ある学者は「清朝は満洲族がモンゴル族と共同して漢族を支配した王朝」「清朝は中国の王朝ではない」などということを主張していますが、これらの説に対し、区切りをつけながら反論をします。
中華文明を尊重した満洲族
確かに満洲族は漢族に対して「剃髪易服」という名で、満洲族の男性の髪型である辮髪や、満洲族の衣装を強制させたことはありました。しかし、その同時に満洲族は中華文明を尊重していました。
満漢偶数官制を敷き、重要な官職は満洲族と漢族を同数で併用し、漢族の知識人を総動員して、大編纂事業を行うことにより、全ての書物を集めた四庫全書や漢字辞典の集大成である康煕字典を作り上げました。中華文明は清朝において、北方民族のエネルギーと漢族の文化が融合して集大成され、世界でもっとも高い文明を誇るに至ったのです。
ルイ14世が派遣したイエズス会士・ブーブェは「康煕帝伝」を著し、ルイ14世と対比しながら、康煕帝の治世を賛美した。これを機にフランスではシノロジーと称される中国学が勃興し、中国はヨーロッパの模範ともなったのです。
さらに、満漢全席といって、満洲族の料理と漢族の料理のうち、山東料理の中から選りすぐったメニューを取りそろえて宴席に出す宴会様式をつくり、後には各地の漢族料理が加わったりなどと、料理面でも清朝は中華文明を大きく発展させたのです。
漢族に対する優遇
書籍:中国の歴史 近・現代篇(一)
著者:陳 舜臣
P426
ヌルハチという英傑があらわれ、女真族の大統一に成功し、さらに中国全土を支配するにいたった。はじめ彼らはかがやかしい祖先の王朝名「金」を名乗り、あるいは「後金」(一六一六年― 一六三五年)と称していた。だが、遼東など漢族の居住地を支配するようになって、
かつて漢族王朝の南宋をいじめた金は、イメージが悪いことに気がついた。
そのため、「清」という王朝名に改めたのである。
黄龍旗
清朝(または中国で最初の国旗)は、黄地の真ん中に龍を印した「黄龍旗」ですが、「黄色」は満洲族を表す色ではありません。古代中国、特に宋朝からの中国では、黄色は皇帝を表す色とされてきました。また、中国の五行思想で黄色が中央を表すことから、国の中心である象徴として黄色の服を着たともいわれています。「龍」の方も、史記における劉邦出生伝説をはじめとして、中国では皇帝の象徴としてきました。先ほど「満洲族は中華文明を尊重した」と書き込みましたが、黄龍旗は中華文明を象徴するような旗なのです。
その他
書籍:歴史の交差路にて―日本・中国・朝鮮
著者:司馬 遼太郎・陳 舜臣・金 達寿
P58
陳 清朝でも「我が中華は」ということばを使っているんですよ。
中華イコール漢じゃない。
清の乾隆帝がイギリス使節マカート二ーに、ジョージ三世宛ての国書を渡していますが、その中にも「我が中華は……」とやっています。
まとめ
- 清朝は北方民族が漢族を支配する王朝ではなく、むしろ北方民族と漢族が一緒に文化を創りました。清朝は中国の王朝の一つです。