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【コラム】

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 幕末の傑物・松平春嶽(しゅんがく)の実子にして、尾張徳川家の十九代目当主・徳川義親(よしちか)氏は、「虎狩りの殿様」と呼ばれた。マレー半島で野生の虎に襲われそうになりつつ、ひるまずに仕留めたという武勇伝のためだ▼そんな「殿様」が言葉を武器に時の政権に挑んだのは、一九二五年三月十九日のことだ。その日、貴族院本会議では、治安維持法案の採決が行われようとしていた▼衆院への法案提出から、わずか一カ月。大臣の発言は脱線続きで、官僚が釈明に追われた。言論や思想の自由を脅かしかねぬものとして世論の反対は強く、衆院で可決された時は「満天下の非難をよそに、生まれ出(い)づる悪法案、多数の力でひた押しに遂(つい)に衆院を通過す」と報じられた▼貴族院での審議時間は、ごくわずか。そういう状況での採決に、侯爵・義親氏は「特権階級中の特権階級である我々がこの法案に賛成せぬのは、勇気がいること」と断りつつ、反対意見を述べた▼治安維持というが貧困という根を絶たねば、過激思想という葉も枯れぬ。政府は言論弾圧など乱用を許す曖昧な点はないと言うがとても信じられぬ。ひとたび誤用されたならば、その結果は極めて恐ろしいものになる、と▼そんな「殿様」の警鐘が九十年余の時を経て、生々しく響く。「共謀罪」という虎が放たれた今、ひるまずに、言論という武器を使い続けることができるか。 

 

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