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【芸能・社会】

女優の野際陽子さん死去 「キイハンター」「冬彦」母役

2017年6月16日 紙面から

NHKアナウンサー時代の野際陽子さん=1960年7月(NHK提供)

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 「キイハンター」「ずっとあなたが好きだった」などのドラマをはじめ映画やバラエティー番組でも活躍した女優の野際陽子(のぎわ・ようこ)さんが13日午前8時5分、肺腺がんのため入院先の東京都内の病院で亡くなった。81歳だった。15日に近親者のみで葬儀を営んだ。お別れの会は、本人の意向で開催する予定はないという。NHKの女子アナから女優に転身した華麗な人生は、81年で幕を閉じた。

 関係者によると、野際さんは、2014年に肺がんが発覚。治療の末、回復したが15年に再発、患部の摘出手術を受けた。その後も治療を続けていたが、今年5月8日に肺炎を患い、緊急入院。一時は元気を回復することもあったが、13日、娘の女優真瀬樹里や親族、スタッフらに見守られる中、息をひきとった。

 野際さんは、放送中のテレビ朝日系ドラマ「やすらぎの郷」に出演していたが、体調を悪化させてからは、台本を変更。退院して現場復帰すれば、出演できるシーンが用意されていたが、共演者、スタッフの願いは届かなかった。

 長女の真瀬は、マスコミ各社に野際さんの死去と、近親者による密葬を執りおこなったことを報告した上で、「3年前に肺腺がんが発覚し、5月8日、肺炎を併発し入院してから1カ月強、一進一退を繰り返しながら闘い抜きました。2度の手術や抗がん剤治療と、仕事をしながらの壮絶な3年の闘病でした。最期は、親族やスタッフに見守られ、抱きしめる私の腕の中で天国へ旅立ちました」と明かした。

 続けて「今まで母を応援して下さった皆様、お世話になった仕事の関係者の皆様、本当にありがとうございました。多くの人に愛される、役者としても一人の人間としても偉大な母だったと誇りに思っております。母と、母の遺した作品を、どうかこれからも忘れずに愛し続けていただいたらと存じます」と感謝をつづった。

 野際さんは、1936(昭和11)年1月24日、富山県富山市生まれ。3歳から東京都杉並区で育ち、立教女学院中・高校をへて、立教大学文学部英米文学科卒業。58年、NHKにアナウンサーとして入局し、名古屋放送局に赴任。62年3月に退職後は広告代理店に勤務し、TBS系「女性専科」の司会も担当。63年TBSのドラマ「悲の器」に出演。66年パリ・ソルボンヌ大で学び、帰国後、68年からTBS系「キイハンター」に出演して人気者になった。共演をきっかけに73年に千葉真一と結婚、75年に長女で女優の真瀬樹里を出産。94年離婚。92年、TBS系「ずっとあなたが好きだった」で息子・冬彦(佐野史郎)を溺愛するしゅうとめ役が話題になった。

 「キャーなんてものじゃないんです。ヒィーって。絹を裂くというんでしょうか。あの悲鳴は芝居では出せません」。新人アナとして名古屋生活をスタートさせて間もないころの泥棒被害を語る様子も明るく、上品。冗談も交えて懸命に記憶をたどる気遣いの人だった。

 野際さんがNHK名古屋放送局に着任したのは1958(昭和33)年。その年の10月の給料日、鶴舞公園近くの寮の4畳半に若い男が侵入し、背中にナイフを突きつけられた。子供を置いたまま妻に逃げられ、震える子にシャツを買ってやりたい、と男は200円を要求。今の5000円ほど。やりとりの中で「俺をサツに突き出してくれ」とやけになる男を「1000円を貸すから返す気があったらポストに入れて」とほかの寮入居者に見つかる前に帰した。

 「殺されると思いました」というが、「その後、何度もテレビで話しているのに名乗り出てこないんです」。苦労の男を犯罪者にせずに、笑い話で済ませたのは野際さんならではの優しさだろう。

 最近の代表作は東海テレビ制作=フジテレビ系の昼ドラ「花嫁のれん」。2013年の取材で、野際さんは「広小路には祭りじゃなくても屋台が並んでいてね」と高度経済成長期初期の名古屋を懐かしそうに振り返っていた。のど自慢番組の司会で愛知県瀬戸市など中部各地を訪れたこと、名古屋テレビ塔近くの牛タン屋で「おそぎゃー(怖い)ことないわ」と上司に慰められたことまで記憶は鮮明。

 仕事がない日は愛犬5匹の世話が中心で「大変なんです」と目を細めていた。聡明(そうめい)で明るく、チャーミングなパーフェクトウーマン。4年前の姿は憧れのまま胸に刻まれている。 (持田則子)

◆北陸言葉に親しみ

 富山市生まれの野際さんは4歳で東京に出たが、父方、母方の祖母の北陸言葉がドラマで生かされたと語っていた。

 父方の祖母は富山におり、「私は長女ですから、(幼い子の世話で忙しい)母よりも祖母といる時間の方が長く、富山弁を子守歌のように聞いていました。イントネーションや響きは耳に残っているんですね」。母方は金沢市に隣接する石川県津幡町出身。小学3年で1年間、疎開していた時に祖母と接し、「なんとなくニュアンスは残っています」。

 ドラマでは「生まれてからのようにしゃべるのは難しい」と試行錯誤するも、金沢弁よりもっと上品、とドラマスタッフも感服していた。

◆「見るまで認めない」元夫の千葉真一

 野際さんと1994年に離婚した元夫の俳優千葉真一には、娘の真瀬が直接電話して訃報を伝えたという。その際、千葉は、「オレは(遺体を)見るまでは、認めないぞ」と応じたという。

 ▼肺腺がん 肺がんの約60%を占め、日本で最も発生頻度が高いとされる。「非小細胞肺がん」の一種で、喫煙との因果関係は薄いといわれる。喫煙率の低い女性の方が発生頻度が高く、非喫煙者にも多く発症する傾向がある。

 

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