鍋田辞書(新)ブログ
メールは、ここをクリック。

2017-06-16

GNU/Linuxアプリケーションの翻訳は、悪なのではないだろうか?

貢献のためにGNU/Linuxアプリケーションの翻訳をしていると思っている人がいますけど本当にそうなんでしょうか?
メニューやメッセージを日本語訳したソフトウェアのユーザー人口が多く、日本語での情報も多く、日本語訳が一種ならいいと思います。
しかし、元々オリジナルの英語版でさえユーザーが少なく日本語の情報が非常に少なく、複数の日本語訳がある状態のものを日本語訳されてもユーザーはメリットよりもデメリットのほうが大きいです。
ほとんどの人にとってはデメリットしかないです。

使い方を検索して調べても、多くは英語メニューの使い方しか出てこなかったりして困ってしまいます。
エラーメッセージが出て解決方法が知りたくても、日本語のエラーメッセージで検索してもヒットしなかったりします。
オリジナルの英語のエラーメッセージで検索すれば一発でヒットする場合でも、勝手に日本語に書き換えられていたらオリジナルの英語メッセージを知る方法がありません。

却って迷惑なんですよね。
ディレクトリ名を訳すのもいい加減にして欲しいと思います。
Downloads という名前のディレクトリを、ダウンロード とかに変えられたりしているのを見てから日本語版を謳うディストリは長らくインストールしていません。
どう考えても「cd ダウンロード」と打ち込むのは面倒です。
これは嫌がらせとしか思えない。
/usr/bin を /ユーザー/バイナリ に変えられても困るのと同じことです。

翻訳をありがたいと思える層は、Open とか Exitの意味が分からない層ですよね。
厳しいかも知れませんけど、そういう層は無理してまでGNU/Linux使わなくてよいかと。
大企業販売している大人気のOSのほうが、そういう層には向いていると思います。

言いたいことは、翻訳しても貢献にはならない。
日本語に翻訳などされたら、使い方を調べることも、エラー時の対処法を調べることもできなくしているだけ。
ただでさえマイナーなソフトをさらにマイナーにしてしまう。
貢献どころか、悪なのでは?

Vectorのシェアレジをやめます。

鍋田辞書 Windows版はvector.co.jpのシェアレジサービスで寄付ができるようにしていましたが、やめます。
シェアレジとはシェアウェア料金または寄付料金を支払えるサービスです。
寄付は銀行振り込みで受け付けます。