岸田 徹 【岸コラ】 |
鉄の女サッチャーが先進国で初めて女性として首相に就任した日、ロサンゼルス郊外では黒いビニール袋に白骨化した女性の全裸死体が入れられているのを付近の住民が発見した(1979年5月)。この死体は司法解剖されたものの死因が特定できず、身元も分からぬままにあった。
ところが、この白骨死体は突如注目を浴びるようになった。「週刊文春」が「疑惑の銃弾」と題し、三浦和義氏への様々な疑惑を報じ、その中にロスで行方不明になっている三浦の会社の取締役で愛人だった白石千鶴子さんへの疑惑が報じられた。日本サイドから送られた白石さんの歯型のX線写真から、ロス市警はその死体が白石さんのものだと断定したのだった。(1984年3月)。
当時三浦氏は、出張先のロサンゼルスで夫人の一美さんと記念写真を撮っている時に何者かに銃弾で襲われ(1981年11月)一美さんは植物人間のまま意識が回復せずに死亡(1982年11月)した。自身も軽症ながら左足を撃たれ、残された幼い女の子とともに悲劇の主人公として報じられていた。
ところが、週刊文春はこの銃撃事件は保険金目当てのものだと疑い、白石千鶴子さんの行方不明事件を三浦和義の生い立ちから放火の前科があったことなどをからめて報じたため、悲劇の主人公は一転して疑惑の人となった。そこにロス市警が白骨死体は白石さんのものだと断定したことから、週刊文春の記事は一気に信憑性を増すこととなった。さらに、三浦氏の叔母が当時は有名な女優であったことから、この事件はゴシップ記事としても華々しく展開され、マスコミ全体が三浦疑惑への報道合戦を演じるようになった。三浦自身もワイドショーに積極的に出演した。
白石千鶴子さんは既婚者だったが、三浦の会社の役員になる前に夫とは別居、その後離婚が成立し北海道に行くと言い残したまま行方が分からなくなっていた。それから白骨死体で発見されるまでの間に三浦はロスに数日間滞在している。三浦の帰国後、白石さんの銀行口座に離婚の慰謝料430万円が振り込まれ、三浦がキャッシュカードでその金を引き出していた。三浦は白石さんに金を貸した返済金だと説明した。
報道が先行する形で、この事件は刑事事件へと発展していった。捜査当局は当初白石さん殺害事件を立件しようとしたようだが、思うように進展しなかった。そこに、産経新聞がスクープ記事を掲載した。一美さん銃撃事件の前に三浦が一美さんと宿泊していたホテルの部屋に東洋系の女性がいきなり入ってきて、一美さんの後頭部を凶器を使って投打した事件があった(1981年8月)のだが、その犯人は自分だとしたうえで、三浦から殺人を依頼されたと元女優が産経新聞に告白したのだった。
この告白後元女優は警視庁に自首するのだが、事件がロスで進行していることから警視庁は日本の捜査権が及ばないと接触を拒否。ところが、ロス市警が不起訴処分としたため、警視庁が三浦と元女優を殺人未遂容疑で逮捕した(1985年9月)。
警視庁は、二人の逮捕後取り調べを強化し、一美さん銃撃事件の立件に力を注いだ。この過程で、一美さん銃撃の実行犯として銃マニアのO氏が浮かび上がり、O氏の行動を徹底的にマークした。捜査員が交代で出張を重ね、24時間体制で尾行を続けた。その行動は東北から四国、九州、沖縄にまで及んだ。さらに、三浦と実行犯の行動を裏付けるために捜査員を4度ロスに派遣する一方、銀行口座の動きを徹底的に調べ、数年前にさかのぼって三浦の入出金状況を洗い上げた。この捜査で、警視庁はO氏がルガー(拳銃)を隠し持っていることを突き止めた。銃撃前日の謀議と不自然な金の流れ――警視庁は殺人未遂容疑で逮捕している三浦和義を一美さん銃撃の殺人容疑で再逮捕した。同時に銃刀法違反容疑でO氏を逮捕(1988年10月。その後殺人罪で起訴)。一美さん銃撃から7年、白石千鶴子さんの遺体発見から9年の逮捕だった。
疑惑の人、三浦和義がついに裁かれると誰でもが思ったこの事件は、意外な方向へ進んでいった。裁判は、三浦とともにロスにいた一美さんに係る2つの事件をめぐる展開となった。ひとつはホテルの部屋で元女優に殴打された殺人未遂容疑の「殴打事件」、もう一つは記念撮影中にO氏により銃撃された殺人容疑の「銃撃事件」だ。両方とも三浦和義が主導した事件として審理された。
