どこまでもまっすぐに 田中將介(^^)

読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ethical journalism magazine 

おもしろいことは言えません。 しかし、誰かがおもしろいことを言ったことに対しては、ものすごい勢いで笑います。そんな人間です。Twitter:@ethicalmasa

なぜ人は旅をするのか、なぜ人は旅を好むのか

なぜ旅をするのか、なぜ旅を好むのか

 
私は、2014年、世界一周という名の放浪の旅に出た。
そのときにいっぱいこのブログに想いを綴ったわけですが、
旅に意味を見いだそうと必死だが、結局わからなかった。
早く日本に帰ってあんなことやりたい、こんなことやりたい。
っていっぱいいっぱい思った。
 
旅は楽しい。幸せだった。
だけど、なんだろうこの違和感。
現実から逃げている感じがすごくした。
今やらなければいけないことは特にはない。
けれど、自分の時間を売っている気がした。
自分の時間が買われている気がした。
 
そのもやもやを必死に忘れようとすることは、楽で良いことなのかもしれない。
一人で抱え込むことのほうがよっぽど辛い。
 
 旅は、こういったことを考えることのできる時間なのだ。
だから旅はいい。旅行はしなくていい。
一人で悩み、考え、違和感を大切にすることができる。
 

旅を終えてわかったこと

「旅を終えて」というテーマで、こんな引用と文章を書き残していた。

本当に無事に帰って来れてよかった。
本当に最後まで続けることができてよかった。

 一年前は、「どんな自分になっているんだろう」と楽しみで楽しみで仕方なかった。期待していた自分になっているのかな?今の自分よ。行く前から具体的な自分がなかったからそんなのわからない。でも、言って良かったと言える。自分の決断は正しかったと胸はって言えるような行動をした。 たくさんの過ちはおかしたけれど、必ず糧にする。

たくさんのことに出会えた。この時間が遅れてなければ、ここで、降りなければ、この方角に進まなけれ、この人にも会ってない、この場所にもいってない。全く計画通りに進まないからこそ、こう思えた。


この国に行かなければ
この宿に泊まらなければ
この道を左に行かなければ

きっとみんなに会えなかったんだろうな。

偶然が重なって
出会えた仲間に感謝!!
生涯の友達がたくさんできた。
 

人間は欲望の生き物。それでいい、そのほうがいい。
どんどん前へ前へ進んでいこう。
その欲を失った時点で、試合終了だと思う。

この旅で行きたい場所、やりたいことを全てやり切る予定の1年間だったけど、
困ったことに行きたい場所、やりたいことが増えちゃった。

泣いたり笑ったり。
怒ったり悲しんだり。喜んだり。
とってもそんなことが多い年だったけれど、
それだけの数、いまなら幸せに感じれる。
 
たくさんの人がいた。
もう会うことのない人ばっかり。
遊びたくて元気いっぱいのこども。
親を手伝っているけれど、いつもにこにこしている姉妹。
大きくなったらどんなに人間になるんだろう。
もう一生会えないからこそ、その目の前の時間を目一杯楽しむの。
 
私たちは、人に支えられて、生きてこれている。
もう会わない人、覚えてない人にだって支えられている。
だから僕は社会に恩返しし続けたい。
 
だから、とにかく自分を磨き続けたい。だって今の自分じゃ、何もできないでしょ。
 
この経験が人生を変えたかって?
少なくとも僕は違う。
日本に帰ってから役に立つかって?うん、という自信はない。
楽しかっただけ?そうかもしれない。
だけど、少しの後悔もしていない。
こんな日々を過ごせて最高に満足してるから。
日本にいるだけじゃ、思えないこと、いっぱい思えたから。
後悔なんてその人自身の行動で決まる。
決断したらあとは自分次第。
思う存分好きなように過ごせばいいんだから。
自分で決めた道。
どこかで役に立つといいな。今すぐじゃなくてもいいから。
 

自分の弱さ、できないということ。

苦く美しい思い出の良き一年でした。


どこかで見た記事が記憶に残っている。

世界を旅するのは自分事として考えることができるから。

よくわからないと思うので具体的に話すと、

もし自分がその土地に行ったことがあり、その土地が悲惨な状況(例えば地震とか)
になっていた場合、必ずテレビに釘付けになるであろう。
心配になるであろう。

ただぼーとテレビを見ることはないはずであろう。


やっぱり親日の国は日本に恩返ししたいとか思うから、優しかったりする。

自分の場合、カンボジアに何かすごいことがおきれば、すぐに駆けつけそうな気がする。


あともう一つ思ったのは、甘いかもしれないけど、有名な出来事すら、日本で過ごしてきた今までは知らないことが多い。

ベルリンの壁もしかり、ポーランドアウシュビッツ、ビルケナウもしかり、
行くと深く知れるし、初めて知ることもある。

日本にいるときはこんな有名な出来事も知らないのだから。

自分事にならない。考える、勉強になるきっかけという意味でもいいかもしれない。
と思ってます。 
 
 
 

 【世界規模での当事者意識】僕が旅に対してポジティブに思った数少ない考え

「世界一周をして得られるものって何?」
と聞かれることがあります。
もちろんいくつかありますが、
僕が答えるものの一つに次のものあります。
「地球規模での当事者意識」
テレビのニュースでインドのアーグラーで
爆破テロがあり死傷者が多数出ている。。
このニュースを見た時、
あなたはどう思うでしょうか?
もちろん、可哀想とか気の毒だとかいう
感情は沸くかと思います。
でも一瞬、そのような感情を抱きつつも
またいつもの忙しい日常に戻って行く。。
その現場で血の海の中でのたうち回って
死んで行く人々に思いを馳せることはなく。
でも、その爆破テロが行ったのが
あなたの地元の町だったらどうでしょうか?
仲の良い友人が住む町だったら??
きっとあなたの家族や友人の顔を思い浮かべ
て本気で心配されるかと思います。
すぐに彼らの安否を確認したいと思う
はずです。
世界一周をして世界の各地に友人が出来たり
友人が出来なくても、何がしかのつながりが
出来ることで私たちの意識の範囲が一気に
広がるのではないでしょうか?
リアルにその場所につながりを持つことで
初めて、地球のどこかで起こったその出来事
に当事者意識を持つことが出来るようになる
のだと思います。
今でも世界のどこかで紛争や戦争が
起こっています。
世界平和って本当に難しい。
世界各地を回り、その地域の文化や宗教上の
違い、考え方の違いに触れるたびに
そう思います。
でも、仮に何十年か経ち、世界に平和が
訪れることがあったとしたら、
何かこの当たりにヒントがあるような
気がしてなりません。
なぜなら、誰も自分の友人を殺したいと
思う人はいないから。
遠い異国の地で困っている時に助けてくれた
恩人に銃を向けたいと思う人は
いないでしょう。
訪れた国の子供たちの笑顔を頭に思い
浮かべて、その国の人たちを殺したいとは
思いませんよね。
この感覚を世界中の人が共有出来れば
戦争は起こらないのではないでしょうか?
もちろんきれいごとだということは
百も承知です。
実現が非常に難しいことも
理解しています。
でも、数パーセントの人が世界中を
旅して、その土地の人の1000人の人と
関わりを持つことになったら??
インターネットでつながりもっと活発に
やり取りをするようになったら??
友人同士がつながり友達の輪がもっと
広がったら?
世界は今より少しだけ良くなるかも
しれません。
「世界規模での当事者意識を持つ」
ということはきっとそういうことなのだと
思います。
さて、地球規模での当事者意識を持った
あなたはその後、どう行動しますか?
これまでと同じでしょうか?
それとも…?