前回の続き「摩多羅」は「諸母天」(七母天または八母天)を意味したもので、地母神であった。
女神がなぜ?男神に変化していくのだろうか?
摩多羅神とは摩訶迦羅(マカカラ)天であり、またはダキニ天である。
ヒンドゥー教のシヴァ神の化身であるマハーカーラ(サンスクリット語:Mahaa-kaala、音写:摩訶迦羅は、)大黒天である。
ということは、「摩多羅神とは摩訶迦羅(マカカラ)天であり、またはダキニ天で大黒天なのか?」
マハーカーラ(Mahākāla) は、ヒンドゥー教の神の一柱で、シヴァの別名のひとつとされる。マハーは「大いなる」、カーラは「黒、暗黒、時間」を意味し、世界を破壊するときに恐ろしい黒い姿で現れる。シャマシャナという森林に住み、 不老長寿の薬をもつ。力づくでも人を救済するとされる。
仏教にも取り込まれ、大黒天と呼ばれる。
日本での大黒天は、「大黒」と「大国」の音が通じていることから神道の大国主神と習合している。
「マハーカーラ(大いなる暗黒)」は、「時間を超越する者」、「時間を創出する者」という意味を持ち、すなわち「永遠」を意味する。人知を超えた存在に対する恐れの感情がと、自然のメカニズムを具現化したものがシヴァである。
☞大黒天
マハーカーラは、戦闘・財福・冥府という3つの性格を持つ。
破壊・戦闘を司る神としては、尸林に住み隠形・飛行に通じて、血肉を喰らう神で、この神を祀れば加護して戦いに勝つという。財福としてはヴィシュヌや地天の化身として、インドの寺院にて祀られる。冥府としては、焔摩天と同一視して塚に住むという。
大黒天は、日本には密教の伝来とともに伝わり、天部と言われる仏教の守護神達の一人で、軍神・戦闘神、富貴爵禄の神とされたが、特に中国においてマハーカーラの3つの性格のうち、財福を強調して祀られたものが、日本に伝えられた。
インドでは、厨房・食堂の神ともされ、食堂の柱の側に大黒天を祀る風習があった。それは財福としてはヴィシュヌ神の性格から食料を自由に調え得る力をもっているという信仰からである。
日本では、最澄が中国でどの民家の家々や寺院の厨房には必ずこの三面大黒天が祀られているのを見て毘沙門天・弁才天と合体した三面大黒を比叡山延暦寺の台所の守護神として祀ったのが始まりという。東寺にも同じく三面大黒がまつられている。(三面大黒天は真ん中に大黒天、左右に弁財天、毘沙門天の合体神)
密教を通じて伝来したことから初期には主に真言宗や天台宗で信仰された。
天台宗系統において、平安時代の武装をして小さい財布のような袋をもった一面二臂の像が天台宗の古い歴史をもった寺に現存している。
「西国三十三 第十六番札所 清水寺」には、打ち出の小槌を右手に持ち、左手は肩にかけたおおきな袋を握り俵にのった姿の「出世大黒天」が人気であるが、もう一つの清水寺の「大黒天半跏像」は、武装神の名残をとどめた姿で、武装神から現在の福徳神への移行期のものというものがある。
(清水寺 平安後期の作)
湖東にある金剛輪寺には、「武装大黒天」という日本最古の大黒天像がある。
(金剛輪寺 平安時代作)
観世音寺(福岡)にいは袋を肩にかけた大黒天立像がある。この姿は、平安末期頃からあったらしい。
袋を肩にかけた姿の像は、日本で作り出されたものと見られている。その後に財富神としての性格を表すために大きい袋となり、右手に槌を持たせた姿となった。
(観世音寺(福岡) 大黒天立像 重文)
曼荼羅図に描かれている姿は、三面六臂で、象の広い皮を背後に広げ、羊頭と人頭を両手に下げ剣をもって坐った形で、その三面は忿怒の相である。天部の像でありながら忿怒形の姿である。
また、大黒天は破壊神であるシヴァ神、ドゥルガ女神の化身であるともされ、また生育創造神としてのビシュヌ神の化身であるとされ、冥府神としての夜摩神の化身ともされる。
(摩訶迦羅天図 輪王寺)
インドのエローラ第16窟には、ヴィシュヌ神の10の化身を描いた第15窟のダシャーヴァターラ窟がしられている。摩神の腹をさく人獅子は、人獅子に化身したヴィシュヌ神に腹を割かれた魔神ヒラニヤカシプを追いつめる彫刻がある。
