イスラム教で豚肉を禁止されている理由を語るな、神になったつもりか

【この記事は約5分で読めます

 まーた、バカがトンデモ説を流布させている。
 インターネットの倫理、なる人物により書かれた記事がこちらだ。

  なぜユダヤ教・イスラム教で豚肉は禁止されるのか─ハリスの説から

 要するに、「中東は豚を飼うより羊や牛を飼う方が人類にとって有利なので、その戒律がある」とする主張だ。


 2017.6.16 0:00現在、725RTもされている。結構な読まれ方だ。こんなバカの書いたトンデモ説が流布されていく現状は、一聖典を奉ずる人間として断じて見過ごせない。この記事に書いている言説は、嘘なので、この記事をもとに「中東では豚を飼うメリットが薄いからイスラム教では豚を禁じた」とでもいえば、少なく見積もってうそつき、ともすればイスラムの敵ともなりうるので、読者諸賢におかれては注意されたい。


 【戒律の理由を問うことそれ自体が冒涜行為であるというのは、一神教の常識】

 神から下される命令は、一見して理不尽なことが多い。息子を捧げるよう命じられ、それに殉じようとしたアブラハムからしてそうだ。神からの命令は、たとえ理不尽であっても(理不尽であると感じられたとしても)、殉じる。そこに一神教の本質がある。これは自分にとって、あるいは人類にとって益があるから殉じようというのは、自分という愚かでちっぽけな存在を、かしこくも神の命令の上位に置こうとする態度で、断じて受け入れられない。

 【聖典がもたらす法は人類が絶滅しても続く】

 記事によれば、中東で豚を買うことが経済的利益になるから豚を禁じたという。とんでもない。人類全体が消滅して、宇宙が消滅しようとも、人類は豚を食べてはならないという命令は不変の法として働く。これがムスリムの考え方であり、一神教の考え方である。
 科学の結論は日々変化するが、聖典の結論は、啓示が下された日から最期の審判にいたるまでゆるぐことはない。日々の科学研究の結論を、聖典に適合的だ、非適合的だといって一喜一憂するのは、とても信仰者の態度ではない。せいぜい、宗教好きのバカ文化人類学者がすることだ。

 【バカは科学的説明らしきものを好み、信仰者の核心に無遠慮に触れようとする】

 パリスだかバカスだか知らないが、私はこの記事の論拠になる本を読んだことがない。読む気もない。バカが書いたバカ本であることは、火を見るより明らかだからだ。寄生虫だろうが、反芻動物だろうが、関係ない。信仰者にとって、科学は、聖典より下位に属する。すべて、聖典の規定に「科学的」説明を加えようとすることは、信仰者に対する侮辱にほかならず、即刻停止されるべきである。少なくとも、このブログを読んでいる読者諸賢においては、控えていただきたい。

 【まとめ:理由は、それが神の命令だから。それ以上の説明は間違いで、冒涜】

この記事で一番問題なのは、ツイッターで「ユダヤ教・イスラム教で豚がタブーとされる理由を解説」している点にある。
 信仰者の間でも、この規定があってこのように人生に役に立ったと、ベネフィットを報告し、喜びを表明することはある。しかしそれは、深謀遠慮で自分には理解不可能な神の叡智に、一部でも触れられたような気がするという喜びを表明するにすぎず、自分の利益のためにこの規定があったのだともいえば、それは信仰者として問題になるだろう。(どこかのイスラム団体HPで読んだ、この規定に隠れていると思われる叡智、という言葉が個人的に気に入っている。)
 まして、聖典の規定を解説できるのは神だけであり、この記事は自分が神になったつもりかと言いたくなる。いや、言おう。インターネットの倫理、と名乗るこの記事の著者。お前は神になったつもりか。そうではないなら、即刻記事を取り下げなさい。
 聖典の規定は、それが神の命令だから従う価値がある。そして、その理由は、人間に解説することはできない。その信仰の本質を理解できないで、バカの本を引いて「解説」すれば、それは信仰者を敵に回す行為だ。

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