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今年60歳を迎え、「おばさん」から「おばあさん」の入り口に差し掛かった私は、興味深く拝読させていただきました。
「人生の下り坂に耐えて生きていけるのか」というフレーズが何とも刺激的。
「果たして私は、今、人生の下り坂に耐えているのだろうか?」と問いかけてみました。
年を重ねることに対する捉え方は、それまで生きて来た人生の道のりによって、そして今、生きている環境によっても大きく異なります。
ですから、一般化するのはなかなか難しい。
ここでは、あくまでも「私」という個人的な経験から、「人生の下り」について考えてみたいと思います。
私は、どのように人生を上ってきたのだろうか
私の人生の転換点は、仕事をリタイアした時点にありました。
リタイアするまでは、ひたすら「坂を登る」といった感じ。
それなりにキャリアを重ね、起業してからは、前年度よりも今年度、今年度よりも来年度、業績を上げなければならないという絶対的な命題をクリアすべく、前だけを見て坂を登ってきました。
「もう、今回は、この坂を登れないかも知れないな」と思ったこともしばしば。
それでも、がむしゃらに進んできました。
登りの推進力は
そのがむしゃらな推進力の大元は、使命感と役割意識。
とてもピュアな気持ちで、「これを社会に広めなければ」と使命感に燃えた時期もありましたし、スタッフを雇用している以上、何としても給料を支払わなければならないという経営者としての使命感、役割意識もありました。
さらに、妻として嫁として、母親として、家事や育児にも頑張らなければならないという役割意識もありました。
「自分がどうしたいか」よりも、「自分が何をしなければならないか」を考え、常に「TO DO」リストで頭はいっぱい。
少々のことで揺らぐわけにはいかない自分を支えるために、「些細なことには目をつぶる」「とにかく立ち止まってはいられない」という処世術が身についていきました。
ひたすら前に進もうとする私。
子供をはじめ、周囲の人の声にどれほど耳を傾けられていたのか、その時はただ必死だったけれど、きっと周囲の人を傷つけてきたに違いない。
今となっては、あの頃の自分の未熟さを恥じることもしばしばです。
坂を登っていたときの自分
人生の坂を登っている時期は、今考えてみても、ずいぶんと傲慢で不遜な自分だったと思います。
そのようなある種の万能感がなければ、とても生き抜いてはいけない・・そう感じたこともありました。
その反面、他者からの評判や批判に過剰に反応し、傷つきやすい自分も。
そして、常に外向きの自分と内向きの自分が同居して、言いようのない孤独感がついて回っていたように思います。
私は、どのように人生を下っているのだろうか
そして、「もうこれ以上は限界」だと感じ、数年のソフトランディングを経て、リタイアした私。
リタイアした後の数年間は、あれこれあったものの、ここ最近になってリタイア生活にも馴染んできました。
今の生活は、前に進む必要もなく、坂を登るためのエンジンも必要ありません。
昨年よりも今年、今年よりも来年と成果を上げる必要もなく、ただその日一日が終わる時に、「ああ、今日もいい一日だったな」と思えることが最大の目標。
経営者、上司、嫁、母親など纏っていた数々の役割からも自由になり、あとは両親を看取る娘としての役割を残すのみ。
「やらなければならないこと」のリストは驚くほど少なくなり、「やりたいこと」リストが膨らんでいます。
役割という衣が軽くなったことによって、「私はどうしたいの?」「私は何が好き?」と問いかける機会が増え、この年になってやっと自分と向き合い、自分を大切にすることを学び始めています。
今は、それまでないがしろにしてきた「自分」を喜ばせることが最大の課題。
リタイア後に始めたお料理、ダンス、水彩画で、自分が元気になっていくのを感じています。
上りと下りの視界とメンタル
坂を登っていた時期は、ひたすら前を向くのみ。視界には、延々と続く坂しか映ってはいませんでした。
坂を下っている今は、視界は良好です。
周りの景色も良く見え、それらが織りなす美しさも目に飛び込んできます。
「ああ、こんな世界があったんだ」と呟くことも少なくありません。
「人生の可能性は年をとるほどに小さくなる」と考える向きもあるようですが、私は、下り坂になってやっとみつけた楽しみに可能性をかけてみようと思っています。
そして、人生の坂を登っていた時の言いようのない孤独感、気持ちの揺らぎからもずいぶんと自由になりました。
仮面を被って他者の評価を気にする必要もなくなったからだと思います。
ただ、若いころの未熟さを思いだして、胸が痛くなることはあります。
ただこれも、多少は成熟したしるし。
人生は後悔と自責の繰り返し。ここから逃れることはできないのだと思います。
再び「私は人生の下りに耐えているのか?」
もう一度、人生の下りに耐えているのかと問いかけると、答えはNO。
下りには、上りにはない視界の広がりや、本当の自分自身との出会いがあり、むしろそれまでとは異なった可能性を拡げるチャンスだと感じています。
もちろん、私の今の年齢だからこそ思うことで、70代、80代になればまた違った世界が拡がることでしょう。
ただ、「人は人生の下りに耐える」という表現にやはり違和感が。
「上りは良くても下りは悲惨」
この高齢社会に生きている私たちです。
そんな年を重ねることに対するネガティブなイメージを、若い方には持っていただきたくないというのが正直なところです。
「登り切った後でしか見えない人生の贈り物がそこにはある」
そんなことを多少は感じていただけるような生き方をしたいと感じています。
目を通していただきありがとうございました。
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