在原棟梁
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在原 棟梁(ありわら の むねやな / むねはり、生年不詳 - 昌泰元年(898年))は、平安時代前期の貴族・歌人。平城天皇後裔で、右近衛中将・在原業平の長男。官位は従五位上・左衛門佐。中古三十六歌仙の一人。
経歴[編集]
左近衛将監・左兵衛権大尉を経て、元慶8年(884年)光孝天皇の即位に伴って蔵人に任ぜられる。翌仁和元年(885年)従五位下・雅楽頭に叙任されると、仁和2年(886年)左兵衛佐、寛平8年(896年)左衛門佐と光孝朝から宇多朝にかけて武官を歴任。寛平9年(898年)従五位上に至る。昌泰元年(898年)卒去。
歌人として、勅撰和歌集に『古今和歌集』4首・『後撰和歌集』2首・『続後拾遺和歌集』1首が採録されている[1]。
官歴[編集]
注記のないものは『日本三代実録』による。
- 貞観11年(869年) 3月:春宮舎人[2]
- 時期不詳:兵庫助[2]
- 時期不詳:左近衛将監[3]
- 元慶4年(880年) 正月11日:左兵衛権大尉[2]
- 元慶8年(884年) 2月:蔵人[2]
- 時期不詳:正六位上
- 元慶9年(885年) 正月22日:従五位下。4月27日:雅楽頭
- 仁和2年(886年) 6月13日:左兵衛佐
- 寛平3年(891年) 4月11日:兼安芸介[2]
- 寛平8年(896年) 正月26日:左衛門佐[2]
- 寛平9年(897年) 7月13日:従五位上[2]
- 昌泰元年(898年) 2月23日:兼筑前守[3]