【解説】 英政界はどうなっているのか 総選挙後の展望
テリーザ・メイ英首相が今後も英国全体の首相でいられるのは、北アイルランドの下院議員10人のおかげらしい。どうしてこれが成り立つのかなかなか理解できない人は、あなただけではない。
辞任や宙吊り議会や総選挙の繰り返しなど、色々なことが取りざたされるなか、事態は大きく動いている。
総選挙後の意外な展開について、簡単に説明してみる。
負けた側が勝ったかのような
選挙に勝ったのは保守党だ。最多の318議席を得た第一党だ。しかし262議席に留まり選挙に負けた野党・労働党は、大喜びしている。
なぜか。これは今回の選挙結果が、メイ首相にとってとんでもない大失態だと広くみられているからだ。
首相はこの選挙をやる必要はなかった。本来は2020年の予定だった。しかし労働党の党内が分裂していると思った首相は、これを機に優位を固めようと解散・総選挙に打って出たのだ。
しかし労働党の政治的弱点に乗じるどころか、結果的に保守党は13議席失い、労働党は逆に30議席増やした。単独過半数(326議席)を押さえた政党がなくなり、英国でいうところの「hung parliament(宙吊り議会)」となった。
おかげで首相は、政権を維持するには他の政党に頼らざるを得なくなった。今回の場合は、それが民主統一党(DUP)だ。
DUPの主義主張
首相と保守党は、政権を維持するためにDUPと協力合意をまとめようとしている。
北アイルランドの地域政党DUPは、今回の選挙で10議席を獲得した。メイ首相の政権運営には、この10議席が不可欠なのだ。
しかし、DUPとの協力に問題がないわけではない。
DUPは北アイルランドと英国の統一を強硬に支持し、北アイルランドがアイルランドと一体化することに断固として反対している。
DUPを創設したイアン・ペイズリー牧師は、キリスト教プロテスタント派の原理主義者だった。1970年当時ほどはキリスト教を全面に押し出してはいないものの、今でも同性結婚と人工中絶に反対している。議員の一人は気候変動を否定し、別の党員は「創造主義」(人類は進化したのではなく神に創造されたと信じる主義)を学校の理科の授業で、進化論と並行して教えるべきだと主張したことがある。
DUPのこうした政策は、英国の多くの政治家とは食い違っている。
ではどうして保守党はDUPを選んだのか
端的に言えば、他の政党が保守党との協力を拒否したからだ。メイ首相にはほかにほとんど選択肢がない。
下院で過半数の326議席を得て法案を可決するには、あと8議席が必要だ。
スコットランド国民党(SNP、35議席)と自由民主党(12議席)はどちらも、保守党との協力をあり得ないと否定した。SNPに至っては、保守党を政権から追い出すことだけを目的に連立を組む用意があるとまで言っていた。
アイルランド共和国との一体化を目指してきた北アイルランドのシン・フェイン党は、もう100年以上前から、ロンドン・ウェストミンスターにある下院に登院していない。
つまりDUPしか選択肢はないのだ。
なぜ二大政党は協力できないのか
ライバル同士の労働党と保守党が協力し合うのは、非常に考えにくい。政治思想的にも両極端で、政府予算を何に使うか、社会問題にどう取り組むかで伝統的に対立してきた。
挙国一致の大連立政権は不可能ではないが、第2次世界大戦中のウィンストン・チャーチル政権を最後に成立していない。
メイ首相が目指すのは連立なのか少数政権なのか
法案成立だけが狙いなら、単に個別の法案ごとに多数票を得れば十分だ。しかし確実に政策を実施するには、安定した過半数の326議席以上が必要となる。
英国では、一つの党が単独で過半数を得て政権を作りやすい選挙制度になっている。
しかし今のメイ首相にはそれができない。そこで、選択肢は二つある。
- 連立政権では、複数の政党が政策合意を基に一つのまとまった集団として統治する。保守党とDUPの間には政策的な溝があるため、これはあり得ない。
- 少数政権の場合、DUPが必要に応じて保守党を支援することになる。DUPはいわゆる「信任と提供」合意を交わし、不信任案が提出されれば首相を支持し、政府予算(提供)も支持することになるとみられている。
いずれにしても、DUPの応援を受けたところで保守党はわずか数席、野党に勝っているに過ぎない。ほんのわずかでも党内から造反議員が出れば、たとえば教育や医療費など異論の多い政策については、票は覆されてしまい、政府は法案を通せなくなる。
期限は? 「女王演説」とは?
