平高棟

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平高棟 /『前賢故実』より

平 高棟(たいら の たかむね/高棟王(たかむねおう)、延暦23年(804年) - 貞観9年5月19日867年6月24日))は、平安時代初期の賜姓皇族桓武天皇の皇子である一品葛原親王の長男。官位正三位大納言桓武平氏高棟流の祖。

経歴[編集]

弘仁14年(823年)二世王の蔭位により無位から従四位下に直叙され、伯父に当たる淳和天皇侍従に任ぜられる。天長2年(825年)父・葛原親王による再度の抗表により、平朝臣姓を賜与され臣籍降下して平高棟と名乗る。中務大輔兵部大輔・大舎人頭を経て、天長7年(830年)従四位上・大蔵卿に叙任される。

刑部卿を経て、承和9年(842年正四位下・大蔵卿に叙任され、翌承和10年(843年)40歳の時に従三位に昇叙され公卿に列した。

文徳朝の仁寿元年(851年参議に任官。仁明朝から引き続いて大蔵卿を務める傍ら、斉衡元年(854年)から皇太子・惟仁親王の春宮大夫を兼任し、天安2年(858年)惟仁親王の即位(清和天皇)に伴い、正三位権中納言に叙任される。

貞観元年(859年山城国葛野郡にあった別邸を仏教修行の道場とし、「平等寺」の額を賜与された。貞観2年(860年中納言、貞観6年(864年大納言に至る。

人物[編集]

身長が六尺あり、美しいひげを持っていた。幼い頃から聡明で、古くから伝えられた書物を好んで読んだ。性格が細やかで親切であり、華美に飾り立てるようなことはなかった。諸官を歴任したが政務にあたっては寛容を重視した。晩年は仏教に帰依し経典を読誦した。大納言に任ぜられてのちは食封の多くを仏事に費やしたという。[1]

官歴[編集]

注記のないものは『六国史』による。

系譜[編集]

子孫については、平氏#桓武平氏を参照。

脚注[編集]

  1. ^ 『日本三代実録』貞観9年(867年)5月19日条
  2. ^ a b c d e f 『公卿補任』
  3. ^ 高枝王が大蔵卿に補任