一般には、4本の腕を持ち、右にはチャクラム(円盤、あるいは輪状の投擲武器)と棍棒を、左にはパンチャジャナ(法螺貝)と蓮華を持つ男性の姿で表される。そのためチャトゥルブジャ(4つの武器を持つ者)という称号も持っている。
ヴィシュヌ派の創世神話によると、宇宙が出来る前にヴィシュヌは竜王アナンタの上に横になっており、ヴィシュヌのへそから、蓮の花が伸びて行きそこに創造神ブラフマーが生まれ、ブラフマーの額から破壊神シヴァが生まれたとされている。
ヒンドゥー教の時代になって、英雄や土着の神をその化身、アヴァターラ(後述)として取り込んで行くことで民衆の支持を集め、ついにはブラフマー、シヴァと共に三神一体(トリムールティ)の最高神の位置を獲得した。
古くは『リグ・ヴェーダ』にもその名の見える起源の古い神格で、世界を3歩で踏破する自由闊歩の神だった。その名はサンスクリットで「広がる」「行き渡る」を意味する√viSに由来し、恐らくは世界の果てまで届く太陽光線の神格化であったと考えられる。
三神一体はヒンドゥー教において、3人の神ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァが本来は1体であるとする近世以降の考えで、1人の神が次の3つの役割に応じて、3人の神として現れるという。
また、宇宙の真理の音であるオームが aum の3つの音に3つの神を対応させ、a をブラフマー、u をルドラ、m をヴィシュヌともしている。
最澄が唐で見た三面大黒天も三神一体の思想から作り出されたものだったのか?
(三面大黒天)
ドゥルガーとは、近寄りがたきものを意味する。
別名を「水牛を殺す女神」ともいい、ヒンドゥー教を担う正統派バラモン階級は水牛を魔的なものとして嫌っていた。
ヴェーダの宗教及び4~5世紀のヒンドゥー教において、女性の勢力は小さいものであったが、6~7世紀になると女神崇拝が急速に台頭する。ドゥルガもこの時期に勢力を得た女神たちの代表である。
インドのエローラ石窟造営の時にはドゥルガ崇拝は既にかなり盛んであったという。
さきも述べたが大黒天はドゥルガ女神の化身であるともされ、また生育創造神としてのビシュヌ神の化身であるとされている。
ドゥルガーは別名をヴィカラーラ(「恐るべき者」の意)といい、仏教では興福寺八部衆や二十八部衆の畢婆迦羅、十二神将の毘羯羅となっている。また、密教に於いては菩薩(天台宗では如来)とされ、六観音、七観音の一尊である准胝観音となっている。准胝は女性名詞なので、「六観音」の中では唯一の女尊となる。 准胝観音は当初は准胝仏母と言われていた。
異称のひとつ七倶胝仏母(サプタコーティブッダ・マートリ)とは「七千万の仏の母」・「過去無量諸仏の母」という意味で、この仏母(これは女性名詞である)が、人を悟りに導いて数限りない仏を誕生させる仏教の真理の擬人化であることを示す。
准胝観音は早くから中国で拝まれ、不空から恵果阿闍梨、恵果から空海へと伝えられて日本に請来された。
空海が高野山の開基の際に、僧房の次にまず准胝堂を建立し、准胝観音を弟子たちの得度の本尊としてお祀りしたのは有名で、のちに高野山が荒廃した際にも僧俗の手によって庫裡にこの准胝観音を安置し守り続けられた。それゆえ、准胝堂の補修が行なわれた昭和の時代になるまで、高野山では准胝堂で僧侶となるための得度の儀式が執り行なわれていた。
私は、大黒天=ドゥルガー=准胝観音
女神・母神が男神へと変身する第一段階は「摩訶迦羅大黒天」だったという。
サンスクリット語で「マハカーラ」と呼ばれるこの神への変身は「摩多羅(マタラ)」が「摩怛哩(マタリ)」へと転写されるより容易だった。
「摩訶迦羅大黒天」自身が、荼枳尼天(だきにてん)と習合しているように、両性具有的な神格を有していて、三面大黒天や双身毘沙門天(あるいは歓喜天)のように男女の性的な結びつきを秘密化、秘儀化するような信仰の要素をもっていたとおもわれる。