一審の東京地裁は、殴打事件の元女優に対し懲役2年6か月の有罪判決を言い渡した。元女優は不服として控訴したが、二審の東京高裁は棄却、元女優は上告せず刑が確定した(1986年7月)。分離公判の三浦和義被告には、懲役6年を言い渡した(1987年8月)。控訴されたが、東京高裁は棄却した(1994年6月)。三浦は上告。
一方の銃撃事件につては、実行犯とされたO氏が一審で証拠不十分で無罪、三浦に対しては実行犯がはっきりしないまま無期懲役を言い渡した(1994年3月)。それぞれ控訴され、二審でもO氏は無罪、三浦は疑わしいが、共犯者が特定されていない点など重要な点が全く解明されていないと証拠不十分で逆転無罪となった(1998年7月)。検察は上告。
結局、殴打事件では最高裁が三浦の懲役6年を支持し(1998年9月)、三浦は宮城刑務所に収監された。未決拘留日数を差引き、判決後の刑期は2年2か月となり、2001年に出所した。出所後、銃撃事件の最高裁判決があり、二審の無罪を支持して、無罪が確定した(2003年3月)。この時点で三浦は逮捕から17年半後の自由の身となった。
多くの人が疑った銃撃事件は、状況証拠の積み重ねで疑わしさだけがどんどん積み上がっていったが、決定的な直接証拠がないまま裁判が継続されていった。裁判は証拠をもとに事実を推測し、法に照らして刑を決めるものだ。直接証拠が乏しい事件は状況証拠が頼りで、事件の背後や容疑者の言動から疑いを強めていく。容疑者はこの間の嫌疑に耐えられず、嘘の自白をして事件を終了させてしまおうという誘惑に駆られる。ところが、三浦和義の行動はまったく違っていた。まるで反体制派の活動家のようなのだ。
収監中に大量の法律本を読破したと言われ、約半年をかけて自ら控訴趣意書を作成し完成させたという。その量は原稿用紙1,400枚に及んだという(読売新聞)。普通の人では考えられない。恐らく、裁判体制ばかりではなく日本やアメリカの国家体制に対して相当な嫌悪感を抱き、自らの行動を法律に照らして弁明を試みたに違いない。検察側がマスコミに踊らされ状況証拠を積み重ねれば重ねるほど、三浦の弁明は客観的に映ったことだろう。
さらに、三浦は自身を犯人に仕立て上げたマスコミに対しても容赦はなく、事件の報道に対して報道各社を相手取り訴訟を次々に起こしていった。その数は500件にのぼると言われ、時効で敗訴した例も入れて約6割に勝訴したと言われている。この処理能力と気力も普通ではない。体制に迎合するマスコミに対し闘う姿勢が表れているとすら感じさせる。
三浦はこの後コンビニで万引きをするが(2007年4月)、これも未成年が反体制的にたばこを吸ってみたり信号を無視して交差点を渡ってみたりするような感覚に見えてくる。
さて、三浦事件はこれで終わらなかった。今年(2008年)の2月サイパンに旅行した折、空港でアメリカ当局に突然逮捕された。一美さん殺人事件の容疑者として再び身柄を拘束されたのだ。しかし、殺人罪は日本ですでに裁判が行われ無罪が確定している。一事不再理の原則から認められないと釈放を求めてサイパンで争われていたが、共謀罪としては日本で裁判がおこなわれていないという理由で、先週10日(10月)サイパンから裁判がおこなわれるロサンゼルスへ身柄が移された。ロス市警の拘置施設に収監されたその夜、三浦氏は自殺した。61歳の最期だった。
サイパンからロスへ移送される間、三浦氏は「PEACE, POT, MICRODOT」と白字で刺繍されたような帽子をかぶり続けていた。この単語はどれも薬物を意味するもので、三つを連ね文の最後に書くと「別れの挨拶」になるという。ヒッピーが使いだしたスラングだと言うが、ヒッピーは反体制の人々であることから、反体制派の三浦が死を覚悟してロスに渡ったとも解釈できる。
一時はロスで闘う姿勢を鮮明にしていたという三浦氏を何が阻んだのか。それは、恐らく「共謀罪」の存在だ。殺人罪での理論武装は完ぺきでも、共謀罪については三浦自身の頭に空白があったに違いない。この空白をもう一度埋めるためにかつての努力を思い起こした折、もうあの力はないと悟ったのではないか。
マスコミは、殺人罪も共謀罪も同列に扱っているが、共謀罪を理由に三浦氏をアメリカ当局が逮捕したとするなら、大変な問題として扱わなくてはならないはずなのものだ。ところが、マスコミはこの点をほとんど触らない。マスコミは三浦氏によって報道と人権の問題を突かれている上に、共謀罪は報道の自由の観点と組織暴力から市民を守る観点の二つの狭間にあるため、マスコミの扱いが微妙なのだ。
