「元朝は中国の王朝ではない。モンゴルの王朝である。」と考える人がいますが、元朝の皇帝はモンゴル族であったものの、本当は中国の王朝の一つでした。
元朝の行政区分
元朝が成立したのは1271年でした。元朝の首都は大都(現在の北京)で、それ以外の地域には中書省(略称は「行省」)を設置しました。実は、現在の中国で使われている行政区分の「省」は元朝の地方機関である「行省」を起源としているのです。
元朝の都は「大都」ですが、この都市は中華人民共和国の首都・北京にあり、モンゴル高原にはありません。つまり、元朝の中央政府の所在地はモンゴル高原ではないのです。当時のモンゴル高原には嶺北行省という地方機関が設置されており、当時はモンゴルが中国を支配したのではありません。中国をイギリス、モンゴルをインドにすると、かつてのインドはイギリスに支配されたというのと同じように、元代のモンゴルは中国に支配されたのです。
また、元代の1291年、現在の上海に上海県が設置されました。中華人民共和国の最大都市である「上海」という都市はこの時に出来上がったのです。
ポイント
- 元朝の首都は大都だが、この都市は中華人民共和国の首都であったり、中国の「省」は元朝の「行省」から受け継いだり、現代中国の最大都市・上海市は元の時代に成立されたり、元の時代は色んな民族と融合し、多民族国家ができたりと、元朝は現代中国の基礎を築き上げたのです。
書籍:歴史の交差路にて―日本・中国・朝鮮
著者:司馬 遼太郎・陳 舜臣・金 達寿
P53
金 元が中国を支配すると(一二七一~一三六八年)、それもしまいには中国になってしまう。そういうことを繰り返すわけでしょう。それでどんどん中国の地が広がる。
P57
陳 公式には、元も中国だったんです。