生と死の両義性。
出産と死穢の両義性。
女体、母胎がもつ「玄牝」としての奥深さを象徴するものだった。
それは豊饒さと淫蕩さを併せ持つ「性的なもの」への信仰であって、原始的な「母なるもの」の身体(母胎)から離脱して、はじめて宗教的な観念となりうるものなのであると述べている。
創造の神としての女神は、エジプトのイシスやインドの地母神の信仰に色濃く残っている。
心理学者ユングの原型では、アニマ(性的な恋人)とグレートマザー(母性的な)の二要素があると述べている。
摩多羅神、仏教の護法神として、大黒天と習合し災厄を払う福神として今日に至っている。
「江戸時代までは、天台宗における灌頂の際に祀られていた。民間信仰においては、大黒天(マハーカーラ)などと習合し、福徳神とされることもある。また一説には、広隆寺の牛祭の祭神は、源信僧都が念仏の守護神としてこの神を勧請して祀ったとされ、東寺の夜叉神もこの摩多羅神であるともいわれる。」
摩多羅神は摩怛哩神と習合し、疫神となっている。一八世紀になって、天台宗では宗論の結果、摩多羅神そのものを邪教として排除してしまった。このために、摩多羅神の彫像やマンダラはことごとく焼却され、遺品はごくわずかになってしまった。
こうした経過が、ますます摩多羅神を神秘的な神にしたのだろう。
(大聖勝軍寺の双身毘沙門天 鎌倉時代)
(大聖歓喜天像、等持院蔵)
(敦煌第465窟 南壁 双身像(元))
(聖天秘密曼荼羅図 江戸時代 金剛峰寺)
本来仏教では性交は不淫戒で誡められているが、密教では瑜伽タントラの理趣経や多くの無上瑜伽タントラによって肯定されており、性交を通じて即身成仏に至ろうとする教義解釈がある。
霊と肉の関係を突き詰めていけば、必然的に「性」の問題に立ち入らざるをえない。それは、あらゆる時代のあらゆる宗教にとって、封印された領域だった。
性を解脱のための修行と結びつけることに関しては、ヒンドゥー教などは消極的だった。しかし、そんな性を修行に導入しようと試み実践したのは、密教の徒だった。この考えは、この世のありとあらゆる存在も現象も、本質的には清浄であって、人間のもろもろの行為もまた本来、清浄なのだという大乗仏教に特有の考え方に基づいている。この考えは最古の大乗仏典とされる『般若経』に水源をもち、七世紀に成立した『理趣経』では、人間の煩悩はもとより、性行為もその快楽も菩薩の境地に他ならないという。
☞チベット密教の守護尊である秘密仏「勝楽尊(チャクラサンヴァラ)」
勝楽尊(チャクラサンヴァラ)は後期密教経典「無上瑜伽タントラ」の母タントラ経典の一種「サンヴァラ・タントラ」の本尊です。女神崇拝の影響を強く受け、妃(ヴァジュラ・ヴァーラーヒー)を抱いた姿で表されます。畏怖の形相でチベットの僧侶を守る守護尊(イダム)として古来より篤く信仰されてきた。
「サンヴァラ」には「優れた楽しみ」との意味もあり、絶対者と合一する宗教的な法悦の境地を、性的な合一の快楽をもって比喩的に表現しているともいわれる。夫婦の交わりという「性的」な要素や「非日常的」あるいは「不浄なもの」とみなされている要素を悟りを得るための手段としてあえて積極的に取り入れているのが後期密教の大きな特徴。
ただし、日本には瑜伽タントラまでは多く伝わっているが、具体的に性交を論じた無上瑜伽タントラは部分的にしか伝わっていないため、「立川流」を除く多くの密教では性交には否定的である。
摩多羅神とは摩訶迦羅(マカカラ)天であり、またはダキニ天である。
ダーキニ(摩怛哩)が、真言密教の一派、立川流の本尊となっていた。
立川流と気脈を同じくする叡山の玄旨壇(げんしだん)が、摩多羅三尊を本尊としている。
そもそもダーキニ(摩怛哩)は、インド社会の最下層に属す特殊な階級の女性たちのうち、シヴァ神などのヒンドゥー教の神々につかえることを母子代々つづけてきた娼婦たちがモデルになったともいわれる。彼女たちは、母から娘へと、行者たちに無類の快楽をあたえる特別のテクニックを継承していたらしく、ヒンドゥー教と仏教とを問わず、密教的な秘儀に絶対書かせない存在だった。
