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『男の産後うつ』になったようだけど女装したら治ったみたい

自分が癒やされれば、家族も癒やされる。

私が癒やされれば、家族も癒やされる。そんな関係を模索するブログ。

あなたの人生は我慢の連続ではなかったか

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突然ですが……

我慢することと、ダムって似てません❓

↓このダムね

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私の中にはダムがあって、我慢という名の水を貯えている……と思っているのだけれども、この「我慢」の厄介さを、「ダム」になぞらえて書いてみたい。

  

 

 

小さな我慢でもイライラが止まらない私

ちょうど1~2年前のことだけども、私は

「私ばっかり子どもちゃんの保育園の迎えに行っているけど、奥さまはなんで行ってくれないのよ❗」

と不満に思うことがあった。

あっ、私の奥さまの名誉のためにいうけれども、奥さまは決してお迎えをサボっているわけではないよ。

奥さまの仕事が繁忙期のとき、私が8回連続でお迎えに行くことがあった。

その時に、私が勝手に「私だって忙しい中、調整してお迎えに行っているのに、なぜ私だけ我慢しなきゃいけないの❓」と思ってしまっていた😒

 

たかだか繁忙期だけのことじゃない❗小さいなあ。

世の中には、旦那が家事や育児をほとんど手伝ってくれないところだってあるというのに、私はなんてワガママなの❗❓

って自分ではわかってるのだけども、私は余裕のない男なので、「私だけ我慢している」という感情がひとりでに湧いてきて、自分ではどうしようもなくなるんだよね。

 

我慢のダムがあふれる寸前

思うに、我慢するということは、ダムに水を貯めるようなものではないかと思う。

例えばこんな感じね。

 

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ダムには、水(我慢)が貯められている。

貯まっている水の量も人によって違う。Aさんは余裕があるかもしれないけれども、Bさんはいっぱいいっぱいかもしれない。

そして、貯められる水(我慢)の総量は、人によって違う。Cさんのダムは、キャパが小さいかもしれない。

(ところで、ダムは地形、目的、予算、施工技術等によって大きさや形状が異なる。ダムマニアには常識だけど、一つとして同じダムは存在しないのよ)

 

ダムでは貯まった水を放水するのだけれども、人間もまた、溜め込んだ我慢はどこかで発散しなければならない。

でないと、ダムがあふれてしまう。

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水(我慢)があふれたらどうなるか❓

水は低きに流れるという原則があるので、下流へと向かう。

その時、水は濁流(怒り)に変わっている。

濁流は下流へと向かって流れる。

この時の「下流」とは、怒りをぶつけやすい人――つまり配偶者や子ども、もしくは後輩や部下、社会的弱者など――かもしれない。

あるいは、下流は自分自身かもしれない。濁流に飲み込まれた自分自身は、最悪の場合、自死を選んでしまうかもしれない。

  

なんで私のダムはあふれているのか❓

過去から蓄積された水(我慢)を抜いていないからだと思う。

例えば、子どもは誰も、親から様々なことを禁止される。

私の場合では、かなり理不尽な禁止令があって

「父と仲良くしてはいけない」

という、母からの禁止令があった😓

私のパパとママは仲が悪いかったんだけど、私がパパと仲良く話していると、ママはいい顔をしないんだよね。

ママには「裏切り者❗」と何度も罵られた。

理不尽な禁止令なんだけれども、私は「理不尽だ❗」と声をあげたことは一度もなく、ずっと我慢をしてきた。

こんなふうに、よどみまくって腐った水がたくさん貯められている。

 

我慢は他にもある。学生時代の教師や同級生との関係、受験の我慢。

社会人になってからは、忙しさ、理不尽な要求、人間関係などで蓄積された我慢。

その上に、育児という新しい課題が生まれる。

子どもちゃんを叱り飛ばさないよう我慢したり、育児のために自分の時間を我慢したり……。

 

こういう我慢を発散させず、自分の中で抑えつけていると、いつか我慢はあふれ出す。

 

隣のダムは余裕があるようにみえる

自分のダムがあふれそうになると、他人のダムに目が行く。

なぜか他人のダムは、まだまだ水を入れる余地があるように見える。

 

「ちょっと❗私はこんなにあふれそうなくらい水があるのに、なんであんたのところは余裕ぶっこいてんのよ❗」

と思う。

すると、無理矢理にでも自分の水を他人のダムに移そうとする。

 

自分が我慢をしすぎると、他人にも我慢を強いるようになるのよね。

   

他人のダムではなく、我慢する自分のダムにフォーカスする

私の事例に戻るけれども

「繁忙期だからといって私ばかりお迎えに行くのは不公平❗奥さまもちょっとは手伝ってよ❗」

と、奥さまのダムに自分の水を移すのを強行したらどうなるだろう。

奥さまのダムのキャパ、水量は私にはわからないから、奥さま側があふれるかもしれない。

奥さまにも私のダムの水量は見えないので

「何言ってんのよ❗あんたのほうが余裕あるでしょ❗」

と、水掛け論になるかもしれない。

 

奥さまのダムに水を移して自分はスッキリするかもしれないけれども、夫婦間で水(我慢)の押し付け合いをしているので、夫婦の水の総量は変わらない。

 

ということは、発想を変えなきゃいけないと思う。それは、

他人のダムに水を移すのではなく、自分の水を抜くこと。

ダムは人間よりも偉い子なので🤣、ちゃんと水を抜くという機構が備わっている。 

 

水(我慢)を抜くとはどういうことだろう❓

 

例えば、我慢をしなくてもいいと自分に許可を出す。

時には「嫌だ」と意思表示をし、怒ることを許し、我慢しない自分を作る。

会社で上司が忘れっぽいなら「忘れないでくださいよ❗」と文句を言う。

電車の中で、イヤホンの音漏れがしてシャカシャカとうるさいと思ったならば「音、漏れてますよ」と指摘をする。

ファミレスで子どもが騒いでいたら「ちょっと静かにしなさい」と注意する。

こういう小さいことでもいいので「私が我慢すればいいのだ」という発想をやめ、我慢を小出しに発散する。

 

こういう水抜きをチマチマやると、奥さまが繁忙期になって、お迎えが連続しても、気にならない自分になってきた。

 

あなたの人生は我慢の連続ではなかったか

家事・育児だけではなく、様々な局面で「なぜ私だけが我慢を」という不公平感を覚える人がいたら、ちょっと胸に手をあてて考えてみてほしい。

あなたには、過去から貯め込んだ、よどんで腐った我慢がないか。

あなたの人生は我慢の連続ではなかったか

我慢を強いられる人生を歩んでこなかったか。

 

不公平感を減らすヒントは、我慢しないでいい自分(水が抜けるダム)を作ることにもあると思う😊

 

配偶者のダムがあふれそうだ……と気づいたならば

これ以上我慢させないよう、今すぐに家事・育児に協力してあげてほしい。

そういう人には、長年溜めこんだ我慢があると思うので、休息を与えてほしい。

そして、これは受け入れるかどうかはわからないけれども、よどんで腐った古い我慢が抜けるようサポートしてほしい。

(これには、第三者によるカウンセリングやセラピー、ワークショップなどが有効だと思う。いきなり「ここに行ってこい」と言っても、聞いてもらえないだろうけど)

 

構造物であるダムでさえ、メンテナンスが必要なんだから、人間もメンテナンスは必要なのよ😊