「日本に道ありという国学者のたぐいは、自分の国に道がないのを恥 じて、 強引にあちこちの古史から手あたり次第に例をひいて、 人をあざむき自身をも あざむくものである。 もともと日本には道といえるものはなかった。 文字は漢字だし 、役人の衣装や制度や法律なども、みな(律令制など)支那のまねをしてきたに過ぎない。 日本の学者とは、支那の儒学に通じるもののことであり、 国学者というのは、 儒学者の中で日本のことに詳しいもののことであり、 儒学者のうちで和歌を読めるも のを歌学者と呼ぶにすぎない」
村田春海(むらた はるみ、延享3年(1746年) - 文化8年2月13日(1811年3月7日))
江戸時代中期から後期にかけての国学者・歌人で
賀茂真淵門下で県居学派(県門)四天王のひとり