平安時代の後期、鳥羽天皇のころに、玉藻の前という絶世の美女に身を変じて宮中を騒がせた九尾の狐は、インドからはるばる中国を経由して日本に渡ってきたダーキニの末裔だったという。
荼枳尼天は後々に性愛を司る神と解釈されたため、日本では鎌倉時代から南北朝時代にかけて、真言密教立川流という密教の一派が次第に形成され興隆を極めたが、これは荼枳尼天を祀り髑髏を本尊とし性交の儀式を以って即身成仏を体現したとされている。
立川流の真髄は性交によって男女が真言宗の本尊、大日如来と一体になることである。この点において、「女性は穢れた存在であり、仏にはなれない」と説いていた既存の宗派と異なる。
それは、密教経典である『理趣経』(りしゅきょう)人間の営みはすべて本来は清浄なものであると十七清浄句が説かれていることに起因すると考えられている。
最澄の理趣釈経借経(経典を借りる)事件は、『理趣経』の解説本である、不空の『理趣釈経』を借りようとして空海から遂に丁重に断られたものである。
天台宗の開祖である最澄は、当時はまだ無名で若輩の空海に弟子入りし灌頂を受けた。その後、天台教学の確立を目指し繁忙だという理由で自分の弟子を使って、空 海から借経を幾度となく繰り返していた。しかし、『理趣釈経』を借りようとして空海か ら遂に断られた。これは、修法の会得をしようとせず、経典を写して文字の表面上だけで 密教を理解しようとする最澄に対して諌(いまし)めたもので、空海は密教では経典だけ ではなく修行法や面授口伝を尊ぶことを理由に借経を断ったという。
空海が断った理由 は、この『理趣経』の十七清浄句が、男女の性交そのものが成仏への道であるなどと間 違った解釈がなされるのを懼(おそ)れたためといわれている。「理趣経」はそれほど誤 解を受けやすい経典である。
『理趣経』を根本とした立川流 (密教)は、後に淫祠邪教だとして弾圧された。
他方、玄旨帰命壇は、この立川流と気脈を同じくする叡山の秘密口伝だった。台密の玄旨壇(げんしだん)が、この摩多羅三尊を本尊としていたのである。
玄旨帰命檀は、玄旨檀と帰命檀を合わせたものである。
玄旨檀とは、一心三観の深旨を口伝面授する玄旨灌頂であり、法華の法水を授者の頭頂部にそそぐ儀式である。
帰命檀とは、衆生の命の根源は天台の理である一念三千にあるとして、それを実現する儀式である。
この修法は、中世に興った天台宗の口伝法流に源を発し、その流派である恵檀二流のうち、檀那流を正嫡とし、恵心流を傍流として相承したといわれる。はじめは、厳格な口伝相承であったが、時代が経るにしたがい、特に南北朝時代にこの玄旨壇灌頂を受けた円観が、淫靡な宗教に堕落せしめ、『玄旨帰命檀法』を伝えた。これは、当時、真言宗の淫靡な宗教(後述)を爆発的に広めた文観の多大な影響があったとされる
円観と交流があった真言宗・小野流の文観が真言立川流を大成して、それが次第に蔓延するに及び、ついにその影響が天台の檀那流の一派である慧光房流に波及し、神聖であった玄旨帰命壇が淫祠的な傾向を帯びたともいわれる。
のちに阿弥陀如来への浄土信仰も取り込まれ、本堂の壇上には阿弥陀仏の像を安置した。
行者の呼吸の吸吐を阿弥陀の来迎浄土と感じ取り、そこに生死の根源を究めるとする。
さらに日月の精気が父母和合のときの息風に乗り胎内に入ることに始まると説く。
これらは初期には、いずれも生死の根源を観じて、悟りを得ようとするものであったが、南北朝時代以降、現実の世界や愛欲の煩悩を積極的に肯定して、交会(性交)の儀式を以って悟りを得ようと解釈する向きが強まった。このため真言立川流の影響が多大であった。
常行三昧堂「後戸」
が今度は、芸能的な性格が切り離され、「秘仏・秘神」としての性格が強まり、玄旨帰命壇の本尊とされるようになる。