サイパンでの三浦氏逮捕は、アメリカにはあって日本にはないという「共謀罪」を浮かび上がらせたが、実は日本は共謀罪を作らなければならない状況にある。マフィアやテロ活動などが国際的に行われていることから、国連では国際組織犯罪防止条約が総会で採択された(2000年)。日本もその条約に署名し、これに対処できるよう国内法を整備する必要に迫られた。条約そのものは国会で承認されたものの、それを実行するための法律はいまだに成立していない。その法律の代表格が「共謀罪」だ。
共謀罪の法案は2度国会に出されたが、2度とも廃案になっている。1回目は2003年、この時は小泉さんが構造改革を問うという理由から衆議院を解散したため廃案となった。次は2005年だったが、これも小泉さんの郵政解散で、郵政ばかりが審議され多くの法案が廃案となったが、その中に共謀罪法案も入っていた。いずれも小泉さんの衆院解散で成立しない結果となっているのだが、理由は解散ばかりではない。もともと共謀罪は「治安維持法」だとする反発が野党ばかりか言論界や学界にも多く、国民の間にも言論統制や警察国家になっていくのではないかという不信があって、どこか積極的に法案を通そうという意思が政府に感じられなかった。
野党の反対理由は明確で、法案は、(1)国際犯罪に対処するものなのに国内犯にも適用される余地がある、(2)共謀する団体の定義があいまい、(3)凶器を準備するなど具体的な行動がなくても共謀の対象になるので思想処罰につながる――という点だ。
これに対し政府は、「犯罪の実行が目的である団体」に限定して法律を運用する点や、「労働組合や市民団体などが犯罪を共謀しても処罰対象にはならない」と繰り返し説明するのだが、法案の文面がそうなっていないと野党は抵抗した。
さて、問題は、三浦事件の共謀罪だ。三浦氏が誰と共謀したとロス市警が捉えているかだ。この点に関しては産経新聞がロス地検の情報として述べている記事がある。それによれば、「日本で殺人未遂罪の有罪が確定した元女優としている」。三浦は元女優に対し、金銭と自分との結婚を条件に殺人を依頼したとされている。元女優は殺人の依頼を受けたと産経新聞に自ら告白したことを考えれば、三浦と元女優が一時期共同謀議した可能性は十分考えられる。
ロス地検が元女優との間に共謀罪を適用するとなると、日本の捜査資料の提出が重要な役目となる。理由は、事件が古いため当時の新証言をいまさらとることは考えられず、文書に残った証言が重要な証拠となるからだ。この点について法務省は「確定記録の提供であれば問題ない」(読売新聞)と捜査協力に前向きだった。しかし、この態度は本来おかしい。
三浦と元女優が共謀したとしても、彼らは暴力団の一員でもなければ、テロを企てている組織の一員でもない。日本では、共謀罪法案についての議論が終了していない。成立に関して与野党で論議が行われ、その中で政府は、テロやマフィアを想定し「犯罪の実行が目的である団体」に限って共謀罪を適用すると言っている。それなのに、テロリストやマフィアではない者に他国が共謀罪を理由に日本人を裁こうとするならば、本来政府は日本人の生命を守るために他国の要請を断らなくてはならないはずだ。自国にない法律で自国民が他国で裁かれようとするのに協力する態度は相当おかしい。
これを政府寄りに解釈すれば、日本に成立させようとしている共謀罪はアメリカと同様のものだから協力するということになる。つまり、共謀罪は、テロや暴力団犯罪以外にも適用される可能性があるということを政府が認めることになる。
三浦事件がロスで再び審理されたら、共謀罪に対する議論が日本で噴出し、体制派は困るに違いない。体制派が困れば反体制派に対する弾圧が厳しくなる。これを察知した三浦氏は、早々自ら幕引きにかかったのではないだろうか。
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参考資料:
三浦元社長自殺 因縁のロス「なぜ」 総領事館員に面会、直前「元気です」 [2008年10月12日読売新聞 東京朝刊 社会]
『なぜ』新たな謎生み幕 三浦元社長自殺[2008年10月12日 東京新聞 朝刊社会]
三浦元社長逮捕状 捜査動き出す可能性(解説) [2008年9月27日読売新聞 東京夕刊 夕2社]