合意成立の最初のチャンスは13日だ。総選挙後初めて議会が開かれる。
その次のチャンスは、「女王演説」だ。英国では伝統的に、女王が議会を開会し、その年の施政方針を詳細に演説する。これは19日の予定だったが、延期の可能性も出ている。
「女王演説」延期の理由の一つとして、羊皮紙の問題が指摘されている。
「女王演説」は伝統的に、ヤギの革を使った羊皮紙に書かれるのが決まりで、乾くまでに何日かかかる(現在では、実際のヤギの革ではないと言う)。しかし保守党とDUPとの協議がギリギリまで続けば、演説内容の確定もずれ込むため、乾かす時間がとれず、19日に間に合わないのではないかと懸念されている。
BBCのローラ・クンスバーク政治担当編集委員はツイッターで、「ヤギの革の羊皮紙は、マイクロソフト・ワードより時間がかかるらしい」とツイート。「DUPとの合意後に新しい演説を書きうつさなくてはいけないので、『女王演説』は最大一週間は延期になる」と書いた。
ヤギの革はともかくとして、儀式で演説を読み上げるのはエリザベス女王だが、内容をまとめるのは政府だ。そのため、女王の朗読の前に、施政方針演説の全てについて合意と計画が必要となる。
演説を女王が演説を朗読した後、議員たちが内容を討論し、下院が採決する。この手続きはもっぱら儀礼的なもなので、ここまでくれば通常は、演説が否決されることはほとんどありえない。
労働党が政権を担う可能性は?
労働党のジェレミー・コービン党首は、まだおしまいと決まったわけではないと言うが、労働党が政権をとらない限り「コービン首相」は誕生しない。
現在の議席数からして、それはあり得なさそうだ。たとえ労働党が他の野党の支持をとりつけたとしても、過半数には達しない。保守党が辛うじて確保するわずかな過半数にさえ及ばないのだ。
もちろん労働党が少数政権を作ろうとするのはあり得るが、それには様々な困難が伴う。
労働党にとっては、また選挙をした方が勝利の公算は大きいと大勢が考えている。
また選挙?
また総選挙があるのではないかという観測が、すでに飛び始めた。
理論上は、今回の下院の任期は2022年までだ。
しかし宙吊り議会ゆえにまともに機能する政権が誕生しないならば、総選挙を再度実施することは選挙法で認められている。もしそうなれば各党とも、接戦の末に落とした議席の奪回に必死になるはずだ。
少数政権はどうやって破綻するのか
少数政権がいかに不安定なものか、しきりに取り沙汰されている。
過半数議席がなければ、政府は自信をもって政権運営できないからだ。
安定した政権実現のために総選挙をまた行うためには、議員が内閣不信任の動議を下院に提出する。
不信任案が可決すれば、組閣交渉が繰り返され、それでも政府が作れなければ、またしても総選挙を行うことになる。
ブレグジットへの影響は?
なかなか複雑だ……。
DUPは断固としてブレグジット(英国の欧州連合離脱)を支持している。イギリス独立党(UKIP)が登場するまでは、英政界で最も欧州連合(EU)を疑っていたのが、DUPだった。
しかしDUPは英国との連合・統一を強硬に掲げる党である以上、EUと北アイルランドの「特別取引」も望んでいない。北アイルランドが英国と違う形で「特別待遇」を受けることに反対している。
一方で、北アイルランドの南にあるアイルランド共和国は、今も今後もEU加盟国だ。ということはアイルランドと北アイルランドの間に、実質的な国境が設けられ、関税がかけられたり出入国が制限される可能性もある。これはアイルランドも北アイルランドも望んでいない。DUPは、国境はできるだけ「区切りや摩擦の少ない」ものであってほしいと表明している。
しかし、誰が交渉当事者になるにせよ、これは複雑な問題だ。