摩多羅神は玄旨壇に祀られてから秘密性を帯び、結果として摩怛哩神(まだり)に変貌した。
(輪王寺摩多羅神二童子図)
摩多羅神が、ずっと師資相承(師から弟子に伝えること)の秘儀であった。
摩多羅神の画像の二童子は、爾子多(にした)と丁令多(ていれいた)と呼ばれる。
叡山では、薬師堂(現講堂)の前で、声明念仏会に合わせて祭文が読まれていた。数百年前に絶えてしまった、その祭文の内容は、「玄旨重大事 口決私書」に記される内容から、わずかに伺うことができる。祭文の中の二童子の神歌とは、次のような短い歌である。
「二童子は歌を歌う。左の童子の歌は『シシリシニ・シシリシ』と歌う。
シシは、男根の隠語であり、ソソは今日でも京都弁では、女淫のことをオソソと言う。
右の童子は『ソソロソニ・ソソロソ』と歌う。」・・・中略・・・「男子女子の(狂乱の)振る舞いを歌に歌い、舞に舞うなり。」・・・中略・・・
「これを秘すべき、また、口外するべからず。秘中の秘ともいうべき深い秘密の口訣(くけつ)である。」と、秘密の口伝であることを、重ねて念を入れている。
それも、そのはずである。ソソは、女淫を意味し、シシは、男根を意味し、淫欲を意味しているからである。これはセックスの隠喩(いんゆ)である。この歌に続く文言では、「淫欲熾盛の処」、”淫欲が火が燃えあがるように盛んなところ”と、している。この二童子の舞が、性交という行為を表わし、摩多羅三尊は”淫欲”即菩提を象徴している
のちに淫祠邪教扱いされ江戸時代には絶滅した。
妙法院
蓮華王院 三十三間堂で知られる妙法院は、本尊は普賢菩薩の開基は最澄と伝え、青蓮院、三千院(梶井門跡)とともに「天台三門跡」と並び称されてきた名門寺院である。
江戸時代初期、寛保年間(1741-1743)、1743年とも、妙法院23世・尭恭親王により積翠園の東に香 雪 院が創建された。この地が、妙法院の丑寅の方角に当たることから、持仏の聖天像を安置するために院の一角に庵を結んだことに始まる。
妙法院24世・真仁法親王(?-1805)、25世・教仁法親王(?-1851)が天尊供養を厳修した。
この聖天像は、妙法院第二世慈覚大師が中国より帰朝された時に請来されたと伝えられている。
また、摩多羅神像があり、これは尭恕法親王(1640~1695)が描かれたとの銘文がある。
この図は、伝授が禁止される直前の作だという。
(妙法院摩多羅神二童子図)
ヒンドゥー教のシヴァの寺院では、上の姿ではなく神体としてシヴァリンガがシンボルとして安置されており、それが礼拝の対象になっている。
ヨーニは女性器の象徴で、リンガは男性器の象徴であり、性交した状態を示す。ただし、我々は性交しているシヴァを女性器の内側から見ている形になっている。これは、シヴァ神が女性と性交をして現われたのがこの世界で、それが我々の住んでいる世界という意味になっている。
人々はこの2つを祀り、白いミルクで2つの性器を清め、シヴァの精液とパールヴァティーの愛液として崇める習慣がある。シヴァの主要な性格は、サマディで、これは日本語の「三昧」に相当する。
男性原理と女性原理の統合を説く思想は、大乗仏教(智慧と方便)、道教(陰と陽)、 ヒンドゥー教(ヨニとリンガ)、ストーンサークルなどの超古代の文化、さらには、心理学 の一部などに見られる。この思想は、男性原理と女性原理という対極的な二者が、本質的には一体であり、その 統合・バランスが重要であると説く思想。
梵我一如(ぼんがいちにょ)とは、梵(ブラフマン:宇宙を支配する原理)と我(アートマン:個人を支配する原理)が同一であること、または、これらが同一であることを知ることにより、永遠の至福に到達しようとする思想。古代インドにおけるヴェーダの究極の悟りとされる。不二一元論ともいう。
摩多羅神とは摩訶迦羅(マカカラ)天であり、またはダキニ天で大黒天ある。両性具有ということは「梵我一如」ということか?
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