弁護側『大変がっかり』 共謀罪攻防には自信[2008年9月27日 東京新聞 夕刊社会]
[スキャナー]ロス疑惑 「共謀罪」焦点に 実行の合意だけでも成立 [2008年3月4日読売新聞 東京朝刊 三面]
三浦容疑者逮捕状 20項目の事実列挙 銃撃実行犯は「不明」 [2008年2月28日 産経新聞 東京朝刊 総合・内政面]
週のはじめに考える 歴史から学ぶ姿勢を[2007年4月22日 東京新聞 朝刊社説]
「延長なし」首相、真意は… 最後の国会、閉幕へ [2006年6月17日読売新聞 東京朝刊 政治]
「共謀罪」法案先送り 国際協調念頭に対応策議論を(解説) [2006年6月16日読売新聞 東京朝刊 解説]
「共謀罪」攻防激化 連休明け国会審議ヤマ場 事前計画だけで処罰可能 [2006年5月5日読売新聞 東京朝刊 三面]
「共謀罪」の創設 対テロ国際共闘へ早急な修正論議を(解説) [2005年10月12日読売新聞 東京朝刊 解説]
「郵政」政局のかげで… 廃案61件の憂い [2005年8月13日読売新聞 東京夕刊 夕一面]
ロス疑惑無罪の男性一部勝訴 「検察、控訴取り下げるべきだった」/東京地裁 [2005年5月17日読売新聞 東京朝刊 2社]
ロス疑惑上告棄却 実行犯未解明 「共謀」成立を否定(解説) [2003年3月6日読売新聞 東京夕刊 夕社会]
組織犯罪条約、来年批准 「共謀罪」新設へ 計画段階でも処罰可能に/政府方針 [2002年8月19日読売新聞 東京朝刊 一面]
「ロス疑惑」、2007日間未決拘置 大久保さんが補償請求 [1998年8月29日読売新聞 東京朝刊 社会]
一美さん銃撃事件 「実行犯不明」異例の上告 検察側、事件の構図崩しても [1998年7月11日読売新聞 東京朝刊 社会]
「ロス疑惑」一美さん銃撃事件 1審2審判決比較検証 状況証拠 分かれた評価 [1998年7月6日 産経新聞 東京朝刊 社会面]
「ロス疑惑」一美さん銃撃事件 1・2審の状況証拠評価 [1998年7月6日 産経新聞 東京朝刊 社会面]
一美さん銃撃無罪判決 疑惑の真相ナゾのまま 三浦被告「生き様で無実証明」 [1998年7月2日読売新聞 東京朝刊 2社]
ロス疑惑 一美さん銃撃事件 三浦被告が逆転無罪/東京高裁判決=号外も発行 [1998年7月2日読売新聞 東京朝刊 一面]
「ロス疑惑」一美さん銃撃事件 三浦被告に逆転無罪 逮捕以来、13年ぶり釈放 [1998年7月2日 産経新聞 東京朝刊 1面]
ロス疑惑の銃弾訴訟、文春が控訴 「前歴報道で賠償」に不服 [1996年6月1日読売新聞 東京朝刊 2社]
ロス疑惑 文春「疑惑の銃弾」、名誉棄損認めず 前歴公表は賠償対象 [1996年5月29日読売新聞 東京朝刊 2社]
ロス事件 三浦被告に無期懲役 一美さん銃撃で判決/東京地裁 [1994年3月31日読売新聞 東京夕刊 夕一面]
【社会部発】デスクの目 徹底したい人権配慮の取材[1993年10月18日 産経新聞 東京朝刊 社会面]
「ロス疑惑」週刊誌名誉棄損訴訟 三浦被告側が勝訴=続報注意 [1991年12月16日読売新聞 東京夕刊 夕2社]
警視庁がロス疑惑の捜査を終了 特捜本部、あす21日に解散 [1988年11月20日読売新聞 東京朝刊 2社]
一美さん銃撃事件 三浦と大久保を殺人で起訴/東京地検 [1988年11月11日読売新聞 東京朝刊 社会]
一美さん銃撃事件 7年目のメスで謀議と金の流れ浮上 [1988年10月20日読売新聞 東京夕刊 夕社会]
ロス疑惑「三浦被告から殺人、銃入手頼まれた」 元友人の米国人会見 [1988年5月13日読売新聞 東京朝刊 社会]
ロス疑惑・三浦被告に懲役6年 一美さん殴打は冷酷非情/東京地裁 [1987年8月7日読売新聞 東京夕刊 夕一面]
ロス疑惑一美さん殺し 殺人共謀罪適用へ 米捜査官の来日決まる [1987年7月30日読売新聞 東京朝刊 社会]
参考サイト:
[AML 4057] 乱発されるアメリカの共謀罪(角田富夫氏)
【ミニ情報】三浦和義元社長の自殺報道で?疑惑の銃弾?元デスク安倍隆典氏が堂々のテレビ出演(東京アウトローズWEB速報版)
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