先日、古代ギリシアの恋愛観について記事を書きました。
書き足りなかったので、今回は古代ギリシアから続く恋愛観「プラトニック・ラブ」について書いてみます。
古代ギリシアの女性
プラトンやソクラテスが活躍していた、紀元前5世紀から3世紀頃のギリシアでは、女性は自由に外出することができず、家で過ごすのが普通でした。
そんな価値観の社会でも、外で仕事をしている女性はいました。
古代ギリシアには、宴席のホステスの仕事をする女性たちがいました。
当時のギリシアでは、ホテルや飲食店はなかったので、宴会は個人の家で行われていました。
宴席のホステスをつとめる女性は、頻繁に上流階級の家に招かれていたそうです。
ヘタエラ
こうした職業の女性たちは、「ヘタエラ(hetaeraもしくはhetaira)」と呼ばれていました。
「友人」や「話し相手」という意味の言葉です。
ギリシアのヘタエラは、高い教育を受けており、知性と教養を持ち合わせた女性でした。
当時もっとも有名だったヘタエラは、紀元前5世紀に活躍した政治家・ペリクレスの愛人となったアスパシアです。
現在出版されている百科事典で、古代ギリシアのヘタエラの記述があるものには、ほぼアスパシアという名前が登場しています。
政治家・ペリクレスは、アスパシアと一緒になりたいがために、妻と離婚しました。
プラトンが残した書物によると、アスパシアは修辞学の教師で、プラトンの師にあたるソクラテスに教えていたとされています。
プラトンとプラトニック・ラブ
ヘタエラと呼ばれた女性たちは、現在のアイドルや女優のように、世間からもてはやされていたわけではありませんでした。
当時、男性からもてはやされていたのは、美少年でした。
プラトンの著作の登場人物に、カルミデスという美少年がいます。
カルミデスは、容姿端麗なだけでなく、スポーツ万能でした。
プラトンの甥にあたり、育ちも良く、才知に長け、性格は控えめさと大胆さを兼ね備えていました。
プラトンをはじめ、ギリシアの男性たちは美しいカルミデスに心をときめかせ、スポーツ競技では最大の賞賛をおくっていました。
このカルデミスの存在が、「プラトニック・ラブ」という言葉の誕生に関係しています。
プラトニック・ラブとは、プラトン的な恋愛という意味です。
プラトニック・ラブの相手
プラトニック・ラブを辞書で調べると
男女間の清浄純潔な精神的な恋愛
肉体的な欲求を離れた、精神的な愛のこと
と解説されています。
プラトンの時代、ギリシアに男女間の恋愛は存在していませんでした。
プラトニック・ラブとは、現在の友情に近いものだったのかもしれません。
プラトンの著書には、
あまり若すぎることなく、ヒゲがうっすらと生える頃の、知性が育ってきた青年との間に芽生える友情は、生涯に渡って永続するものである。
という一文があります。
プラトンの『饗宴』という著書の中にも、ソクラテスは美青年と話することを好んでおり、酒の席では美少年の横に座りたがっていたことが書かれています。
美少年がもてはやされた理由
当時のギリシアで美青年がもてはやされたのは、子供の頃からしっかりとした教育を受け、肉体的にも精神的にも健やかに育てられていたことが大きな理由でした。
現在の、娘を美しく育てようとする教育に近かったのではないでしょうか。
ギリシアで男の子が生まれると、家の玄関にオリーブの枝を飾りました。
学校に通うようになると、付添人が教科書や楽器を運びます。
家庭では、付添人がしつけや作法を教育しました。
英語で教育学の事を「pedagogy(ペダゴギー)」と言いますが、これは当時のギリシアの付添人「paidagogos(パイダゴゴス)」に由来しています。
つまり、教育学という言葉の語源は、子どもに教育をする役目の人ではなく、しつけや作法を身に付けさせる役目の人のことを指していました。
作法を身に付けたギリシアの美少年に対する、友情にも似た愛情こそが、本来の「プラトニック・ラブ」だったようです。
参考文献